一良様


 梅雨前線がゆっくりと北上する中、東京は朝から大雨に見舞われていた。そんな、土曜日。
「ひくしっ!」
 雨でも部活はある。黒子は帝光への道のりをジャージ姿で歩いていた。そんな時だ。彼の日常に非日常的な声が聞こえた。
 一体何だろうか。そう思って当たりを見回しても分からない。そのまま歩き出そうとすれば再び、今度はハッキリとすぐ近くの鬱蒼と背の高い雑草が生い茂った空き地から聞こえた。
「あ」
 誰か居るのかと覗き込めば、鼈甲のように甘く透き通った大きな瞳と目が合った。

「お早うございます」
「よォ、テツ。珍しくギリギリじゃん? っつーか幾ら雨でもその濡れ方はねぇだろ」
「はぁ、まあ。ちょっと色々ありまして」
「色々と言うのは、テツヤの後ろに居る奴の事か?」
 赤司が指で示した方に「え」と振り返る。そこには先程空き地で出会った犬の耳と尻尾を生やした小さな男の子が立っていた。走って来たのか息が上がっている。
「何故体よりも大きい傘を差しているのだよ」
「あ、それは僕のです」
 来る途中で出会った事。既にずぶ濡れだった事。部活がある為傘だけ置いてきた事。全て話して「ついてきてしまったんですね」と未だに傘を差したままの子犬としゃがんで目を合わせる。
「早くその子拭いてあげたらぁ〜? まだ小さいのにずぶ濡れってマジ弱る条件揃ってるしー」
「その首輪も取った方が良いのだよ。明らかにサイズ――と言うかそもそも種類が違うのだよ」
「首輪ですか?」
 よく見れば締め上げるように着けられた真っ赤な細い首輪がある。それを見る為に顔を近付けて漸く彼の呼吸が苦しそうだと気付いた。
 気道を塞がれ長時間雨に打たれていたのだろう。爪も唇も真っ青だ。挙げ句黒子を追って走って来たともなればそれは自殺行為にすら感じる。
 ヒュー、ヒュー、と今にも消えてしまいそうな呼吸が何よりの証拠だ。
「見た所、その首輪は猫用なのだよ」
 猫の首は犬よりも細い為、ベルトの穴も長さも異なる。しかしそれを苦しくなるまで着けている所を見ると、ずっと前から穴の位置も変えられずに育ったのだろう。
 黒子がそっと首輪に触れれば大袈裟にびくりと肩を揺らす。
「っつーか邪魔」
 吐き捨てるように言えば強引に傘を小さい手から奪い取る。その際、床に雨水が飛び散ったのだがそもそも青峰がそれを気にするような性格ではない。
 強引に奪われたのもあって、小さな体はぐらりと傾いた。激突した先は褐色の足だ。
「い、……った」
「お前、名前は?」
 体育館に置いていたのか青いスポーツタオルが蜂蜜色の頭を覆う。ガシガシと乱暴に吹けば「いたい」「ごめんなさい」と鳴くので黒子が役目を自ら変わった。
「き、きせ」
「あ?」
「お……れの、名前」
「お前オスかよ!」
 キレーな顔してっからてっきりメスだと思ったわ。
 そんな青峰の言葉に赤司達も頷いた。
「その趣味悪ぃ服もさっさと脱げよ。テツの服貸してやれば? お前一番小せぇし」
「貸してあげたいのは山々何ですが、生憎僕もずぶ濡れなので」
「じゃあ赤ちんだねー」
「俺のシャツは高くつくぞ?」
 しかし赤司の表情はどこか楽しそうだった。彼が黒子と共に部室へと姿を消した時、拭う役は緑間にバトンを渡されていた。
「はーい、バンザーイ」
 間延びした紫原の声と共に泥だらけのシャツが引き抜かれる。身長の割に大きいそれはフリーサイズらしい。安っぽい白の無地に油性ペンで《拾ってください》と乱雑に書いてある。
「お前転んだのか? 至る所傷作ってんじゃん」
「あ……傘、の……人、追いかけて……必死、で」
「あーテツね」
 傷口に触れないよう注意を払って拭くあたり矢張り緑間に引導を渡して正確だろう。
 しかし自分よりも大きすぎる三人に囲まれている状況下で怯んだ様子は見られない。弱りつつあるのかもしれないし、そもそも現状を理解していないだけかもしれないが。
「救急箱とか持って来たがいいか?」
「赤司が気付かないとは思えん。恐らくシャツと一緒に持ってくるのだよ」
「首輪も外さねーとな」
 けれとも矢張り首もとに手を伸ばせば黄瀬の体は怯えるように震えた。
「すぐ終わっから」
 言葉の後にはブチっと鈍い音がついてくる。
「ほら、な?」
「峰ちん野蛮ー」
「まさか首輪を千切るとは思わなかったのだよ」
「あ? ちげーよ。普通に取ろうとしたら切れたんだよ!」
「けほっけほっ」
 急に酸素が入って来たからか噎せる。体をタオルで包みながら緑間が背中をさすった。
「お待たせしました」
 黒子の声に三人と一匹は一斉に其方を向いた。

