綾様


 俺は度々天秤にかけることがある。主将か恋人か。天秤座の由来になっている天秤は善か悪かをはかる為の物だった。まさかこんな使い方をする奴が居ようとはアストライアも思わなかっただろう。
 だから俺はいつも部活の時間は主将である俺を取る。例え何があろうとも。
「黄瀬ーCDサンキュー」
「どうっスか?」
「ハズレ無し。俺的には三つ目の奴が特に好き」
 部員に貸していたらしいCDが手元に戻って来たようだ。その手に持つジャケットは見覚えがある。あいつが昔から好きだと言う洋楽だ。
 勉強はイマイチの癖に洋楽は好きらしい。モデルか! と以前ツッコんだら当然の如く
「モデルっス!」
 と返ってきた。そりゃそうだ。
「黄瀬、お前シャンプー何使ってんの? いつもスッゲーいい匂いすんじゃん」
「最近変えたんスけど……」
「どれ」
「わっ、ちょっ! 森山センパイ、擽ったいっス!」
「あ、この匂いも好き」
「俺も俺もっ!」
「じゃー俺もっ」
「待て、俺が先だ!」
 けれども俺は人間だ。主将という肩書き以前に人間だ。こうして目の前に恋人が居るのに他の男に囲まれニコニコと愛想良く笑うバカも俺らの関係を知りながらも一切気を遣おうとしない部員も俺の神経を逆撫でしてくる。
 黄瀬が少しずつ変わり始めたのと比例するように部室も部全体の雰囲気も変わって行った。勿論、プラスの方向にだ。けれども俺にとってはマイナスになりつつある。
「ちょ、もうっ、擽ったいっスってばぁっ!」
 次から次へと色んな奴らに髪の匂いを嗅がれきれいに整われた髪は乱れきっている。しかし抗議と共に軽く手櫛で梳くと元通りになるその女子も顔負けの指通りの良い髪は俺も好きだ。
 後ろから抱き締めてその髪に鼻をくっつけるのが好きだった。だから一層苛々は募るばかりだ。
 何勝手に嗅がせてんだよ、と。
「笠松センパイ! 助けてっス!」
「知るかバカ」
「ヒドイッ!」
 今は部活も終わってみんな着替えている最中だ。だからもう主将の俺を取らなくても良い気もする。しかし部室と言う場所がぐらつく天秤に逆転を許さない。
 キャンキャン喚く恋人はどちらかと言えば後輩として助けを求めたのだろう。そうしてフラストレーションだけが満たされていく。
 あーダメだ。今日はいつになくダメだ。
「じゃ、お疲れ」
「えっ、あ、ちょっセンパイッ!」
 ロッカーをやや乱暴に閉め、俺は荷物を持ってドアへと向かう。背中越しに焦った声が聞こえたが構わず部室の外に一歩出た。
「最後の奴ちゃんと戸締まり消灯施錠返却怠るなよ!」
「まっ、待って!」
 声を遮るようにドアを閉めた。
「何やってんだ俺……」
 途端に自己嫌悪に陥る。脳裏を過ぎるのは何故か今にも泣きそうな黄瀬の顔だった。そんなん撮影じゃ取り直しだろ。
 何となくそのまま帰る気がしなくて足は自然と体育館裏へと向く。今日は学校の都合上早く帰るように言われ、黄瀬も居残りは出来ない。だから既に施錠されて閉じられた裏口からボールの音が漏れてくることも無かった。
 ずるずるとそれを背凭れにその場にしゃがむ。
 今の気持ちを一言で表すならば《嫉妬》。そんな事は分かっているし理解もしている。だからと言って今更どうこう出来ることじゃない。
 現に俺はあの場から逃げたんだ。これ以上見たくなくて。主将の俺が崩れそうで。
「センパイっ!」
「……あ? 黄瀬? お前何でここに」
「それはこっちのセリフっス! 俺めっちゃ走ったんスよ!?」
 折角シャワー浴びたのに。何て愚痴りながら俺の隣に腰を下ろす。至極当たり前のように。
 近くで見ると額や首筋に汗が滲んでいる。シャンプーの香りに混じって鼻腔を擽った。
 俺の好きな髪。俺の好きな匂い。理由なんてそれだけで充分だろう。指が触れる理由なんて。
――何かお前いつもと匂いが違う
――あ、分かるっスか? この間ヘアメイクさんにサンプル貰ったんスよ
――ふーん
――臭い……っスか?
――いや、全然。寧ろ好き
 それ以来今まで愛用していたものを変えたのは勿論気付いている。俺の為に。
 それが凄く愛おしくて髪越しにこめかみに口付けた。
 ああ、そうか。
「セッ、センパイ……?」
 俺は端っから天秤にかけてなんかいなかったんだ。
 それに気付いたら何だか無性に笑えてくる。だからそれを隠すように黄瀬の首に顔を埋めた。汗臭いと焦った声を発していたがそれもひっくるめて好きなんだよバカ。
「お前の前じゃいつだって俺は恋人何だよ」
「え、何、今更……」
「バスケやってなきゃ俺は主将で居られなくなってんだ」
「何を言って……」
 アストライアの天秤は悪が下がって善が上がったと言う。だったら俺は恋人の俺が前者に相当するはずだ。
「……っ!」
 隠れている耳の後ろに軽く唇を落とす。それだけでこいつは反応する。
「笠松センパイ」
「ん?」
 若干震えた声で俺を呼ぶ。いつもの懐っこいそれとは雲泥の差があった。
 どうした? とキスを止めて目を合わせれば不安げにそれが揺れている。ああ、俺のせいだなと理解するのに時間は要らなかった。
「もう、怒っ」
「悪かった」
 言わんとしている言葉は何となく予想出来て、全て言われる前に謝罪する。我ながら卑怯だとは思う。
 当然黄瀬の目はくりっと丸くなり見事なアホ面だ。
「黄瀬」
「は、い」
 ビクッと小さく肩が揺れる。指先に髪を絡めながら両手で頬を包む。汗でヒヤリとした指先と黄瀬の体温が直に伝わる掌が心地良い。
「二度と直接髪の匂い嗅がせんな」
「え……あ」
「返事」
「……はいっス!」
 ふわっと笑う顔は反則だろう。だけどもっと反則なのは、俺が顔を近付ける前にアイツがフライングした事だ。
 黄瀬が動いたからまた好きな匂いがふわりと漂う。
 さて、此処は体育館裏。歯止めを効かせるべきなのか主将の俺と恋人の俺を矢張り天秤にかけなくてはいけないだろうか。
 この場合どちらが上がるかじゃない。どちらを上げるかだ、なんて。

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