桜々様


――まあ、そうなるよね。
 いつかはこうなる日が来ると思っていた。
 一年間帰宅部を貫き通しバスケ部入部後二週間で一軍入り、程なくしてレギュラーの座を勝ち取ったイレギュラーな存在。更に売上も発行部数も上々の雑誌の顔でもある。そんな彼を帝光中で知らない者は居ないと言っても過言ではない。
 それはまだランドセルを背負っていた時も、引率の先生が乗る送迎バスに制服と黄色いポシェットを身に着けていた時もそうだった。少し規模が大きくなった所でそれは変わらない。
 当然その六年間及び三年間を平和に過ごせた経験など一度たりとも無かった。だから予期していたのだ。現在、顔も名前も知らない三人の男子に体育倉庫で囲まれている事を。
「お前マジウザい。死ねよ」
「何しに学校来てんだよ。ファンでも増やしに来てんの? バカじゃねー」
「何とか言えよ。いつもベラベラ喋ってんじゃん?」
「……なんとか」
「はあっ? バカにしてんのか!」
 ガッ、と鈍い音と共に左頬が熱を持つ。次に勢いがつきすぎたのか上体はぐらりと傾き、バレー部が使用するネットを張る為のポールに額右側を強打した。これは黄瀬も相手も誤算であっただろう。
 経験上、黙っていても言葉を発しても結果的には同じと知っている。ならば穏便に済ませるべきだ。しかし黄瀬の負けず嫌いが顔を覗かせると相手を煽る言動は最早必然に等しい。
 そもそも自分より一〇センチ以上も小さい人の拳を避けられない黄瀬ではないのだ。胴体視力も――憧れの青峰程ではないが――鍛えられている。けれども易々と殴りやすい位置に居るのは穏便に済むかも知れない可能性がまだ初めの頃はあったからだ。
 だから大人しくボディに一発目を食らわせてあげたし膝もついたしネクタイも外させてあげたし後ろ手に縛らせてあげた。
 しかし調子に乗るタイプだったらしい。それが分かった途端、黄瀬の中に穏便の文字は無くなった。
「……っテェ……」
 嗅覚を刺激する臭いはポールの錆かはたまた額の熱からどろりと重力に従って流れてくるモノか。いずれにせよ不快な臭いに変わりはない。
「き、今日はこの辺にしといてやるっ」
「そうか、じゃあ今から俺達が君らを扱くけど、いいよね?」
「教育係を解任された途端、サボられても困ります」
「この体育館は俺ら使わねーから探したっつーの」
「黄瀬ちんの荷物ついでに持ってきといたしー」
「黄瀬をどうこうするのは勝手だが黄瀬はモデルなのだよ。その体に保険金が賭けられているとよもや知らない筈はないだろう?」
 視線だけを寄越すと大きめの横開きの扉を五人の男――内三人の顔は上部が隠れている――によって塞がれていた。迫力満点、何て表現が温いかもしれない。
 逆光でハッキリと表情は見えないにしても、倉庫内にある小さな窓から漏れる光によって眼光鋭く此方を見ている事が分かった。黄瀬を囲む三人の体は明らかに震えていた。
 つい、口元が緩む。熱を孕む箇所も気にならないくらい、今は五つの光に意識を奪われていた。

