火黄


 初恋は? と訊かれたら「幼稚園の時に近所に住んでいたお姉さん」と答えた。これは問題を回避する為の偽物の答えだ。けれども模範解答である。同い年の勘違い女を寄せ付けない為の策だった。
 勿論、「近所に住んでいたお姉さん」なんて人は居なかった。どちらかと言えば「おばさん」と言える年代だろう。
 正直な話、オレは初恋の年齢を覚えてはいなかった。誰それが好き、何て言うのは確かに幼稚園児の時にあった気がする。けれどもそこに恋愛感情が芽生えていたのかと問われれば簡単に頷く事は出来ない。分からないからだ。
 それからと言うもの、明確に「好きな人」と言える類の人は出来なかった。昔から何かと女の子が寄って来ていたのも原因の一つかもしれない。モデルを始めてからは顕著で、付き合う女は皆、モデルの黄瀬涼太を見ていた。時間を割いて受けた愛の告白も、暇潰しにすらならなくてただただ時間を無駄に過ごすのみ。それの繰り返しに嫌気が差してきた頃出会ったバスケにオレは恋をしたのかもしれない。なーんて。
 青峰っち達の存在は確かに大きかった。このオレが一週間も、一ヶ月も、一年以上も続けているのだからそれは本当に凄いことだと思う。しかしそれだけじゃない。今、続いているのはそれだけでは無い気がした。
「恋に落ちる音ってどんな音っスか?」
「はぁ?」
 偶々、本当に偶然バッタリ人がごった返す東京の街中で出会った火神っちとフードコートの四人掛けの席で対面している。火神っちはそんなオレの質問に「こいつ何言ってんだ」とでも言いたげな目を向けた。
「お前何言ってんだ?」
「ですよねー」
 知ってるっス。
 本当に分かり易い男だと思う。素直すぎると言うかバカ正直と言うか。あ、これってもしかして同じ意味だった?
 聞いた話では思った事を口にした事で桃っちの女心を荒らしたとか何とか。お蔭で黒子っちの株がうんと上昇したらしいので、まあオレとしてはちょっぴり感謝していたりもする。
「オレ、女の子に困った事はないんスけど」
「死ね」
「ちょっ、ヒドッ……! そのマジな声で言うのやめてっ!」
 話をもう少し深く掘ろうと口を開けば火神っちも口を開く。それは明らかに本心と分かる声音だった。流石に傷付く。
 数ある店舗が軒を連ねているのに火神っちは安定のマジバのチーズバーガー山盛りだ。勿論この「山盛り」は比喩でも何でもない。見たまんま。山盛り。
 オレはと言えば、値段の割になかなか美味いと評判のうどん屋さんで購入した月見うどんだ。もちもちの太麺を啜りながらオレは話を続けた。
「そうじゃなくて、オレ、女の子に好かれることはあってもオレからはあんまりだなー……ってか、ぶっちゃけ無いんスわ」
「へー。意外だ……でもねーわ」
「えっ!」
 火神っちの反応の方が意外だった。思わず箸で摘んでいたうどん麺がつるんと器の中に吸い込まれていく。
「まさか火神っち、オレがホモとか思ってたんスかっ?」
「はあ? 違ぇーよ。ただ」
 真っ昼間にするような話しでは無いかも知れない。けれどもこの時のオレはそれを考える余裕もどこかに忘れてしまっていた。
 そんなことよりも、火神っちの言葉の続きが気になったのだ。
「お前って、誰かと居る時っつーか、バスケしてる時が一番良い顔してるよなって」
「そ、スか……」
 何故か上手く笑えなかった。引き攣ったものではなくて、何処からやってきたのかま分からない照れのせいだ。心臓の音がやけに耳に残る。まるで鼓膜の直ぐ傍で動いているかのようだ。
 オレは誤魔化すようにグラスに注いだ水を飲み干す。
「いいんじゃね? もういっそのことバスケに恋してるっつーので」
「アハハ、何スかそれ」
 ちゃんと笑えている自信が無い。心臓の音は益々五月蠅くなる一方で落ち着きを見せずにいる。グラスを持つ手も緊張しているのか思ったように力が入らない。
 最早此処ではどう誤魔化すことも出来ないと悟った。だから一呼吸置いて、火神っちを呼んだ。
「ねぇ、ワン・オン・ワンしないっスか?」

