匿名様


 黄瀬には度々彼の中でブームが起こる。所謂マイブームと言うやつだ。それは不定期に訪れ、また、期間もまちまちである。
 いつだったかヘアアレンジ――自他に拘わらず――がブームになった時は三日と保たなかったが盆栽の時はひと月以上続いた。ほぼ同時にブームが来た七並べと麻雀は後者の方が長く続いたこともある。
 勝手に熱中して勝手に冷めるのは勿論黄瀬の勝手だが、時折他人を巻き込む型――先に挙げた七並べなど――のブームは正直迷惑極まりない。
 そんな彼の中に昨日から旋風が巻き起こっているものがある。それは――
「あ、テツヤっちー!」
「黄瀬君、次だったんですね」
「そっス! 久々の実験でちょっとワクワクしてんスよ。ね、敦っち!」
「ねー」
 そう、名前呼びである。《〜っち》は矢張り譲れないらしい。
「あ、今日は天気が良いからテツヤっちも一緒に屋上でお昼ご飯食べよっ」
「ええ、是非」
 黒子と黄瀬の小指が自然と絡み合い《指切り》をする。
「大輝っち達にも声掛けとかなきゃ」
「ボクから言っておきますよ。教室に戻る序でですし」
「ホントっ!? ありがとうっス、テツヤっち!」 
「じゃあ、戻ります」
「うん、ばいばいテツヤっち! 昼休みにねーっ」
 喜ぶ犬の尻尾のように右手を大きく左右に振る黄瀬に隠れて、黒子は紫原にだけ見えるよう指を四本立てた。
 それに対して紫原は二四と指で表す。
 一体何の数字かと言えば何という事はない。黄瀬に名前を呼ばれた回数だ。昨日突然始まったので今日からカウントする事にしているのだ。
 しかし矢張りクラスメートと言うものは強いらしい。懐いている黒子の六倍だ。分かってはいたものの矢張り悔しい。
 だからこそ黒子は言ったのだ。《ボクから言っておきますよ》と。黄瀬君からの伝言ですとでも先に告げれば眉間に皺を寄せるであろう人物を頭に思い描いていた。案の定、三者三様ではあるが《面白くない》と明け透けに語る表情を見られたので黒子の作戦勝ちだろう。
「わっ、流石征十郎っち! 早いっスねぇ」
 紫原と途中で合流した黒子と共に黄瀬は屋上へと姿を現した。さり気なく赤司の両脇に紫原と黄瀬を座らせる。
 途端にお腹の虫が鳴き出した紫原にクスリと笑い「先に食べるか」と赤司が提案する。少し迷っていた黄瀬だがしかし自身も空腹なのは変わりないので了解した。
 それから暫くして、屋上の扉が開く。姿を見せたのは色黒と眼鏡である。
「大輝っち! 真太郎っち! 遅いっスよっ」
 思わず先に進む足を止める。顔ごと黄瀬から逸らすのはつい、ニヤケる口元を隠すためだ。
 一つ緑間が咳払いをすると、素知らぬ顔で輪の中へと入って行く。紫原の隣に腰を下ろせば、残る青峰の場所は緑間と黒子の間である。
 漸く全員揃った事に黄瀬は満足しているようだ。たまごサンドを頬張る顔は大変ご機嫌である。
「大輝っちも真太郎っちも遅かったっスね。何の授業だったんスか?」
「数学なのだよ。少し時間をオーバーしたのもコイツのせいなのだよ」
 忌々しげに青峰を見やる緑間の視線を追って他の皆も彼に視点を定める。
「んだよ」
「大輝っち、まぁた寝てたんスかぁ?」
「うっせーな。お前らだって寝てるだろうが」
「オレは授業中寝たりはしないのだよ」
「オレ、今日はまだ現国しか寝てないっスよ!」
「寝るな!」
「ム。お菓子食べてたから今日はまだ寝てないしー」
「食べるな!」
「ボクは気付かれませんから」
「だからと言って寝ていいわけではないのだよ!」
「真太郎落ち着け。お前たち、何を堂々と寝る前提で話してるんだ?」
 赤司の尤もな言葉に「だって」と言葉を濁す。
「体力作りがまだまだ足りないようだな。特別メニュ」
「わああああスンマセンッスンマセンッ午後の授業はちゃんと起きてるから勘弁して欲しいっス!」
「そうか」
 真っ青な顔で必死に懇願する様は見ていて実に面白い。実際もう少し言葉で苛めてやりたかった気持ちもある。しかし如何せん「征十郎っち、ごめんなさい」と悄げながら謝るのでつい、緩む口元を隠す為に短い言葉を発したのだ。
