紫織様
目を覚ましたのがまだ日が昇らない四時半だった。時間を確認するや否やオレは体を勢い良く起こす。
ヤバい。寝てしまった。
昨日、青峰といつも通り一対一に付き合って貰って軽くシャワー浴びて帰路に着かずにそのまま事務所へと向かった。マネージャーと約束していた時間は過ぎていたが現場に向かうには差し支えない。
テーマが夜景デートだったので神奈川で少し遅い時間での撮影だった。だから部活後でもいけると思ったオレは話を貰った時、二つ返事で承諾したのだ。
しかしまさか相手が噂以上の高飛車で自意識過剰な自尊心の塊みたいなモデルだとは誰が思うだろうか。紙面で見るだけならば可愛いと思っていたけれど。
その時感じていた不安が見事的中し、時間は押すわ現場の雰囲気は険悪になるわで最悪だった。オレの性格も災いして、場の雰囲気悪化を阻止する為に一人奔走する羽目になる。お陰でペナルティー以上に疲れた。
マネージャーの車で少し眠り、家に着いたのが日付変更線をとっくに跨いだ頃。お礼を言ってドアを閉めて、意識が飛んだ。つまり、そのまま玄関で寝てしまった。
「体……痛い」
っつーか重い。
寝覚めは最悪だった。眠った気がしない。疲れも取れてない。寧ろ増した。
それでも朝のロードワークをサボる訳にはいかない。何せオレは帝光一弱小レギュラーだから。だからオレは体に鞭打って着替えに行った。シャワーは帰宅してからだ。
こうして無理矢理数時間で体を日常に戻す。朝練もこなし、授業は睡眠――初めと最後の五分はちゃんと起きていた――にあてて。少し非日常な出来事があったと言えば、何故か今日に限って呼び出しが多くて――最後の子何か時間ギリギリまで粘ってきたし――昼食を食べ損ねたことだろうか。
そうまでしてもオレが《いつも通り》動けたのはきっと麻痺していたからだ。足を引っ張りたくない、強くなりたい、赤司に認めてもらいたい、緑間をギャフンと言わせたい、紫原を驚かせたい、黒子に誉めてもらいたい、青峰に勝ちたい。それらの感情だけでここまで動いていたようなものだ。
だけどそんな予備バッテリーでも補えなくなるとオレはとうとう動けなくなった。
ぼんやりした頭に笛の音が聞こえる。
「一〇分休憩!」
体育館に赤司の声が響く。
ああ、漸く休憩だ。オレの体はいつも以上に休息を欲していた。だけど少し気付かない振りをし続け過ぎたようだ。
みんなが捌けるのに続いたつもりだったのだけれど、冗談抜きで脚が動かなくて、オレはその場で崩れるように倒れた。
何か、名前を呼ばれた気がしたけれど、スンマセン。ちょっと今は返事出来そうに無いっスわ――。
「――せ、……きせ……、黄瀬っ!」
「ん……っ、ンん〜?」
「黄瀬君、大丈夫ですか?」
「くろこっちぃ?」
聞き慣れた声に呼ばれ意識が闇の底から浮上する。ここは何処だろう。オレはここで何をしているんだろう。
段々意識がはっきりしてくると瞼がいつも通りの所まで開いた。ああ、部室の蛍光灯が眩しい。
「あちゃー、オレ寝ちゃってたんスね」
「バカかお前は。倒れたのだよ!」
あ、そうなんスかー。何て言って笑ってみたは良いけれど、自分でも分かるくらいに力が入らない。
「青峰君の反射神経の良さと抜群の瞬発力に感謝してください」
「峰ちんがスライディングキャッチしたんだよね〜」
「え、何スかその野球少年と白球みたいな」
「涼太」
顔を左に向ければ一人だけ赤司が其処にいた。みんな右側に居たのに。
呼ばれたからつい反射で返事をしてしまったけれどこれは間違いなくペナルティーが下される。
「理由を聞こうか」
「えと……」
「昨日から今日の行動を話せ。まだ話すのが辛いなら後でも構わないが」
「あ、いや大丈夫っス。ただ、まだ起き上がれそうに無いんでこのままでもいっスか?」
