■ 嗚呼、終り無きこがねひぐるま

立派に育ったその黄色い太陽はぐるりと本物の太陽を追い求めているらしい。じーじーだとかみんみん、だとか騒ぎ立てる蝉の声はなんとも風流であると思うが一方ではひどく暑苦しい。茹だるような暑さとそれに伴う夏特有の香りがそっと鼻孔をくすぐった。こんな真夏の日にはアイスが良いよねえ、そう言った誰かさんのためにこうして出かける羽目になると思っていなかった私は朝から能天気に今日はKnightsのレッスンだなあ、なんて思い冷房を信じ切っていたというのに。はあ、と一つため息を溢せば隣に立っていた赤髪の彼が心配そうにこちらをうかがい口を開いた。

「ナマエお姉様?お体がすぐれませんか?」
「ああ、いや、そうじゃなくって…あっついなあ、って思ってね」
「ああ、なるほど。確かに本日は非常にhotですね…」

そう呟いた彼はこの暑さだというのにきちんとした格好をしていらっしゃる。どこかのだれかさんのようにだるんとはみだすことのないシャツに、これまたどこかの誰かさんのように緩めることのないネクタイは、彼のその品行方正な雰囲気を綺麗に保っていた。パシられた私にお供します、なんて言ってついてきてくれた彼は本当に良くできた子である。私の歩幅にあわせて進められる足や、時折振ってくる他愛もない世間話はひどく紳士的で。惚れてしまいそうだ、なんてありきたりな心を抱えつつ彼に気を使わせまいとするもののそれはいつも玉砕してしまうのだから私はなかなか不器用な質らしい。

こつこつ、と二人分の足音を立てながらスーパーまで歩んでいく。今思ったが司くんにはそういったスーパーなんていう非常に庶民的な空間は…こう、なんというか似合わないのではないだろうか、なんて…なんたることだ私は今の今までそのことに気づいていなかったらしい。熱のこもったアスファルトから湯気が上がっているような錯覚を覚えながらも、先ほど視界に映った黄色い太陽を思い出した。向日葵、ひまわり…そういえば。

「髪に挿せばかくやくと射る夏の日や王者の花のこがねひぐるま、だったっけ」
「?それはいったい?」
「ん〜なんだったかな、小学校の時に調べ学習で覚えた記憶が…たしか与謝野晶子の」
「与謝野晶子…ああ、日本の有名なpoetでしたか?」
「ああ、うん、そう、確か明治?昭和くらいの人で、」

なんとはなしに呟いた一つの俳句は、まあるく黄色い太陽をうまく表していると思う。夏の王者、そう言われるこの向日葵という花はどこまでも凛として太陽を追いかけ続けている。王者、なんていえば最近戻ってきた騎士の王様を思い浮かべるけれど…そう思いながら横目に司くんをみやった。彼はどちらかというと騎士、だとかそういったものに近いと思うのだけど、王様、と称されたとしてもまあ、わからなくもないと思う。例えるなら騎士王、暴君ではなく仁君、幼さの残ったその顔に浮かぶ英知を極めたような表情は相も変わらず大人びている。時折のぞかせる年相応の明朗な花々ですら仰け反ってしまうような愛らしい笑顔が脳をちらつく。どこまでも大人びている彼だけれど、ユニットのなかにいるときには末っ子として子供らしさが露見する。その時の彼の笑顔が堪らなく愛おしい、なんて言葉にできる日はいつか訪れるのだろうか。

ぴたり、と響いていたローファーの音が一つ分鳴らなくなった。二、三歩進んだ先で止めた足を引いて体を斜めに捻れば、視界にはいるのは大きな入道雲と突き抜けて明るい青、あお。どうしたの、そう問おうとして開きかけた口からは残念ながら言葉は零れ落ちなかった。私が言葉を紡ぐその前に、珍しく言葉をかぶせて彼は私に問いかける。

「お姉様は、向日葵はお好きですか?」

突然というわけでもないけれど、まああまり脈略があるとも思えないその発言に小首をかしげながらも一つ、頷いた。嫌いではない、むしろ好きだ。そう言葉を付け加えれば、にこりと司くんは微笑んで私に手を差し出した。青い青い空に浮かぶ真っ白な入道雲に溶け込むようで異彩を放つ彼の赤い髪は、微かに吹いた夏特有の香りをたっぷり含んだ風に弄ばれていた。その白い頬をさらりと流れた髪がもう一度定位置に戻ったのを皮切りにしたように、彼は言の葉を紡いだ。

「さあ、お手をどうぞお姉様。ご案内いたしましょう」

ぐらりときそうなほどあついあついこの地球の片隅で、私はなぜ後輩に体温を俄かに上昇させられなければならないのか、だれか教えてほしい。

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じわじわと掌から伝わる温度は熱いようで少し冷たい。柔らかそうだと思っていた掌は思っていたよりもかたくて骨ばっていたけれど、つるりとした肌理の細やかさは想像のままであった。思わぬ幸運に対する喜び手汗だとかなんだとかそういったものに対する不安を同時に抱えながら歩みを進めていく。向かっていたスーパーへの道を少しばかり引き返し、いつもは通らない道路を通り、知らない道の角を曲がった。少しずつ拓けていく青空に飲み込まれてしまいそうなほどに、この場所には何もなかった。いや違う、何もなかったわけではない。民家もあったし、ビルだっていくつかはあった。けれど、それでもやはり今まで私が常に見てきた世界とはどこか違ったこの世界を、なぜかとても美しく感じている私がいる。そこまで離れてもいないというのにいつも見ない世界はここまで心躍るものになれるのだと、私は初めて知った。けれどそれはきっと、隣に立つ彼の影響も少なからずあるに違いない。いつもとは違う場所、いつもはない隣人、いつにもない天候。そのすべてが私を夏へと留まらせるのか。

そう考えながら視界を前に向ければ、ぶわりと広がる甘やかで苦い夏の太陽の香りを身に着けたこがねひぐるまが一斉に空を向きながら支えあっていた。夏の風が勢いよく吹き抜け、髪を攫うけれど、それを手で整えるような気にもなれずに、ただただ私は司くんの掌をぎゅうと握りこんで目を見開き呆然と立ち尽くすことしかできなかった。あまりにも異彩で、あまりにも非日常はその風景は、どこかの写真のように鮮やかに完成された、ただ一つの夏の世界。そこに踏み込むことですら躊躇ってしまうほどに完成されたその世界に向かって、隣にたった彼は歩みを進める。つながれたままの手は、彼につられて前に進むのに、私の足は縺れて進まない。ぐらぐらとする視界にうつった彼はこちらを振り返りながら、私の大好きな愛らしい笑みを浮かべる。進むことを戸惑う私をそっと引き寄せた彼は、そのまま私の横に並んだ。

横一列に並んだ私たちは、二人そろって夏を見ていた。じんわりと身を蝕んでいた夏を置き去りにして二人だけの美しい黄金の夏は今、少しずつ花を開かせる。

「あなたのことだけを、見ていましたよ、ナマエお姉様」

そう言って黄金色の太陽に私を連れ去った騎士と共に、あと少し、あと少しの間だけこがねの夏へ留まることを許してください。

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