 けれども嬉しそうに笑うものだから結局あまり意味は無かったのかも知れないが、苛め倒すよりも好感度は上昇したはずだ。
「所で涼太」
「何スか、征十郎っち?」
「ちょっと頼みがあるんだ」
「……へ?」
 赤司の口からでた《頼み》と言う単語に皆も瞠目する。今日は雨だろうかとすら考える者も居た。実際に口に出したのは青峰である。
「大輝、後でちょっと話そうか」
「あーいやオレ次体育だから早く行かねーと」
「次は英語なのだよ」
「時間は取らないさ」
 眼鏡のブリッジを上げる緑間を横目で睨み付けるが彼は自業自得なのだよと鼻を鳴らした。
「で、涼太。頼みを聞いてくれるかい?」
「オレに出来る事なら!」
「俺の事を《さん付け》で呼んでみてよ」
「へ?」
「涼太」
「……征十郎、さん?」
 少しまだ理解はしていないのか目を丸くしながらこてん、と小首を傾げる。しかしその言動に一同は只ならぬ感情が自身の中で沸き起こっていた。
――おい! 何なんだあの破壊力!
――知らんっ! オレ自身良く分からないのだよっ!
――何かでもー、こう、ムラッてきたよねー?
――何だかまるで新婚さんみたいですね。
 それだ!
 黒子の言葉に青峰、緑間、紫原は頷いた。
「おいっ黄瀬! オレらのことも《さん》付けろ!」
「えー……テツヤ、さん。敦さん、真太郎さん、……大輝っち」
「何でだよ!」
 呼ばれた彼らはこの上ない至福に満ちていた。名前を呼ぶとき、いちいち恥ずかしそうにしながらも目を合わせてくるものだから錯覚してしまいそうになる。我が嫁だと。
「だ、だって! 大輝っちって何か《さん》って感じじゃねーっスよ!」
「うるっせーな! つべこべ言わずにさっさと呼べよ!」 
「わっ、ちょっ! 大輝くんっ乱暴ダメ絶対!」
 暫しの沈黙が訪れた。
 そこで失敗だったかと感じた黄瀬は焦りながら言い訳を口にする。その際、胸座を掴む青峰の手に両手を添えて怯えながら上目で話す行動は無意識下にある。
「だって、大輝っちって大輝さんって言うよりどちらかと言えばご主人様とか大輝様って感じだしでもそれはちょっと流石に恥ずかしくて言えないしでも大輝さんは何かオレの中では違う気もするしって思った、んス……よ? 大輝?」
 眼前の青峰は口元を押さえながら黄瀬から顔を逸らしていた。ワケがわからなくて、つい「吐きそうっスか?」と的外れな事を訊く姿も今は目に毒だ。
 黄瀬は気付いているのだろうか。その言い訳に一体幾つの呼び名が入っていたことかを。
「あー、うん、そうだな。具合悪ぃからちょっと膝貸せ」
「あ、うん! どうぞっス」
 こうして難無く黄瀬の膝枕を勝ち取った青峰に《さん付け》で呼ばれた四人は奥歯を鳴らした。
「もっかい呼べ」
「へ?」
「もっかい」
「えと……大輝くん?」
「もっかい」
「大輝くん」
「もっかい」
「大輝くん。ってもーなんなんスかぁ」
 膝上の青峰の頭を優しく撫でるのは、少しでも具合が良くなりますようにと言う彼なりの気遣いだ。しかしそれを知る者は居ないと同時に黄瀬もまた、青峰が健康状態は頗る良く、寧ろ今にでも襲いかかれる程心身共に元気だと気付いていない。
 そんな青峰は膝枕をされながら、《くん付け》もなかなか良いかも知れないと考えていた。何故なら――
「赤司君との遣り取りでは新婚さんみたいだと思いましたが、青峰君の場合は学生時代からずっと付き合ってきた二人が伴侶と相成った、と言った所でしょうか」
「ならば今度は《先生》とでも呼ばせるのだよ」
「何かソレ危険な香りがするしー」
「真太郎、なかなかマニアックだね」
「なっ!」

 願わくは、このブームが長く続かんことを。 




【黄瀬がみんなを名前呼びでみんながデレる】
黄瀬にどうしても「征十郎さん/真太郎さん」って言って欲しかったんです。
しかし赤司をファーストネームで呼ぶ黄瀬は大物だと思います。
リクエストありがとうございました。



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