■ realize

年度最後のテストラッシュが始まった。
テスト期間は学校が午前中で終わるから早く家に帰れて好きなのだけど、やっぱり進級に大きく関わる一番最後のテストは手を抜くことはできない。基本的に一夜集中型、つまるところ徹夜で自分を追い詰めるスタイルの私はこの時期は寝不足なのだ。
1日目最後のテストが終わってふわあと欠伸をこぼす。いっそこのまま机に突っ伏して仮眠をしたかったけれど、今日は一緒に帰ると約束しているから。携帯を確認してみると通知が一件《校門で待ってるわね》と。嵐ちゃんからだ。私は頬が緩んで気持ち悪い顔にならないように気をつけながら、未だにクラスメイトで賑わう教室を一番乗りで飛び出した。

この学校は無駄に大きい。アイドル科の校舎だけならまだしも普通科の校舎までもが大きいのだから困ってしまう。おかげで校門に着く頃にはやはりというか、小さな人だかり。人だかりの中心には私が一緒に帰ろうと約束していた彼――嵐ちゃんが綺麗な微笑みを浮かべて立っていた。嵐ちゃんはどうやらそこにいる何人かの女の子とガールズトークを繰り広げているようで時折楽しそうに声を弾ませている。声が聞こえるくらい近くにいるのに私の存在なんて気付きそうもない。
どうしようか、話しかけようか、少し悩んだけれど私は一人で帰ることに決めた。《用事思い出したから、先に帰ってて》すぐ近くにいるけれど、直接言うことなんてできない。しかたなく携帯でそんな連絡を残して帰路へとついたのだった。


「あ〜あ!」

電車が通り過ぎるのをいいことに、お腹に溜まった鬱憤を吐き出すように大きな声を出してみた。いくらかスッキリしたような気はしたけれど、騒音にかき消された分まだどこか靄がかかってしまっているような。電車が通り過ぎてしまえば再び穏やかな静けさが訪れてしまう。それが余計に私を虚しくさせた。

私はかれこれ二年という歳月のほぼ全てを嵐ちゃんに捧げている。桜の花びらが舞い散る入学式、夢ノ咲学院までの途中の道で迷子になっていた私を助けてくれたあの日から、私は嵐ちゃんに恋をしている。偶然にもあの日連絡先を交換することができて今となっては時々電話をしたりもする仲だ。実際内容は近くの雑貨屋の新しいグッズのことだったり流行りのファッションのことだったりと、決して恋愛のようなものではないけれど、私はそれでも嬉しかった。嵐ちゃんが私だけを見てくれているような気がして。
だけどそれは違う。嵐ちゃんと付き合ってるわけではないし、彼は元々モデルさんで今や人気ユニットに所属するアイドル。女の子のファンはたくさんいるのだ。分かってはいたつもりだったけれどあれを目の当たりにしてしまって随分傷ついている自分がいた。あんな光景を見てしまうくらいなら一緒に帰ろうなんて約束、しなきゃ良かった。

「嵐ちゃんなんて、もう知らない」
「そんな悲しいこと言わないでちょうだい」

ボソリと呟いた独り言。返事が来るだなんて予想もしてなかったから大袈裟に飛び上がってつい走って逃げてしまったのだけど、後から柔らかな声色が嵐ちゃんのものだと気づいた時には既に足の速い彼に腕を掴まれていて、つまり捕まっていた。
後ろを見上げれば菫色の瞳とバッチリ目が合って思わず愛想笑いをひとつ。まさか後ろにちょうど考えていた人物がいただなんて誰が想像するだろう?少なくとも私はしなかった。だってまだまだ女の子とのお話は続きそうだったもの。

「どうして」
「んもう……どうして、じゃないでしょ〜?あの状況でどう来るのかと思ってたらナマエ、帰っちゃうんだもの。ご丁寧に『用事を思い出したから』な〜んて理由付けちゃって!」
「気づいてたなら抜けてくれればいいのに」
「うふふ。アタシ、甘い話には弱いのよ。抜けようと思ってたのについ話し込んじゃったわァ」

