鮭様


――それは一枚の紙から始まりました。
「スマッセーン! ちょっと先生に呼ばれて遅くなったっス!」
 そう言ってバタバタと体育館に黄瀬君が入って来たのは二時間も前のこと。その時は誰も何も気にしなかったんです。彼は偶にそう言う事があったので、恐らく今回もその類なのだろうと皆さん思ったのでしょう。ボクもそうです。
 しかしそうではないと知ったのはレギュラー陣が部室で今週末の練習試合について赤司君から話を聞いていた時です。連絡事項は全て終わり、各々のロッカーで着替えを再開しました。そしたらヒラリと一枚の紙がボクの足元に落ちてきたんです。
「……黄瀬君」
「何スか黒子っち?」
「これ、君のですよね」
 疑問文でありながらも疑問符を付けなかったのは紙に《黄瀬涼太》と書いてあったからだ。紙は白いコピー用紙ではなく、B4サイズの茶色いざら紙。名前の横にある長方形の囲いの中には赤色で《46》の文字。数字の下部には一本の線が引いてありました。
 これは、明らかに……。
「解答用紙、ですよね」
「うわあああっ!」
「なになにー? あ、それ今日返してもらったやつだしー」
「歴史か。しかし何なのだよこの数字は。人事を尽くさないからこうなるのだよ」
「え、お前そんな頭良かったのかよ!」
「……大輝?」
 赤司君の笑顔が氷点下に達しました。同時に部室の室温も下がったようです。
 皆が青峰君にジト目を向ける中、緑間君が解答をまじまじと見て黄瀬君に言いました。
「《4192年》なんて普通に考えて有り得ないのだよ。まだ二〇〇〇年が始まって半世紀もいっていないと言うのに!」
「え、でもそう言う覚え方っスよね?」
 紫原君が自分のバッグの中から歴史のテスト用紙を引っ張り出しました。ボクも彼の横に行ってそこの問いを確認してみれば《鎌倉幕府が開かれたのは何年か》と言う初歩的な問題でした。
「涼太、覚え方は《よい国》じゃなくて《いい国》だ」
「……あっ!」
 あっ! ではないと思います。うっかりにも程があるかと。
 黄瀬君のハッとした表情は酷く可愛らしいですがテストにその可愛さは通用しません。
「いーくにつくろー鎌倉幕府って言うだろーが。ハッ、バッカじゃねーの!」
「うぅ〜、何か青峰っちに言われるとムカつくっス」
「峰ちんは正解したのー?」
「ったりめーだろっ!」
「ならば見せてみろ、青峰」
 緑間君が眼鏡のブリッジを上げながら言いました。紫原君が不思議そうに見ていたのに気付いたのでしょう。
「オレ達のクラスも今日返却されたのだよ」
 と、言葉を付け足したので紫原君もなるほどと相変わらずの間延びした声で答えていました。
「あー、どこ行ったっけな……お、あったあった」
 取り出されたものはゴミ――基、ゴミと化した解答用紙です。緑間君は今日返して貰ったと言っていましたが一日も経たない内にくしゃくしゃになるものでしょうか。
 黄瀬君のは比較的保存状態も綺麗なのに対して青峰君のは惨劇とも言える凄惨なものです。まあ、彼らしいと言えばらしいのですが。
「おい、青峰。お前も間違っているのだよ」
「あれ? そーだっけ?」
「何故お前らは揃いも揃って未来の西暦を書いているのだよ! しかも青峰に至っては有り得ない数字になっているのだよ!」
「へぇ、《11922960年》……ですか。しかも点数がギリギリにも程がありますね」
「青峰っちの方がバカじゃないっスかぁ!」
「大輝、もしかしてこれは《いい国つくろう》まで書いたのか?」
「間違ってねーだろ」
「間違っているだろう!」
 緑間君が深い溜め息を吐きましたね。ボクも頭が痛いです。まさかここまでとは思いませんでした。しかしこれでもレッドポイントを跨がないのは矢張り桃井さんのノートのお陰なのでしょう。