無礼は承知だが如何せん力が入らない。まるでゼンマイが切れた玩具のようだ。
赤司は「構わない」と頷いてくれた。
「青峰っちに付き合ってもらった後、仕事行ったんスけど結構押しちゃって――」
それから玄関で寝たことや推定睡眠時間、昼食を食べ損ねた事など洗いざらい白状した。話してたら何だか自分が情けなくなってきた。
「あ、ちゃんとペナルティーは受けるっス……」
「そうだな。じゃあ、今日はもう大人しく俺たちに全てを委ねろ。それから大輝との一対一は中止。これがペナルティーだ」
「へ?」
何とマヌケな声だろう。それでも誰一人バカにしなかった。右を見ても左を見ても。
だけどみんなの顔を見て、漸く気付いた。
「心配……掛けちゃったんスね」
眉尻を下げて笑う事しか今は出来ない。迷惑を掛けてしまった後ろめたさもあるけれど、何よりも心配してくれた事が嬉しかった。
「オレね、一番下手くそだし、経験浅いし。早くみんなの背中に追い付きたかったんスよ。だからいっぱい頑張らないとダメで。けどまだ足りないし、足も引っ張るし。それなのにこうやってみんなに迷惑掛けひぁあっ!」
話の途中だと言うのに感じた違和感で体がビクンッと大きく跳ねた。変な声で裏返ってしまったのもそのせいだ。
「なっ、なにっ何スか!」
感じた冷たさは額に乗せられた濡れたタオルだと気付いた。今まで気付かなかったのはそれが既に温いくらいに温まっていたからだろう。紫原がいつの間にか頭の方に回っていて「絞り足りない?」と顔を覗き込みながら言う。
紫原の力でそれは有り得ないのに。だから大丈夫だと、ありがとうと返したら安心したように微笑んでくれた。
そして突如両脚に感じた人の手は赤司と緑間で、両腕に感じたそれは青峰と黒子だった。これは一体何だろうか。新手のヤキ入れか。それならば仕方が無いのでオレは甘んじて受けるしかない。
「バァカ、大人しくしてろ。間違って筋肉傷めっかもしんねーだろ」
「痛くはしません。気持ち良くしてあげます」
「何か黒子っちの言い方腰にきたっス」
恐らく、否確実にワザとそう言う言い方をしたのだろう。だからオレもちょっと脚色して言ってみたのだけれど、あまり良くなかったらしい。
「テツよかオレの方が満足させてやれるぜ?」
「オレの絶妙な力加減が病み付きになっても知らないのだよ。だが、お前ならばいつでもやってやるのだよ」
「テクニックなら俺だろう? きっと涼太も虜になるよ」
「スマッセン、これ、今からやろうとしてくれてるマッサージの事っスよね? そっスよね?」
何だか心配になってきた。青峰はバカだし、黒子は冗談が苦手だし、緑間は真顔で冗談めいたことを本気で言うし、赤司は冗談も場合によっては本気になるし。
あれこれ考えていると、紫原が立ち上がる。
「じゃあ、何か栄養のあるやつ桃ちんに貰ってくるね〜」
「敦、飲み物も頼む」
「はーい」
生憎扉は見えないけれど、足音が遠ざかって行ったので彼は出て行ったのだろう。
そんな事を考えている間に筋肉がいい具合に刺激されて凄く気持ちがいい。
「あまり下手に触ると返って傷めるからあくまで軽くだが、多少疲労は緩和される」
マッサージもそうだけど、みんなの手の平から伝わる体温や額のタオルが心地良い。だけどそれ以上に、彼らの気持ちや愛情が伝わってくるような気がして擽ったさを感じる。
とろんと降りてきた瞼に抗えず、至れり尽くせりなこの状況に、漸く口元がいつもの弧を描くのが分かった。
【バスケやモデルを頑張りすぎて倒れる黄瀬を心配して看病するキセキ】
部室まで運んだのはきっと紫原です。
赤司が一番マッサージ上手いと思います。
>お祝いのお言葉ありがとうございます!
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