嵐ちゃんはシミもそばかすもない綺麗なその頬に手を当てて目を細めたけれど、私はつい憎しみを込めた色のまま目を細めてしまう。分かってる、嵐ちゃんは私のことをただの友達として認識している。彼からしてみれば私も友人でありファンのひとりなのだ。分かってはいるけれど、その事実がどうしようもなく悲しい。
目を細めたところで何にもならない。だから睨むのをやめて俯いていた。これなら嵐ちゃんを振り払ってひとりで帰っていたほうがよかったかもしれない、そんなことを胸に抱きはじめた時にふと嵐ちゃんが私の名を呼んだ。

「なに?わ、わ……?」
「あ、ちょっとォ、動かないでちょうだい?………よし、完璧ね」

長い指先が私の髪に触れたから心臓が止まるかと思ってしまった。一歩離れた嵐ちゃんに真面目な顔で「死ぬわよ」と言われるまでしばらく息を止めていた私は死にかけながら酸素を取り入れる。空気がこんなに美味しいと思ったのははじめてだ。
耳にかけられたものを気にしていればふわふわと可愛らしい嵐ちゃんの鏡を手渡されておそるおそるそれを覗き込んでみた。前髪が伸びてきたとか目の下に隈ができてるとか一通り自分の顔に文句をつけたあと、お楽しみは最後にとばかりにとっておいた右の耳に視線を移した。

「明日のテストも頑張るのよ」

花のついた可愛らしい鏡はすぐに取り上げられてしまった。太陽に負けないくらいキラキラした微笑みを浮かべた嵐ちゃんに少し遅れて頷くと、耳にかかっていた小さな黄色の花も一緒になってゆらりと揺れた。







《昨日と同じところで待ってるわよ》
私の気も知らないで嵐ちゃんはまた今日もそんなことを言う。きっと昨日と同じように女の子と喋り込んでいるに違いない。そしたら私はどうしよう、会話の輪に割り込んで話を中断させる度胸なんて持ち合わせてはいない。

3限に渡って3つのテストが一気に終わった。クラスメイトが椅子をガタガタと揺らして教室からひとり、ふたりと消えていく。私も急いで校門へ向かわなければいけないのだけど、それでもこっそりと手帳を開いた。
最初のページに挟み込んだ花。その唇型の小くて黄色い花は嵐ちゃんが昨日私の髪に飾ってくれたものだ。彼からの贈り物だなんて、嵐ちゃん自身は花のひとつくらいどうってことないと思っているかもしれないけれど、私にとってはすごく嬉しくて、それはもうこの花を栞にしようと帰宅してすぐに決断したくらいだ。それにしても、これはいったいなんという名前の花なのだろう。


(やっぱり、いた)

テスト期間中はなぜかいつも晴れていることが多い。偶然でしかないけれど、太陽が暖かくしてくれていると自然と足が軽くなってくる。それから花びらが切れてしまわないようにそっと手帳を閉じてから早足で校門へと向かったけれど、入口付近から楽しそうな高い声が聞こえてきて私は思わず難しい顔をしてしまった。
昨日のように笑って女の子と会話を続ける嵐ちゃんに胸がチクリと痛む。どうしよう、声をかけなきゃ、一緒に帰るって約束したし………頭の中がグルグルと回る。この時の私は生徒で賑わう校門付近で立ち止まって口を開閉させるという他人から見たらさぞおもしろおかしい動きをしていたと思う。結局、私は声をかけることも出来ずにそっと入口を通り過ぎていつもと違う道から帰ってしまったのだった。


もう少し勇気があればなあ。ぼんやりと考えていたけれどそれは後の祭りだった。家族連れで賑わっている通りを私はひとり寂しくペタペタとローファーの音を響かせて歩いていた。
数学のテストが壊滅的だったとか英語のスペルが思い出せなかったとか、昨日できなかった話を2日分まとめて嵐ちゃんに話す予定だったのに、また駄目になってしまった。こうなるともう会話ができなくとも、一緒に帰ろうと声をかけてくれただけ幸せだと思うべきなのかもしれない。叶わない恋なんてするべきじゃないのかなあ。そんなことを思ったらいても立ってもいられなくて地獄の底から出すように深く深く息を吐き出した。肩を叩かれたのはその時だった。