 オフェンスもディフェンスもくるくる変わる。入れて入れられて、止められて止めて。繰り返し行われる攻防戦はとっぷり日が暮れるまで続いた。
 今ではお互い屋外コートに仰向けに寝そべりながら息を整えている状態だ。
「食後だから、軽くって、言ったの……誰だったっスか?」
「うっせ……。お前だって、熱入ってたろーが」
「ハハッ! 言い返せねーっスわ」
 汗を掻いた衣服は気持ちが悪い。けれどそれ以上に火神っちとのバスケは気持ちが良い。
 違う。青峰っちとも笠松センパイとも違う。楽しいのは同じ筈なのに、何かが違う。
「――ドキドキする」
 殆ど無意識だった。唇から滑り落ちた言葉は運悪く、隣に居た火神っちに拾われてしまった。
「は? ったりめーだろ。こんだけ動けば」
 けれど少しニュアンスが違った。そう言う意味じゃないんだよ。なんて、言えるわけないのだけれど。
――じゃあ、どういう意味?
「……っ」
「黄瀬?」
 どうしよう。気付いてはいけない何かに気が付いてしまった気がするのは気のせいだろうか。どうか気のせいであってくれ。けれども気のせいにはしたくなかった。矛盾している。ぐちゃぐちゃの心の中は、それでもたった一つの真実にだけは絡まっていない。
 火神っちが怪訝な表情で訊ねてくる。
 やめて。見ないで。
 何で?
 だって。
「恥ず、かしっ……!」
「どうした、黄瀬? 大丈夫か?」
 今度の呟きは無声音に限りなく近かったからか、聞かれる事は無かったらしい。それでも、突然オレが両腕で顔を覆ってしまったから、火神っちの声は心配の色を含んでいる。
 そんな些細な事すらも、オレは嬉しいだなんて。隣で感じる彼の存在が、嬉しい。
「恋に落ちる音は分かんないっスけど」
「は?」
「恋に落ちた音は分かったっス」
 運動後とは違う心音がまるで別物みたく感じる。物は同じなのに知らない音だ。高鳴り、逸り、指先などの細部に緊張を促しているくせに、心地良い。苦しいのに、愛おしい。こんな感覚は初めてだった。
「なんか良く分かんねーけど」
 天然皮革が磨り減り若干つるつるした面積が多いボールが、ゴールネットに触れながらすり抜けていく音が鳴る。
 腕の間から火神っちを見ると、彼の右腕がゴールに向かって伸ばされていた。火神っちには青峰っちみたいなフォームレスシュートは打てない。つまり、今し方入ったそれは本当にまぐれ当たりだ。それは彼自身も分かっているのか「お、ラッキー」と漏らしていた。
 そして視線は再びオレに戻される。まさか此方を向くなんて思ってもいなかったから、今度はしっかりと目が合ってしまった。今更腕の中に隠すことなんて出来ない。それ以前に、視線を逸らせなかった。
「案外、あんな感じの音かも知れねーなっ」
 無邪気に笑う顔は、いつもの人相の悪い目つきは何処へやら、年相応かそれ以下だ。胸がきゅう、と締め付けられる。ああ、ほらまただ。恋に落ちた音が鳴る。
「……かも、しれないっスね」
 バスケに恋をしたと言うのならば強ちそれが答えかもしれない。けれども生憎オレはバスケを超えて恋をしたんだ。してしまったんだ。恋を知らされたんだよ。
――アンタに。


【(どちらかが)恋を自覚するはなし】火神でも良かったのですが、黄瀬に自覚させてみました。きっとこれからは火神のナチュラルタラシを存分に受けるのだと思います。ここから黄瀬のアプローチが始まって、時には黒子も利用してみたり(そしてそれを黒子は薄々気付いている)、そこで段々火神は自覚症状が生まれてきて両片思いとか好きです。火神が、黄瀬は黒子が好き、と誤認識していたりして擦れ違いが起こったり、青峰や笠松も無関係なのにとばっちりで巻き添え食らったりしても面白そうですね。勿論当事者は楽しくないでしょうが、私は楽しいです!(笑)

>こんにちは。この度は企画へのご参加、誠にありがとうございました。
此方こそ誤解を招く記載の仕方をしてしまい、結果、はじ様のお手を煩わせてしまう次第となってしまい大変申し訳ありませんでした。
今回の事を反省し、次回からはそうならないよう「傾向」のページに一文加筆致しました。
まだまだ不備な所も有り、この先もご迷惑をお掛けしてしまう事もあるかと思います。それでも宜しければまた何かしら企画を立てる事があるかと思いますので、是非またご参加くださると幸いです。


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