愛されたかった化け物


「あはぁ、もう、吐いちゃいそぉ」


 べろり、赤い舌が口元を這う。

 彼女は気分屋で、何にも囚われなくて。さぞ世界が生きにくいだろうと常々思っていた。
 自分と真逆の人で、苛立つこともあったけど。それでも風のように掴み所のない彼女を確かに好いていた。


「……ほんと、馬鹿な人ね」


 短いような長いような、無言の時間。互いの視線はずっと絡み合っている。
 先程までの歪んだ笑顔は彼女から消え、何時ものような「仕方ない」とでも言うような微笑が浮かんだ。


「恨めば良いの。隠し事をしていた私に」


 裏切られたと、思えば良いのか。彼女は頷いた。
 彼女は立ち上がって身形を整える。何故そんなにも穏やかなのだろう。
 手に嫌な汗が浮かぶ。握り締めたクインケは、今まで何度も振り回したというのに重くて仕方ない。
 重い?あぁ、そうだ。重い。クインケも、手も、足も、全てが重い。思った通りに動かない。
 
 なんで逃げてくれないんだ。今なら逃げ切れるだろうに。見えないのか、この手にある、お前を殺すための物が。


「ずっと探してた“バタフライ”は私。死んだら貴方のクインケになりたいけど、無理かな。羽赫だし」


 あぁ、こんなところでその笑顔は見たくなかった。確信してしまう。自分の愛した女が喰種だと。
 喰種は憎い。悪だ。それを聞きながら、彼女は俺と同じ食べ物を口にしていた。
 それすらも、知らずに。それは優しさだったのか、俺に嫌われたくなかったなのか。なんで答えてくれない。

 何故恨まねばならない。喰種だとしても、傍に居てほしいと思ってしまうほど溺れている。
 だというのに、お前は殺せと言うんだろう。分かっているさ。ずっと一緒だった。傍で支えてくれた。
 自分は食べもしないのに、必死になって料理の練習をしていたのか。俺のためだと作った弁当は、栄養バランスまで考えられていたものだったろう。同僚にからかわれたが、嫌ではなかった。

 全ては偽物だったのか。いや、本物だった。
 自惚れでもなんでもなく、彼女は自分を愛していて、俺も彼女を愛していた。
 そういえば、俺に大きな傷を付けた喰種が次の週に遺体で発見されたのは、彼女がやったことなのかもしれない。いや、たぶんそうだ。少しだけ血の臭いがした。
 虚像でも何でもなかった。喰種であるということ以外なら、彼女は全てを俺にさらけ出していた。


「そうだな、最期に貴方の愛してる人を教えてほしいかな」


 いつのまにか目の前に立っている彼女に肩が揺れる。背中を慰めるように叩かれた。気を抜けばすぐに殺されるかもしれないというのに恐怖は全く無かった。
 彼女の言葉にふと思考する。愛している人。仲間たちの顔がするすると脳裏に現れる。そして、最後に。

 笑った顔、起こった顔、泣いた顔。
 猫が好きで、よく野良猫を手なずけていた。家まで付いてくるからと泣きつかれたことも多かった。
 ネックレスは付き合って1年の記念日に送ったモノをいつも…ほら、今も付けている。指輪はしてない。手は指が少し荒れていたな。ハンドクリームを買ってやろうと思ってたんだ。
 服は動きやすくもふんわりとしたもの。デート以外はスカートをあまり履いていなかった。系統の違うものにチャレンジしていたが、しっくり来ないのかいつもすぐに戻った。どれだって、可愛かった。


「長谷鈴子だ…愛している」

「…そう。この前食べた女の子と一緒の名前だね」


 何が一緒の名前だ。下手くそな嘘を言うな。
 泣きそうな顔をして。嘘をつくときの癖だって出てる。


「食べちゃって、ごめんね」

「いや…いい」

「その子ね、亜門鋼太朗さんが…世界で一番だって。愛してるんだって、言ってたよ……」


 泣きながら、笑う。


「知ってる」

「そっか、両思いだね」


 食べちゃってごめん。それは、演技なのか。それとも喰種であることへの謝罪なのか。
 彼女は、人間に産まれたかったのだろうか。


「貴方の愛しい人は、私が食べちゃった。亜門鋼太朗の恋人、長谷鈴子はもう、死んじゃったのよ」

「……何だろうと、愛していると伝えてほしい。喰種でも、死んでも、何でも。長谷鈴子を愛している」


 彼女の演技に乗る形だったが、その言葉に全てを乗せた。伝えてくれと言ったくせに、彼女の目を見据えて、その奥の部分へ届けるように言葉を放った。
 彼女の涙が一気に溢れる。止まることを知らないそれは、ぱたぱたと地面を濡らした。


「…ごめんね、ごめんね鋼太朗。喰種で…ごめん、ね…好きになってごめん、近付いてごめん。でも、どうしようもなく好きだったの」


 何度も何度も彼女は涙を拭う。けれどそれでは間に合わなくて、いつもの癖で、彼女の涙を掬った。
 余計に泣き出す鈴子。もう、覚悟を決めなければならないのだろう。

 今まで生き延びてきた鈴子も、いつ他の捜査官に殺されるか分からない。それならば、いっそ。
 そうでも思わないと気が狂いそうだ。最愛の人を手にかけることになるなんて、世界はさぞ俺が嫌いらしい。
 俺を騙していたことに傷ついて涙を流す彼女は、ただの少女なのに。オシャレが好きで、俺という恋人も居て、学校だって行っていたのに。友達も多かった。そろそろ就職だと悩んでいた。普通の、女の子だった。ただ、彼女は喰種だった。


「愛している…だが」

「…分かってる。ごめんなさい、私を殺させて」

「謝るな」

「……うん」


 謝罪より、礼がいい。
 泣き顔より、笑顔がいい。

 彼女は涙を拭って、今日一番の、俺の大好きな笑顔を見せた。
 さぁ、俺も笑顔で見送ろう。


   「あ り が と う」



*** ***



 俺はひっそりとした墓を作った。あれからまだ1年だ。
 今日はウエディングドレスを持ってきた。


「どうも、生涯鈴子からは抜け出せそうにない」


 恋人が喰種だったとは知られていない。自分はただの恋人を失った男として知られている。
 結婚も考えていた。自分もこんな仕事をしているから、相手がいるなら早くした方が良いと、言われていたのもある。だが本当は、ただずっと傍で生きていて欲しかった。ただそれだけの理由だった。


「愛している」


 触れた墓石はやはり冷たい。
 しかし、現金な自分は少し高揚していた。

 今日は羽赫のクインケが俺の手元に来る日だ。性能は十分なのだが、ワガママらしい。何人もの手に渡ったが、暴発を繰り返す。しかし廃棄にしようかと話題に出るか出ないかの頃、そのクインケは抜群の仕事をする。
 まるで、意思があるようだと手に取った捜査官は言う。

 全く、死んでもワガママは直らないらしいな。

 名前は俺が付けても良いらしい。通称のバタフライでも良いが、お前の好きだった花の名前を付けようと思っている。

 “キキョウ”だ。



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桔梗 花言葉
「変わらぬ愛」「変わらぬ心」「誠実」「優しい愛情」 etc...

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