「も〜!どうして先に帰っちゃうのよ」

どうしてここに?腰に手を当ててぽこぽこと怒っているのは紛れもなく嵐ちゃんだ。今日はバレないように帰ったつもりだったし、何よりいつもと帰りの道が違うのに。いろいろな疑問が頭で交錯してしまってショート寸前の私に嵐ちゃんは怒るのをやめて苦笑いした。急いで来てくれたのか額に浮かんだ汗を拭った彼がポカンとした顔のままでいる私の額を指で弾く。

「い、いたい」
「痛くしたから当たり前よ、全く………で、どうして先に帰ったの?」

まだデコピンされた額を両手でおさえて痛みを耐えている途中だというのに嵐ちゃんは遠慮なしだ。痛いのを理由に時間稼ぎをしようかとも考えたけれどきっとそんなこと許してはくれないのだろう。思った通り、私が言いにくそうに口をもごもごさせていると「本当のこと言わなきゃまた意地悪しちゃうわよォ」と、追い込むように言った。

「だ、だって嵐ちゃんがずっと話してるから」
「んん、昨日と同じ理由?声をかけてくれればいいだけの話じゃない。約束してるんだから無視なんてしないわよ?」
「あんな輪の中に入り込むなんてできっこないもん」
「どこまでも控えめよねぇ、ナマエは」

想像するだけで頭を抱えてしまいそうだ。付き合ってもいない私が嵐ちゃんに声を掛けてそのまま攫ってしまうだなんて、そんな大層なことを実行するのは気が引けてしまう。次の時は校門に着いたら電話でも掛けようか、それとも嵐ちゃんと会話をしている子たちが離れるのを見計らって声をかけるべく待ち伏せするべきか。
何か別の手段がないかと頭を働かせていたから気が付かなかった。俯きがちで垂れていた髪のカーテンを嵐ちゃんに掬われたのだ。耳の上に感じる冷たさに慌てて顔を上げてみると、少し屈んでいた嵐ちゃんが微笑んでいるところだった。

「やっぱり、可愛らしいナマエにはピンクが似合うわね」

今度は鏡を見なくとも分かった。そっと指先を耳の方へと持っていけば柔らかい花弁の感触が伝わって少し嬉しくなる。どういう意図でこれをくれるのかは分からないけれど似合うと言われてしまえば頬も緩んでしまう。
これも栞にしよう。そう考えていた間に嵐ちゃんはさっさと歩き出してしまっていた。私が花に夢中で、帰りましょという言葉を聞き漏らしていたらしい。ここまできたら私だって一緒に帰りたい。離れていく背中を慌てて追いかければ、そもそも私が置いてけぼりを食らっているのに気づいていなかったらしい嵐ちゃんが焦ったように謝って、それから足を緩めてくれた。

「嵐ちゃん、嵐ちゃん」
「なぁに?ナマエ」
「これ、なんて名前のお花なの?」

昨日から気になっていたことを何気なく訊ねてみた。花は嫌いじゃないけれど、種類には疎い。疑問符を浮かべながらも嵐ちゃんを見上げていたら彼は私の耳に掛かっている花をじっと見つめた。

「リナリアよ」
「リナリア?」
「そう、今度お花畑に連れてってあげるわァ。小さくても立派に咲き誇ってて、それが健気な感じでかわいいのよねぇ。アタシ好きなの、そのお花」

そう言って花を見たまま嵐ちゃんは目を細めた。それは決して私に向けられた微笑みではないけれど、目の前で好きな人が微笑んだのだ。胸が鳴ってしまうのも仕方がないと思う。







テストも今日で最後。無事に最後を締め括った歴史のテストの解答用紙を提出して晴れて自由の身となったのだけど、正直私はそれどころではなかった。せめて赤点がないようにと祈るばかりだ。