 良かったですね、青峰君。持つべきものは才色兼備の幼なじみですね。つくづく青峰君の幼なじみが桃井さんで良かったと思いました。
「いやでもアレじゃん? 昭和から平成に変わったらまた一からだろ。だったら鎌倉から数えてったらそれくらいになんだろ」
「西暦と年号を混同するな」
「まあ、どーりで解答欄も狭ぇワケだわ」
「解答欄の大きさで判断するのは止めろ」
 緑間君、いちいち突っ込んでいたら此方の体力を削がれるだけですよ。本当に君は律儀ですね。
「じゃあ、涼太が先生に呼ばれていたのはまた仕事関係や出席云々じゃあないんだな?」
「そっス! 『お前次はもっと頑張れよー』的な注意と激励だったんスよ」
 罰が悪そうにシュン、と眉を下げて笑う黄瀬君は飼い主にごめんなさいと謝っている犬そのものでした。赤司君も耳と尻尾が見えたのか、けづやのいい頭を撫でています。そんな黄瀬君はとても嬉しそうに笑っていました。
 ボクも後でフォローを入れて頭を撫でようかと思います。
「黄瀬。次のテストの時は仕方がないからお前の勉強を見てやるのだよ」
「えっ! 本当にっ!? ありがとっス、緑間っち!」
 緑間君、抜け駆けですか。それはいただけませんよ。
「黄瀬君、ボクも微力ながらお手伝いしますよ」
「黒子っち……ッ!」
「黄瀬ちんがやるならオレも黄瀬ちんに付き合うしー。ね、赤ちん?」
「紫っち! ありがとうっ!」
「そうだな。八割はとれるように扱くから覚悟しておけ」
「う、あ、は……はいっス!」
 耳がペタンと下がったのは赤司君に恐怖を感じたからでしょう。しかし八割とは大きく出ましたね。まあ、半泣きの黄瀬君が見られる予感はしますので黄瀬君には申し訳ありませんが、ボクは今から楽しみです。
 こうして解答用紙が持ち主の手元に戻って来た時、ふと黄瀬君が思い出したように声をあげました。皆着替えを再開させた直後だったので先程とあまり格好は変わっていません。
 変わった所と言えば紫原君のお菓子が違う味の物になり、緑間君がネクタイを締め、赤司君がバッグのチャックを閉めているところで、青峰君は豪快にズボンを脱ぎ捨て、黄瀬君の陶器のように白く艶めかしい美脚はスラックスの中へと隠れてしまった事だ。ボクは練習着のシャツから制服のワイシャツになりました。
「あ、忘れてたっス。青峰っち!」
「おい、今日はもうやんねーぞ」
「ワン・オン・ワンじゃないっスよ! 青峰っちも歴史の先生に呼ばれてたんじゃないんスか?」
「あ?」
「オレが職員室に行った時、『青峰は一緒じゃないのか』って言われたっス!」
「知らね」
 確かに、あの点数で黄瀬君が呼ばれたのにそれ以下の点をとった青峰君が呼ばれないのは不自然です。
 そう思っていたら矢張り彼も呼ばれていたようで、
「青峰、お前職員室に行っていなかったのか!」
 と緑間君が驚いていました。
「もー、ダメじゃないっスかぁ」
「うるせー。いーんだよ別に。どーせただの説教だろ? いーじゃんか。赤点じゃねーんだし」
「良くないだろう、大輝」
 青峰君の言葉に被せるように言ったのは赤司君でした。その口調は酷く穏やかなのにまるで温度を感じません。挙げ句ロッカーの扉を閉める音が大層派手な音を出していました。
 音が語っています。赤司君は大層ご立腹である、と。
「明日は行けよ? 朝一で、だ」
「はぁ? ヤだよ面倒臭」
「行け」
「……」
 久々の圧力を感じます。関係の無いボクらまで嫌な汗が背中をツゥ、と一筋伝いました。
 青峰君、ここは素直に頷いた方がいいですよ。赤司君の第三の目――額にあると言う部内では暗黙の了解で専ら有名な噂がある――が開かない内に。
