■ spring garden
アイドル科で数少ない女子の1人。隣のクラスのナマエが、中庭の花壇の前にしゃがみ込んでスコップ片手にせっせと穴を掘っている姿を、朔間凛月は寝ぼけ眼でぼんやり見つめていた。
桜も散り始めた、昼寝には最適な季節。睡魔に負けて転がった割には心地よい寝床ーー噴水の側の木陰、つまり芝生の上ーーで眠っていたのだが、いつの間にか枕代わりに丸めたタオルが置かれていて目覚めは悪くはなかった。ふわふわと手触りのいい、ビタミンカラーの花柄のそれは考えるまでもなく彼女のものだろう。
緩慢な動作で身を起こして、大きく欠伸をする。その音に気付いたのだろう、それまで花壇にかじりつくような勢いで作業していたナマエが振り返って、ぱっと花の咲いたような笑みを浮かべた。
「おはよう、凛月くん。よく寝れた?」
「んー……これ、あんたの?ありがとうね」
「どういたしまして。」
「何やってんの?」
「花の植え替え。これからの季節に綺麗に咲く花を用意したんだ」
「ふうん」
なんとなく、その笑顔に惹かれて花壇まで足を運び、そのまましゃがみ込んで目の前で懸命に咲き誇る黄色い花をちょんとつついた。
こうして花壇の手入れをしている後ろ姿を何度か見た事はあったが、隣で見るのは初めてだった。
「これ、マリーゴールドだっけ」
なんとなく見覚えのある花が揺れる様を横目に、隣のナマエへと問いかけた。園芸部の彼女は、花の話題を振られてきらきらと目を輝かせた。
「そうだよ!私の好きな花なの」
そういえばあのタオルも、同じ色をしていたなと思い出しながら相槌を打つ。軍手で頬を拭ったのか、土が付いている事にも気付かずに作業を続ける横顔から、何故か目を反らせない。可もなく不可もなくといった、特徴のない平凡な顔立ちではあるものの、好きな事に没頭する姿は誰だって眩しく見えるものだなと、凛月は静かに考えていた。
「今回は観賞用として植えてるんだけど、トマトと一緒に植えたら害虫から守ってくれる効果もあるんだよ。特別良い香りがする訳じゃないんだけど、ハーブとして用いられたりもして、花言葉も沢山あって面白いんだよ」
やたらと大きくて重そうな銀の如雨露でたっぷりと水を撒いたナマエは、植え替えの終わった花壇に向かってうんうんと満足げに頷いた。凛月は再び睡魔が訪れるまで、ナマエの話に耳を傾けていた。
桜もすっかり葉だけになって、気温もだんだんと高くなってきた、とある日の放課後。
噴水で水遊びをしていた深海奏太を引っ張っていく守沢の大きな声に心地よい眠りを妨げられて、眉間に皺を寄せながら目覚めた凛月は、頭の下を探り柔軟剤香る柔らかな花柄のタオル(今日はピンク色だった)を掴んで上体を起こした。
ナマエがまた土のついた顔を輝かせて「おはよう」と口にする。ただの挨拶だというのに、なんだか擽ったい気持ちになるのが不思議だった。
あれから、木曜日には必ずと言っていい程噴水の側の木陰で寝るようになっていた。先程のように、三奇人の一人である深海奏太が噴水に浸かりにきたりそれを引っ張り上げていく誰かの声が聞こえることもしばしばあり、とても居心地が良いばかりではないにも関わらず、凛月は吸い寄せられるようにそこに寝転んで、さりげなく花壇へと目を向けてから静かに微睡みに溶けていく。
起きた時には、部活動でやってきたナマエが用意してくれたタオルがある。起きあがって、花壇の手入れをするナマエと他愛のない会話をする。それがいつしか楽しみになっていた。
そして、この花のように輝く表情を浮かべる彼女を観察する内に、自分の中で変化が生じていた事に気付いた。自分でも驚くほど、恋とは唐突に、静かに胸の内に広がっていた。
しかしそれは嫌な感情ではなく、終わりかけの春の、微かな甘さを含んだ柔らかい風のように、穏やかに胸を打つ。
ナマエは花壇の手入れをしている間はほとんど口を開くことはなかったが、決して無口な訳ではない。凛月が起きて側に来ると、主に花の話と、最近の授業やプロデュースの話をしたり、練習中だという菓子の試食をさせてもらうこともあった。
「こないだのフィナンシェ、美味しかったからまた食べたいなぁ。」
「ふふふ。じゃあ、また作ってくるね。」
ナマエは笑う。それにつられて凛月も口元を綻ばせた。黄色やオレンジ色の花々が咲き乱れる花壇の前にしゃがみこんで、いつかのように彼女が好きだと言った花をつん、と突いた。
「ナマエ」
「はーい?」
汚れがついたまま振り返った彼女に向かって手を伸ばして、頬についた土を拭った。きめの細かい、柔らかな肌だった。
凛月の突然の行動に驚いて、女の子らしからぬ間抜け面を浮かべる姿も可愛いと思えるなんて、恋が盲目とはよく言ったものだ。
「土、ついてたよぉ」
「あっ……ありがとう……っ」
みるみる内に頬を赤く染め上げたナマエに、凛月はおや、と目を瞬かせた。こんな表情は初めて見た。
「赤くなっちゃって、可愛い」
「なっ……りっ凛月くん、何言って……!」
からかうように、けれど本心を告げた途端、ナマエ耳まで赤くなって狼狽えた。
なんだ、この可愛い生き物は。
そう凛月が内心驚いている内に、ナマエは目を泳がせて「そ、そういえばね、」と無理矢理に話題を眼前で可憐に咲き誇る花に戻した。
「マリーゴールドの、花言葉が沢山あるって言ったでしょ?その中でも私の好きな花言葉は、可憐な愛情なん……だ……」
話しながら固まってしまったナマエを見て、ぴんとこない程鈍感でもない凛月は、にんまりと意地悪な笑みを向けて更に頬をつついた。
「どーしたのー?真っ赤になっちゃって、可愛い」
「えっえっと、その……り、凛月くん、近いよ」
「さっきからずっと変わってないけど?」
自ら墓穴に落ちていく獲物を黙って見過ごす程、吸血鬼は優しくない。ゆるりと細めた眼で見つめて、捉えて、どこにも逃しはしない。
花の乙女をどうやって手折って閉じ込めてしまおうかと、蕩けそうな微笑みの下で思案した。