流野様


 黄瀬の如何にも驚いていますと言う表情が好きだ。訂正。表情も、好きだ。
 大分日の入りの時間が遅くなってきているが、しかし八時を過ぎれば夜の帳が東の空から引かれてくる。
 黒子は門柱から預けていた背を離すとゆっくりと敷地内を見た。そこには、未だ校門から五メートル程離れた場所に立っている黄瀬の姿がある。
 薄暗い中でも少しの光を反射してきらきらと輝く金糸の髪は都会で見える星空よりもうんと綺麗だと感じた。そんな黒子はと言えば、校門近くに設置してある電灯の光を浴びてもその存在感は霞んでいるように思える。
「黒……子っ、ち」
 まるで確認するかのような声音に黒子は笑った。笑うと言っても本人にとってはの話である。
 金糸の下で白く縁取る輪郭は、普段とはまた違った美しさを纏っていた。周りの暗さと彼の元に届く光が少ないが為に彼のそれは朧月を彷彿とさせる。
「黒子っち……」
「はい」
 未だに信じられずにいるのか先程よりははっきりとした声で呼ぶ。それに対して黒子が答えれば、彼の瞳は益々大きくなった。
 そして、それと共に名前を呼ぶ声も大きくなる。
「黒子っち!」
「お疲れ様です、黄瀬君」
 東京に居るはずの黒子が神奈川の――しかもわざわざ海常まで赴いている事実を現実として処理出来たのか、立ち往生していた足を動かして一気に彼との距離を詰めた。目の前に来ると黄瀬の頭上から光が降り注ぐ。
 闇に潜む校舎をバックに立つ彼は、まるで闇夜に浮かぶ月のようだと思う。
 そんな月のような黄瀬が既に黒子が予想していた質問を口にする。
「黒子っち、どうして海常に?」
 時間も時間なだけに不思議でならないのだろう。更に彼は見当違いも甚だしい事を言う。
「俺、誕生日過ぎてるっスよ?」
「知ってます」
 ですよねー。黒子っちも電話くれたしねー。
 何てへらりと笑いながらも直ぐにその端正な顔の眉間に皺を寄せる。まるで月に浮かぶクレーターのようだ。
「じゃあどうして……?」
 さっぱり理由が分からないらしい。それもそのはずだ。何せ黒子は――
「……必要、ですか?」
「へ?」
「黄瀬君に会う為には理由が必要ですか?」
「……っ!」
 電灯による人工的な光と、その人工的な光に照らされ新たに生まれた間接的にしてアポロ的な月の光が重なる場所に立つ黒子はとても穏やかな笑みを浮かべていた。
 誰が見ても分かる表情の変化は珍しい。そんな稀少な場面を目の当たりにした黄瀬はほんのりと朱に染まる。
「あ、やっで、でもっ……来てるんなら連絡してくれても……」
 ふい、と黒子を視界から意図的に外した黄瀬は流暢に言葉を紡げないでいた。原因は主に激しく内側から己を主張している心臓のせいだ。その足掛かりになっているのは他でもない、黒子である。
「連絡したら、黄瀬君は自主練を切り上げてしまうと思ったので」
 随分と遅くまで練習しているんですね。
 そう言われては言葉が何も出て来ない。はくはくと口を開閉するものの、声や息さえも姿を現すことは無かった。
 それを区切りと見たのか、さて、と黒子が話の流れを変える。
「帰りましょう」
 スッと左手を黄瀬に向かって伸ばす。その指先は空中で海常の敷地内へと侵入している。
 突然の行動にしぱしぱと長い睫毛を上下に動かして瞬きをする。じっと黒子の差し出した手の平を見つめていた。
「黄瀬君」
 名前を呼べばその視線は黒子へと向けられる。
「一緒に、帰りましょう」
 そっと右手が重なれば、逃がすまいとぎゅっと握った。
「はいっス!」
 いつの間にか月からクレーターは消え去り、代わりに眩しい程の輝きを放つ。腕を引けば門を動かす為のレールを軽々と飛び越え、黒子と同じアスファルトへと移動した。
 静寂を纏う夜に二人分の足音だけが耳の奥で谺する。
「今日は一段と……月が綺麗ですね」
「え? でも今雲に隠れてるっスよ?」
「そっちの意味で言ってませんよ」
「え……? じゃあ、一体何……あ。あ、あー、あーっ! もうっ! あー……もう、本当、不意打ちとかダメっスってばぁ……」
 答えを求めようとしていた黄瀬が他の意味に心当たりがあったのか途端に繋いだ手に力が入り、ビクッと小さく震えた。
 それは付き合う切欠になった、黒子から言われたそれと同じだったのだから本を読まない黄瀬にも理解出来る。
 夏目漱石の有名な翻訳の言葉だ。
「もう一つ、意味があるんですけどね」
「何か言ったっスか?」
 紅潮した頬のままチラリと黒子を見る。
「いいえ、何も」
 いつもの無表情の中にどこか楽しげな顔を潜ませる。
「ただ」
 そして黄瀬が固く手を握っているのを良いことに、くいっと自分側に引き寄せて前のめりにさせた。近付いた耳にそっと唇を寄せる。
「綺麗ですよ、黄瀬君」
 それは五秒にも満たない時間であったが黄瀬の体内に籠もった熱が首や手に伝わるのにもっと時間は掛からなかった。
「くっ……く、くろっ……く、ろこっち……」
 一歩先を歩く黒子の表情は黄瀬からは見えない。また逆も然り。
 だからこそ知る由もなかった。じわりと汗ばんだ繋がれた手の平の熱は一体どちらの物なのか――それが自分のものだけではない、と言うことを。



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