「あおみねっち! もっかい、もっかいっス!」
「そろそろ自分の練習させろよ」
「もーっかい!」
「わーったわーった。やってやるから吠えるな」
「くろこっち! あおみねっちがもっかいっス!」
「良かったですね黄瀬君」
「青峰のあんな緩みきった顔は初めて見たのだよ」
「うるっせーぞ緑間ぁ!」
「大輝、鼻の下伸びてる」
「峰ちんエローイ」
「ふざけんな!」
 青峰のドリブルに合わせて黄瀬が動く。犬の割にはなかなか良い動きをするなと赤司は感心したように笑った。
 そんな時、ビターンッと派手な音と共に「ふべっ」と間抜けな声が響いた。
「おい、大丈夫か?」
「矢張りシャツの裾を結んでも大きいのだよ」
「いつかやるとは思いましたが」
「痛そー」
「大輝があんなに焦るとはな」
 青峰が抱き起こせば大きな瞳からボロボロと雫が零れた。
「黄瀬ちんおでこにたんこぶ出来てるしー」
「ぅあっ! さ、わ……っなっス!」
「冷やしましょうか」
 青峰に抱っこされたまま端へ移動する。手足の傷はシャツに隠れているが額は隠しようが無い。
「ひぁっ」
「我慢するのだよ」
 氷嚢を作る間、保冷剤で患部を冷やす。赤司が氷嚢を手にして近付きながら、口を開いた。
「そろそろ部活も終わるが、黄瀬はどうするんだ?」
 その言葉にびくりと黄瀬が反応する。一瞬にして不安と恐怖が綯い交ぜになった色を瞳に宿した。
「お、おれ、もう泣かないし鳴かないっス! 吠えないっス! おさんぽだって毎日じゃなくていいっス! あ、遊んでくれなくたっていいっス! おうちに、入れてくれなくったって、いいっス! いたいことも今度はちゃんとガマンするっス! イイコにしてるし言うこともちゃんときくっス! だからっ、だか……ら……」
 わんわんと必死に訴えかけるも、その声は段々と小さくなり、最後の方は消えてしまっていた。
 ぱた、ぱた。
 俯いた黄瀬から透明の粒がいくつも落ちる。やがて床に小さな水溜まりを生み出した。
「……寝坊したら置いてく」
「ッ!」
 頭上から降り注いだ言葉に黄瀬が顔をあげる。それでもまだ涙は静かに頬を伝っていた。
「飯はちゃんとやっから、さつきの手からは絶対ェ食いもん貰うんじゃねーぞ」
「あ……あおみねっち……?」
「取り敢えず」
 キュッと首に緩くタオルを巻く。それは先程黄瀬が頭や体を拭いてもらった物だった。
「それ、首輪の代わりな」
 初めに頭を拭いてもらった乱暴な手付きとは似ても似つかないくらい優しく撫でられた。それが酷く心地良くて、温かくて。
 首に巻かれたタオルに小さなシミが出来た。
「タオルじゃ……心もとないっス」
「へぇ」
 この時、恐らく黄瀬は初めて自分が犬であることを後悔しただろう。
 ぶっきらぼうに不満げな口振りで言ってみても、裾から覗く尻尾がパタパタと大きく左右に振られていたのだから。 




【黒子が、わんこ黄瀬(耳、尻尾有り)を拾ってくる。というかついてくる。なんだかんだ言いながらも黄瀬を可愛がる話。】
無駄に長いです。無駄に。
勝手にショタ化させてしまいました。いやしかし189cmで話を進めると流石に《可愛がる》のベクトルが違う方向に行きそうで(笑)
ただ、ショタ化したらしたでこう……転ばせたい、泣かせたいと言う感情が沸々と……。すみません。
きっとお風呂も寝るのも青峰と一緒です。朝は青峰よりも早く起きてお腹の上に乗って起こせばいいと思います。でも別に青峰が先で、置いてくとか言ったくせにちゃんと起こしてくれるデレ峰が居てもいいと思います!

>初めまして。いえいえこういう特殊な設定とか好きです私。一度犬化黄瀬は考えた事もあったので(その時は捨てられた所だったので)、こういう形で文章化できた事を嬉しく思います!
リクエストありがとうございました。



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