櫻様


 まただ。
 得点板にぶつかった右足を見る。掠り傷が出来ていたけれど大したことはない。次の撮影迄に治ればそれでいい。
 例えそれが故意に付けられた傷であっても。
 こうなる事を予想出来なかった訳じゃない。寧ろなるだろうなとさえ思っていた。けれども一軍になる為、青峰と同じ土俵を踏む為に没頭していたらその事をすっかり失念していただけだ。
 今までにだって散々遭って来たのだから今更ではある。
「そんなに気に食わなけりゃ関わらなきゃ良いのに」
「あ? 何か言ったか黄瀬」
「青峰っちとワンオンワンしたいなーって言ったんスよ!」
 青峰とやるバスケは楽しい。悔しい事だらけだけど。
 緑間とのバスケは勉強になるし、紫原とやるのは面白いし、赤司とは怖いけど気持ちいい。
 黒子とやるのは驚きと新鮮でやっぱり楽しい。
 だから俺は彼らとバスケが出来るならば他はどうだって良かった。頓着しないし見て見ぬフリを通す。例えその態度が余計に相手を苛つかせる事に繋がっていても。
「うわッ! ……ッ!」
 だから、今更だけど、少しは何かしら反応してあげれば良かったのかなとかちょっぴり後悔してみたり。
 紅白戦で模擬戦中の事だった。
 ディフェンスを交わしてダンクをかまそうと踏み切った瞬間、足元でブチッと何かが切れる音がした。同時に不自然な力の入り具合と足元の違和感で俺はそのままゴール下に転倒。その際、先程とは違うメリッと嫌な音を体越しに聞く。
「黄瀬君!」
「黄瀬ちん大丈夫ー?」
 コートの外で観戦していた二人が駆け寄って来る。二人ほぼ同タイミングで各々左右の手を差し出すものだから思わず笑ってしまった。
「ありがとっス」
「まいう棒で手を打つよー」
「親切心じゃないんスか!」
 大袈裟に傷付いた態度をとってさめざめと泣く。今なら泣き真似をせずとも涙が出そうだ。
 ズキンズキンと鋭く重たい痛みが右足首から膝下くらいまで余韻を残して走る。やっちゃった。
「涼太、出ろ。真太郎、代わりに入れ。桃井は外か……ならテツヤ、涼太を頼む。敦はベンチまで運んでやれ」
 一人で平気だと口を開く前に赤司が目で「口答えは許さない」と訴えていたので俺は大人しく紫原に身を委ねた。
 ベンチに座れば直ぐに黒子がアイシングを始める。
「黄瀬」
「あれ、緑間っち。コートに入らないんスか?」
「靴紐が切れているのだよ」
 そう言って俺の手に片足のバッシュを乗せる。幾らハードな練習や青峰との勝負で酷使するからと言ってこんなに直ぐガタが来るはずがない。
 切れ口を見れば一目瞭然。鋭い緑間の事だ。何か感じ取ったかも知れない。
 けれどもそれ以上は何も言わず、さっさとコートの中へと戻って行った。
「黄瀬君、擦り傷が多いですね」
「あーまあ、そっスね」
 ドキッとした。否、ギクッとした、の方が適切かもしれない。足元にしゃがむ彼も彼で鋭い。人間観察が得意の事だ。緑間以上に気を付け無ければならないだろう。
 あーあ。面倒臭い。
「今日はこのまま病院へ行った方が良いです」
「や、でも」
「赤ちーん」
「ちょっ、紫っち!」
 結局赤司の命令には逆らえず、俺は一人部室でもそもそと着替え中だ。
――涼太。今日は病院へ行ったらそのまま帰れ。報告はメールでいい。それから癖がついたら困るからな。完治するまで大輝に近寄るな
「最悪」
 たかだか妬みや僻み、八つ当たりに結果として屈する事になるとは思いもしなかった。小学生と違い無駄に知識を得た中学生の方が非常に面倒だ。
「黄瀬君、怪我しちゃった? あーあ」
 ズボンは履き替えて、今から上着に取り掛かろうとしていた時だった。
「毎度毎度得点板の出し入れお疲れ様でーす」
「っんだと!」
「まあまあ」
 少しの嫌味で熱くなると言うことは紫原の子供っぽさをガキへと引き下げ青峰とは異なるバカの種類をぶっ込んだような奴か。小学生の時、決まってそう言う奴が一人は居たなぁと記憶を辿る。
 人数は五人。上級生二人、同級生二人、下級生が一人。何れも俺が二軍に居た頃見たことがあるような気がする顔触れだった。しかし名前迄は知らない。当時の俺は二軍は途中入部であるから形式上所属していたに過ぎないと言う考えだったから。
「アンタらのお陰で暫くバスケ出来そうにねーわ。良かったね」
「その態度が一々鼻に付くんだよ!」
「そろそろ澄ました顔以外も見せろよ」
「なぁ、モデルの黄瀬君っ!」
「ッ!」
 思い切り患部を踏みつけるように蹴られ痛みに表情が歪む。漸く見たかったものが見られたからかニヤニヤと下品な笑いを向けていた。