「わぁったよ。行きゃいーんだろっ」
 ったく面倒臭ぇー、なんて愚痴りながら本当に気怠そうにシャツのボタンを留めていました。
「勿論オレも付き添うけどな」
「はっ!?」
「当然だ。ちゃんと大輝が行ったのか、そして土下座しながら誠意をもって謝罪したのか見届けなければならない」
「イヤイヤイヤイヤなんだよ土下座って!」
「知らないのか? 相手に恭順の意を表すために地上に跪いて礼をすることだ」
「んな事を言ってんじゃねーよ!」
 青峰君は相当動揺しているようです。ボタンの掛け違いが甚だしい。
 我が部のエースとキャプテンが口論――と言っても青峰君が突っかかって、赤司君が言いくるめる事の応酬なんですが――している最中、おずおずと黄瀬君がその間に入っていきました。
「あ、あの、それなら明日オレも一緒に行くっス」
「黄瀬ちん今日行ったじゃーん」
「でも、青峰っちに伝えるの忘れたから明日行く事になっちゃった訳だし、オレが体育館に行った時にちゃんと伝えてたらそうはならなかったんだし、オレにも非はあるんで……」
 だから、せめてそう言う事情があった事は先生に伝えたい、と。そう黄瀬君は言い出したのです。まるで主人公を庇う犬です。
 そんな黄瀬君の天使発言にいち早く反応を示したのは我らがキャプテンでした。
「涼太がそんな事をする必要は無い。そもそも行かなかった、行くのを忘れていた大輝の責任だ。しかし涼太は優しいな。大丈夫。オレが責任を持って見張るから涼太は自分の練習に専念しろ」
「赤司っち……」
 赤司君が黄瀬君の頭を撫でている最中は赤司様が引っ込んでいました。まあ青峰君に向き直ったら再び現れるのでしょうが。
 しかし赤司君が微笑しながら心配顔の黄瀬君の頭を撫でる様子はまるで天使が二人そこに居るようですね。
「黄瀬ちんいい子ー」
「紫っち……」
 やや力加減を誤っていますが、紫原君が後ろから頭を撫でている様子は妖精が天使を慰めているかのようです。肩越しに見上げる黄瀬君の表情は少し和らいだように見えます。
「お前は余計な事をせずにしっかり朝練に参加して少しでも技術を磨け。それが今の黄瀬にとって人事を尽くす事なのだよ」
「緑間っちぃ」
 乱れた髪を整えるようなタッチで頭を撫でる緑間君は本当に侮れません。しかし彼の言葉に何か感じる事があったのか瞳が潤ったいるような気がします。
 こうして見ると最早母と娘ですね。
 ああでも今こそ波に乗るべきですよね。先程は乗り遅れましたから。
 だからボクはロッカーを離れて黄瀬君の目の前に移動しました。勿論、彼を慰める為に。
「黄瀬君、明日は青峰君も居ませんからボクがストレッチの相手をしますよ」
「黒子っち!」
 ガバッとボクに抱き付いてきた黄瀬君の頭をポンポン、と軽く叩く。そして背中に腕を回してゆっくりと頭を撫でればゴロゴロと喉を鳴らす猫のように至福の表情を見せてくれました。天使にふれたよっ! ってこういう事を指すのでしょうか。違いますか。
 黄瀬君を中心に前後左右がボクと紫原君、赤司君と緑間君によって囲まれている中、ボクの背後で一人ベンチに項垂れる青峰君を受信しましたがもう暫くは放置しておくつもりです。 




【ギャグ 甘々】
すみません、ギャグって意識して書いたことなくて一体どの様な物がギャグになるのか全く見当もつきませんでした。

こうしてリクエストを募って自分が何を苦手としているのかが浮き彫りになりますね。お恥ずかしい。しかし良い切欠と経験になりました。
リクエストありがとうございました。




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