■ 君の知らない魔法が終わる

 この車はどこで生まれ、だれに育てられたのだろう。ここらではあまりみかけない見た目でしっとりとした色合いの車を泉は運転している。車に詳しくはない私でもこの車が高価なことくらい簡単にわかった。
 大きなフロントガラスの向こうには幾つもの車が列を成しているのが見える。爪の先でハンドルのカバーを叩く音。渋滞とまでは行かないけれど、車が上手く進まないせいで泉がだんだんイラついてきているらしい。
 透明な見えない壁に守られてうとうと眠りこけていると、肘がぶつかって寄りかかっていた窓が空いた。どうやら外へ出るためのドアに付属している窓を開く為のボタンを押してしまったようだった。開き始めた窓ガラスは止まることなく一番下まで降りきって、私と外とを隔てるものは何もなくなる。すっかり目が覚めてしまった私は今日初めて青い空を見上げてみたりして、浮いている霧の塊みたいな雲の形が崩れていくのを見ている。入道雲の間を飛行機が割って飛んで行っているみたいな光景が広がっていた。

「わ」
「なに?」
「カラス、カラスがいる」
「そう」
「ねえ。カラス」
「はい、よかったねぇ」

 カチカチ音がしたと思えば、信号を右折して。私の上肢がぐらりとゆれた。運転が少し荒っぽい。

 変わった看板の引っさげられた電柱が目に入った。あんなに遠くにあった電柱をほんの数秒で追い越して看板の文字を読み取ることすらできない。
 思い出したように風が舞い込んできて伸び上がれば、すかさず横から腕が伸びてきて私の襟口を引っつかむ。

「ちょっとぉ、彼氏が運転してる間くらいじっとしてられないの?つうか、危ないでしょ〜?」

 ぐいぐい引かれるままに私は元の位置に座り直させられ、泉お得意のねちねち説教が始まり無心で聞いているうちにいつの間にか窓は締め切られている。
 ドアの上で腕を組んでほっぺを窓ガラスにくっつける。今日は気温が随分上がると今朝テレビの向こうでアナウンサーのおねえさんが綺麗に微笑んでいたのを思い出した。外気を取り込んだせいで車内の温度が著しく下がってしまったらしく、長らく休憩中だった車のエアコンがごうごう音を立てて冷たい風を私にあててきた。鼻の頭が冷たくなってきて思わず顔を顰める。すると泉の手が伸びて、エアコンの風の強さを弱に切り替えてくれる。やさしい。

「そういえば、泉先輩が去年使ってた机、今私が使ってるよ」

なんの脈絡もない私の言葉せいだろうか。泉は苛々忙しなく動かしていた手を不意に止めた。前の車が動く。

「・・机?」
「そう、泉先輩が卒業するまえに使ってたやつ」
「なんでそれが俺のだってわかるわけ?机なんてそれこそ生徒の数だけあるんだからもしかしたらそれが王さまの机とか、ナマエもしらないヤツの机かもしれないでしょ」
「そっか、そうだよね。机の右上に真って彫られてたからてっきり勘違いしてた。泉先輩はそんな遊木くんに気持ち悪がられるような事しないもんね。」
「はあ?これ以上俺のゆうくんへの愛を侮辱する気ならここで#name1#と一緒に死ぬことだってできるんだけど?」

 アクセルを強く踏んだのか、向こうに見えるメーターの数字が一瞬で跳ね上がる。遠くに行ってしまった車に追いつきそうだった。

「やだやだごめんってば、ちょっと妬いただけだよ、ごめん ごめんって」

 スピードが緩む。赤信号。バックミラーで後ろをみると、後ろには渋滞のあとかたもない。振り切ってしまったのだろうか。運転しながら横目に一瞬だけ私を見てきた横顔は何だか別人の、誰かのお彼氏みたいな顔をしていて、私は一人で笑っている。
「ふふふ」
 笑い声が聞こえたであろうタイミングで信号が赤信号になって、歩道を歩いている女子高生の話し声が聞こえてきた。何を話しているかまでは集中しなければ聞こえないけれど、なんだかとても楽しそうに笑っている。
「・・こいつ。人が運転してる間もずっと寝てたくせに なにがおかしいワケ?」
「いたい」
 頬を抓られてもまだ笑っていると、ねちねち説教する前みたいなこわい顔をしていた泉の顔が困ったみたいなそれになる。口の端がゆるりと持ち上げられて真似するみたいに笑ってきて。頬を抓るその手に擦り寄って甘えようとしていると信号が青に変わる。頬に触れていた熱がきえていく。
 窓にごつんとよりかかって、まばらでお世辞にも安心できるとはいえない速度で走り抜ける車に身を委ねる。いろんな色をした人の頭が、横断歩道の前で礼儀正しく停止する。
 先ほど通り過ぎていった女子高生達の前を通り過ぎたとき、からからと綺麗な音色をしていた彼女らの声がひしゃげて聞こえて、なんだかおかしかった。