 流石にケガしたばかりで患部は熱を持ち、しかも応急処置と言う心許ない保護はその手の刺激には耐えられないようだ。何度か繰り返し与えられれば次第に立つ事もままならなくなる。
 その折を待っていたらしい。
 ドン、と押された俺の体はそのまま後ろへと倒れた。その際、近くのロッカーに頭を打ったが意識ははっきりしているあたり脳震盪は起こさなかったようだ。しかし痛い。
 これはもしかしなくともコブが出来たかも。
 何て頭部の痛みに意識を奪われていると、途端に呼吸が苦しくなる。ドスンと音が鳴ったような気がした。
 俺の腹部に跨るようにして座る男を睨み付ける。正直、苦しい。
「やっべえそそるわその顔」
「ふっ……ざけ、んンッ!」
 悪態をつく俺にお仕置きと言わんばかりの激痛に皆まで言えずに終わる。
 足首を掴まれ、爪先を持つなり右に左に前に後ろにとランダムに動かしていた。折角黒子が施してくれた処置も全て解かれ床に丸まっている。
「あっ、やめッ! アぁっ、イ……ッ!」
 ヤバい。これはマズい。痛いって。マジで洒落になんないって。
「俺イイコト思い付いたわ」
 最早嫌な予感しかしない。
 練習着を鎖骨が見える辺りまで捲られ同級生の一人がそれを持って固定する。益々嫌な予感しかしない。最早既に的中している。
「お前何か特に凌辱しがいがあるよな」
「な、に……」
 前屈みになって俺の耳元に唇を寄せると、そう囁いた。
 ああ、嫌な予感所じゃない。人生最大の最悪な事態だ。
 足は痛くて何か力入ってんのか入って無いのかも分からない。息は依然として苦しいままで正直頭に酸素が足りなくてボーっとしている。視界が霞むのはもしかしなくても涙出ちゃってる? 最悪。
「退……け、よ」
「涙目で虚勢張っちゃうわけ? 可愛いとこあんじゃんリョータ君」
「や、だ」
 とうとうスウ、と一筋の透明な道が出来た。
「それ以上は許さない」
 部室に通った凛とした声に震撼した。何で。どうして。
「赤、司……ち」
「取り敢えず黄瀬から退けよ」
 俺の腹上に跨る先輩の首根っこを掴むなり乱暴に退かす。突然体内に入り込んできた酸素に思わず噎せた。
「黄瀬ちん大丈夫ー?」
「青峰っち……紫っち……」
「応急処置もやり直しですね」
 体を起こしてくれた紫原とは反対方向の足元に跪く黒子がそっと足首に触れる。その指が優しくて目尻を通った道は、今度は頬に新たな道を作った。
「黒子っち……なんで――」
「一年が慌てた様子で言いに来たのだよ。《黄瀬先輩を助けてください》とな」
「緑間っち」
 入り口を塞ぐように立っていた緑間の背後から先程彼らと一緒にいた二軍の後輩が姿を見せた。それを上級生も同級生も裏切り者を睨んでいたが赤司の無言の圧力で大人しくなる。
「赤ちん怒ってるー」
「病院には緑間君が付いてくれるそうです」
 そう言って立ち上がる。それを合図に紫原が俺を後ろから支えて立たせてくれた。そこでいつの間にか応急処置が施されていたことに気付く。
 黒子っちの存在感の無さはこういう所にまで反映されるのだろうか。
 部室の脇では赤司と青峰が四人の二軍の前で睨みを効かせている。緑間の元へ行くのに彼らの側を通らねばならない訳だが矛先が俺でなくてもちょっと怖かった。
 この二人で大丈夫だろうか。
「心配無いのだよ。此処には黒子と紫原が残る。何とかなるのだよ」
「そ、スか」
「じゃあ、お大事に」
「黄瀬ちんまた明日ー」
「ありがとっス、黒子っち! 紫っち!」
 黒子の手から渡された荷物を受け取ろうとしたら緑間がさっさと自分の肩に掛けてしまった。慌てて取り返そうとすれば、怪我人は黙っていろと言われたのでそれ以上何も言えなかった。
 きっと、恐らく、彼らは俺にも怒っているはずだから。
「あ、あのっ」
「ん? ああ、キミ……」
 黒子っちくらいの背丈をした後輩が居心地悪そうに佇んでいる。控え目に掛けられた声もその身に纏う雰囲気からも罪悪感がひしひしと伝わってくる。
 だから俺は俯く彼の頭にポンと手を置いて、いつもみんなにされるみたくわしゃわしゃと撫でた。当然本人はびっくりして目を瞬かせている。だけど、漸く顔を上げてくれた。
「助けてくれてありがとね」
 そのまま俺は緑間っちに肩を借りながら覚束無い足取りで部室を後にした。
 そう言えば、赤司の指示に反して青峰に会ってしまったがしかしそれ以上考えるのは止めた。緑間に不思議そうな顔をされたので内容を話すついでにどう思う? と聞けば答えは俺と全く同じものが返ってきた。
「そんなもの、ノーカンに決まっているだろう」
「ですよねー」




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