すべては昨日、一昨日と続けざまに贈られたリナリアにある。
昨日家に帰った後、私はさっそくインターネットでその花について調べてみた。誰かが投稿したであろう写真には手帳に挟んであるのと同じ黄色いものや、ピンク、白、他にもたくさんの色の花を咲かせたリナリアが花畑の一面を美しく飾っていた。それからというもの、1階から飛んでくるお昼の時間よという母の声に返事をするのも忘れて夢中になっていたのだけど、ひとつだけどうしても気になることがあった。


《今日は話さないでいるから、逃げないで声をかけてちょうだい》
ついに妥協してくれたらしい嵐ちゃんからのそんな連絡につい笑ってしまった。気持ちは嬉しい、ものすごく嬉しいけれど、きっと嘘だろう。嵐ちゃんから喋ろうとしなくとも声を掛ける人はたくさんいるもの。
だけど今日はちゃんと声をかけるんだ。ひとつだけ、嵐ちゃんに確認したいことがある。そのために普段はしない早起きをして外を駆け回ったのだから。よし、がんばるぞ。深呼吸をして私は教室を飛び出した。


「あらッ、そのピアスかわいいわね〜」

今日は先生に見つからないように気をつけながら全力疾走したけれど、だけど既に嵐ちゃんは女の子との会話に夢中だった。思っていた通りではあったから今更驚きはしない。それよりも今日は何がなんでも声を掛けなければ。でも、どうしよう。大きな声出すの苦手なんだけどな。
悩みながらも校門付近をそわそわと動いていたらふと菫色の瞳と目が合った。ぱっちりと視線がぶつかって私はもちろん目を丸くして固まったのだけど、何故か向こうは私をチラリと見ただけでまたすぐに会話を再開してしまった。ひょっとしてこれ、私から話しかけなきゃ相手にしてくれないってこと?…………ええい!やってやるとも!

「あ………っ、嵐ちゃん!」

がんばるって決めたんだ。私が大きな声を出せばいくつもの瞳が不思議そうにこちらを見た。ただ一人、嵐ちゃんだけは薄らと笑みを浮かべてこちらを見ていたのだけど。私は注目を振り切るように、少し後ろに下がってから半ば飛び込む形で彼に突進した。
嵐ちゃんは自分を頼れるお姉ちゃんだと言うけれど、やっぱり体つきは男の子だ。速度調整ができなくて思い切り飛び込んでしまったにも関わらず、彼はなんともないように私を受け止めてくれた。

「あら、ナマエったら大胆ねっ!そういうのも嫌いじゃないけどね、うふふ」
「……嵐ちゃん、テスト終わったね」
「うん?そうだけど……どうしたの?赤点でも取りそうなの?」
「ちょっとまってね」
「ナマエ?」

《私の恋に気づいてください》
リナリアの花言葉を知ったのはつい昨日のことだ。もしかしたら、ひょっとしたら、嵐ちゃんはこれを知ってて私にリナリアを贈ってくれたのかもしれない。なんて、ただの自意識過剰かもしれないけれど。でも、
鞄の中に大切にしまっていた一輪の花を取り出す。薄暗い空の下、テストのことも忘れて必死に探して見つけたリナリアは嵐ちゃんの瞳と同じ紫色だった。きっとこれは偶然なんかじゃないはず。
私には直接好きと言えるほどの度胸なんてない。だから私は、私の中にあるありったけの想いをこの花を通して伝えたい。

「これね、私の気持ち」

華麗に咲き誇る紫の小さな花を目の前のブレザーの胸ポケットに差し込む。様子を伺うように見上げてみたけれど太陽が差し込んできて、それのあまりの眩しさに嵐ちゃんの表情が上手く確認できなかった。

「そう、気付いてくれたみたいね」

小さくて聞き取りにくい声だったけれど、一番近くにいた私はその呟きをしっかりと拾い取った。嵐ちゃんも花言葉を知っていたんだ。やっぱり、と思わず言ってしまいそうになったけれど背中を引き寄せられたことでそれは未遂に終わった。
優しい花の香りが漂う腕の中、もう一度顔を上げてみると彼はリナリアよりももっともっと綺麗な紫の瞳を輝かせてにっこりと笑った。

「大事にするわ。この花も、ナマエも」

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