「いたっ、ぁ……いっス!」
「我慢しろ。自業自得なのだよ」
 あれからすぐに部室へと連れて行かれ、今は備え付けの長椅子に緑間と向き合うように座っている。右の額には真新しいタオルを当てがい、青峰が押さえていた。
「黄瀬ちん、額の傷は大丈夫ー?」
「残りでもしたら治療費の請求も止むを得ませんね」
「あ、何かコメカミに近い生え際らしいんで、多分平気っスよ」
「動くな」
「いたいっ!」
 ロッカーに背を預けて並んで座る紫原と黒子の方を向いた為に、緑間から強制的に戻される。その際、首から嫌な音が鳴ったのだがそれに関しては本人だけが反応を見せただけで、周りは特に意に介した様子も無かった。
「大輝、そろそろいいだろう。代われ」
「ん? ああ」
 そっとタオルを外すと、思いの外着色していた。それを見た青峰が「うげぇ」と小さく声を上げる。
「頭の怪我は、小さくても沢山出ますから」
 隣に座った青峰の手にあるタオルを見ながら言う。紫原もそれを見て「うわぁ」と眉を顰めた。
「傷は小さいし浅いから大丈夫だよ、涼太」
「ホントっスか? 良かったー」
 丁寧に顔に付いた血液を拭き取る。その際に黄瀬の長い前髪は邪魔なので自分で避けさせた。
「ねぇ黄瀬ちん」
 バリ、と菓子袋を開封する音をBGMに紫原が呼ぶ。先程の様に顔を向けようとすれば、それを察知したのか僅かに顔が動いただけでそれは赤司の手によって阻まれた。
「傷口を広げたくなかったら大人しくしていろ」
「……は、はいっス」
 その短い会話の中で黄瀬の背中は冷や汗が伝う。
 赤司の言い付け通り、顔は動かさずに声だけで話の続きを促した。 
「今度から俺に言って欲しいしー」
「へ?」
「同じクラスだし、あんな奴ら捻り潰してあげるのにー。俺が一番黄瀬ちんを守ってあげられるよ。そもそも俺が一番心配したし」
「紫っち……」
 心配を掛けてしまった事への罪悪感で胸が痛む。
「バカ言ってんじゃねーぞ。それをお菓子食いながら言うかぁ?」
 そんな黄瀬のセンチメンタルな気分を八つ裂きにするような発言が被さった。その言葉だけでも横柄な態度であると良く分かる人物は黄瀬の知る限り一人しか居ない。
「っつーか黄瀬も黄瀬だろ。何ノコノコついてってんだよバカか」
「青峰っちにだけは言われたくないっス」
「今は言われてもしょーがねーだろうが」
「うっ」
「今度からそう言う呼び出しがあったら俺を呼べ」
 青峰の発言に思わずキョトンとした顔になる。しかし未だに顔は動かせないのでそれを見るのは赤司だけだ。
「お前にだけは何かあって欲しくねー」
「青峰っち……」
「ダメです」
 思わぬ言葉に黄瀬が絆されようとぐらついた心が黒子の一言で体勢を整える。青峰が不機嫌な声で反応したが黒子は撤回する所か反対意見を口にした。
「青峰君が加わっては事態の収拾はつきません。そもそも暴力沙汰になるのは火を見るより明らかです。黄瀬君のバスケ相手ならば適任でしょうが、こういった出来事に関しては不向きです。僕か赤司君か緑間君が一緒でない限り役立たずも同然です」
「テツてめぇ……」
 こめかみに青筋を立てる青峰に怯みもせず「事実です」と言えば青筋が増えた。しかしそれを黄瀬が知る由もない。
「だが、黒子一人でも役立たずに変わりは無いのだよ」
 ブリッジを上げながら言う緑間は、別段青峰を擁護するつもりなど毛頭無かっただろう。しかし事実を述べ且つ機嫌も取る手段としては持って来いだ。
 効果は直ぐに現れ、一触即発な空気も今はすっかり消え失せてしまった。
「面倒事は御免だが、こういう事は俺が一番適任なのだよ」
 だから、今度からは俺を頼れ。
 緑間の声音は酷く落ち着いていて、どこか安心させるものがあった。
 返事をしようと口を開けた瞬間、一足早く黄瀬の目の前に居る人物が笑う。
「ハハッ、確かに理路整然としているけれど、真太郎じゃあ論破は出来ても体は張れないよ」
「何でっスか? 緑間っち身長あるしバスケやるから握力もあるし結構頼りにな」
「使えても片腕しか無理だからね」
 たったそれだけの言葉ではあるが、その場に居た誰もがその真意に気付いた。勿論、あの青峰でさえも。
 それは暗に《左手は使わない》と言っていた。
「あーまあ、確かにな」
「みどちんってば左手に関しては超過保護だもんねー」
「利き腕を使えないとなるといざという時は本当に役に立たないかも知れませんね」
「お前ら……後で覚えておくのだよ」
「その点――」
 空気の流れが変わったような気がした。それは恐らく、気のせいではない。
 テープで固定したガーゼがズレないようにと円柱状の包帯を取り出しながら赤司は続けた。
「理論派で冷静に周りを見る事が出来、且つ暴力沙汰には確実に発展させる事もなく穏便に解決しこうして涼太のアフターケアも出来るのは、一〇〇人以上を束ね扱い辛い粒揃いの曲者達を統率する事が出来る、俺しか涼太は守れない――だろ?」
 治療の為にいつもより至近距離にある赤司の顔が一層近付いた。瞬間、互いの唇の間から短いリップノイズを立てる。
 今の一瞬の出来事に未だ状況を理解出来ていないのはどうやら黄瀬だけではないらしい。
 唯一全てを理解している赤司は黄瀬の頭を撫でると立ち上がった。
「さて、お前ら練習するぞ。遅れたら基礎練三倍だ。涼太は後でゆっくり来い」
 ハッと我に帰った五人が赤司を目で追うも彼の姿は扉の向こうへと消えてしまった。主将の背中と、勝者の笑みだけを残して。
「あ、あか……し……ち」
 急激に血流が良くなった指でそっと唇に触れる。こんなに心臓が活発に動いては、ガーゼどころか包帯までもが真っ赤になるのではないかとさえ思う。
 けれども実際は無機質な白さが染まる事はなかった。その代わり、温もりを持った白い肌が染まることとなるのも時間の問題である。 




【黄瀬君がいじめに遭うのを助ける。のちほのぼのしながら争奪戦】
あまりほのぼの感が出せませんでした。すみません;
リクエストありがとうございました!



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