 ひとりで笑うのに飽きもせずに私は車の揺れが心地よくて、またしても眠ってしまうのだろう。



 お部屋の隅っこのかごに入っている浴衣にはしゃいだは良かったのだけれど、私は羽織って紐を結ぶだけの簡単な着付けが上手く出来ずにいる。
 信じられないくらい重い私の荷物を部屋の入り口まで連れてきてベットに倒れ込んでいた泉と、ふと、目が合う。
 靴も脱がないでベットに横たわって頬杖をつきながら、いつのまにやらじっと私を気守っていたらしい。高尚な野生動物みたいに鋭い目をしているくせに、彼が表情豊かなせいでちっともこわくないその目が私と目が合うなり柔和に弛緩する。やっぱりこわくない。
 おいでおいでと手招きされるままに泉の前まで近寄ると、起き上がった泉が私のそれとは見違える出来で紐を結んでくれる。
「泉先輩も」
 ベットに腰掛けたままの泉の足の間に入って、向かい合ったまま肩に手を置く。泉の顔が上目がちに私を捉える。
「ん?」
「やってあげるよ」
「ふうん?自分のこともできないあんたにできるとはおもえないけどねぇ・・?」
「できるもん」
「なら、やってみなよ。無駄だとおもうけど」
 やたらと挑発的に尋ねてくるので私も自信がなくなって「先輩のばか!」とかいいながら肩を押し返す。
 怒声その類の声音だったような気もするけれど、泉はけらけら笑っていたのでよしとする。

「なんか怒ったら喉かわいた」
「はぁ?」

 溜息ひとつ吐いてベットから降りると、彼は部屋の隅っこで存在を主張している冷蔵庫を開ける。
 いかにも私が好みそうな飲料が入っていて泉は真っ先にそれを掴むのだけれど、私は彼が手渡してくれるよりも先にそれを奪う。

「わたしこれがいい」
「後輩なら先輩を労わって《お先にどうぞ》とかないわけ?こっちは長時間の運転で疲れてるんだけど?」

 眉を顰める泉の向こうに、大人しか飲むことを許可されていない飲み物を見つける。

「ビールだ」
「だから?」
「おねがい、一口だけ」
「良いって言うと思ってる?」
「思わない」
「うん。良い子良い子」
「でも良いって言ってくれたらいいなって思っていたりして」
「ほんと、うっざいなあ?ほめて損した」

 面倒くさそうに私をにらんだあとに、泉は冷蔵庫を締めて部屋を出て行く。

 ぽつんと一人だだっ広い部屋に取り残されて沈黙。
 本当に怒ってしまったのかもしれないなとおもい始めて泣きべそをかいて追いかけようとドアノブに手をかけると、それよりも先にドアが開いて私へ向かって突進してくる。避ける暇もなかった。
 ごちんと音がして、部屋の外で「うわっ」と泉の驚いた声が響く。額を押さえてうずくまる私の手首を掴んで立たせてくれる泉の手には何かがはいったレジ袋が引っさげられている。

「ああもう!ドアの前でボケ〜っとしてるからこんなことになるんでしょ〜?」

 冷えた指先が私の額をなでてくる。微かに痛みはするが私はそれよりも置いていかれたことへ対する悲しみで一杯だったのだ。泣くつもりなんてなかったのに彼が優しくしてくれるから、ちょっぴり泣きそうになってきて顔を俯かせる。
 レジ袋の中にノンアルコールの缶がいくつか入っているのなんて、みたくなかった。

「痛くないから、ほうっておいて」
「平気かどうかはあんたが決めることじゃないから」

 私の顎に手をかけて顔を上向きにさせようとするので、逃れるみたいに顔をそらして抱きついた。決して身長が大きいほうではないというのに、私が背伸びしなければ上手に抱きつくことが出来ない。やっぱり大きいのかもしれない、なんて考えを改めはじめる。
 泉の手が袋を手放して、袋が床に落ちた。重い缶に足を踏んづけられて悲鳴を上げている私の耳元で、くすくす泉が笑う声がする。ゆったりと背中をなでられていると、なんとなく心細かったのが解けて、いつの間にか私まで笑っている。
 しまりのない顔で笑っていると、瞼の下に唇を押し付けられた。普段と何も変わらない、どうってこともないみたいな顔で平然としている泉とは裏腹に、私は泉の首の辺りを触って、そこがやたらと熱かったからって、勝手に心拍数を上げている。
熱い首を触って、手を滑らせて頬にもっていく。この人にもっとたくさん触れたい。身体の奥がかっと熱くなって、目にはみえない細胞のどこかがどうしようもなく活発になっていく。

 へんな気分になりかける一秒前。忘れかけていた私の額の赤みを骨ばった指で触れられて、われに返った。なんとなく気まずくて、たまらず目を反らす。

「・・・ガキんちょ」

 私の考えていることなんて彼にとっては明け透けで。私が子供みたいに彼の肌にふれてどきどきしていることも簡単に汲み取られてしまった。
 よく動くせいか肌蹴てしまっている私の襟元をせっせと正して、泉は私の目をまっすぐに見てくる。こんな子供にするみたいなあやしかた望んでいないのに。

 泉の買ってきたレジ袋を誘拐して、ベットに連れて行って一緒に寝転ぶ。袋から転がりでてきたのは、柑橘系の女の子が好きそうなお酒。ノンアルコールの。
 寝るふりをして枕に顔をおしつけながらこっそりと隙間から泉を見ていると、首の後ろを撫でて訳が分からなさそうにしていた。ちょうど私が先ほど触れたあたりだなあと思っていると、また身体が熱くなってきて、私は彼の名を呼ぶ。

「いずみ」

 先輩、と、初めて呼ばなかった。

「今度はなに?」

 すぐに近寄ってきてくれて、まるで寝かしつけるみたいに私の背中を撫でてくる。しつこくなでてくる手をどけて、その腕を掴んで抱き寄せる。そのままのしかかってくれても良かったのに、泉は綺麗に私を避けて私の身体の両隣に手をついた。
 日に焼けていない、けれども健康そうな肌色をした泉ののどぼとけがこくんと動いた。眠たいふりをする私の上に覆いかぶさってこようとするから、私は目を瞑る。青色の、鮮やかな彼の目の色を思い返しながら、私は彼の下肢に足を絡める。
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