紫織様


――男の嫉妬は醜い
 いつだったか森山が部員の誰かに言っていた。あれは確か黄瀬が初めて試合に出た日だったと思う。
 試合と言っても近隣の高校との練習試合だが、それでも休日にも限らずギャラリーが沢山居た。練習試合ではまず考えられない程の人数で正直驚いたのを覚えている。海常の生徒も少なくなくて最早驚きを通り越して疑惑の目へと変わる。そして敵味方関係無くギャラリーは叫んだ。
「黄瀬君」
 と。
 そこで漸く合点がいった。周りから聞こえる黄色い声の正体は女ばかりだからで、全員が黄瀬目当てであること。
 その時に、誰かが羨望だか嫉妬だかの発言をしたのだ。そうだそうだ。
 そこまで思い出すと何故か頭はスッキリした。けれども直ぐにまた前の状態に戻る。前の状態とは、胸の辺りがモヤモヤして正体不明のイライラが募りザワザワと心がざわついている状態のことだ。
 かれこれ小一時間はそれが続いている。
 原因は将に、今、現在進行形で、目の前に、ある。小一時間前から。
「だか(ら)、そこの《what》は疑問詞じゃなくて関係代名詞だか(ら)ー」
「んー……?」
「《what》の前にある《it》を説明する文になるんだ」
「えーっと、じゃあ……」
「そうそう。出来たじゃないか、黄瀬」
 偉いぞー、と言って森山が黄色い頭を撫でる。早川は頑張ったご褒美とか言ってお菓子を渡しているし、小堀に至っては出来たご褒美とか言って《たいへんよくできました》と書かれた金色のシールを回答の横に貼っている。何なんだこれは。
「お前ら、自分の勉強もしろよ……」
 イライラを孕んだ目で睨むも全く効果は無い。この遣り取りも既に七回目だ。
「俺(れ)っちゃんとやってますよっ!」
「あーあー確かにやってんな。黄瀬が唸り出すまでな」
 それはやっている内には入らん。そう言えばそんな事はないですと珍しく食ってかかる。
 どうしてそう言い切れるのか甚だ疑問だ。何せ一問解いて次の問題へ移った十秒後には唸り始めるのだから。
「黄瀬も黄瀬で少しは自分で考えろバカ」
「ヒドいっス〜。もぅ。俺バカだから考えても分かんないんスよー」
 これは開き直りかはたまたワザとか。恐らく後者だろう。この不貞不貞しい程に突き出た唇がそれを物語っている。
「自分で考えないからバカのままなんだって事に気付けバカ」
「そっ、そんなにバカバカ言わなくても良いじゃないっスか!」
「バカにバカって言って何が悪い」
「うー」
「唸る暇があるならそのちっさい脳みそ使って考えろ」
 それだけ吐き捨てると俺は問題集へと目を滑らせる。勿論最後にバーカと言い残して。
 カリカリカリ。
 自学教室に静寂が訪れる。ノートに記す音、紙を捲る音。漸く静かになったと思った。
 期末テストを目前に控えた俺たちは揃いも揃って勉強中だ。エースが補習で不在、なんて言う馬鹿げた事態にならないように集まっている。黄瀬の見張りも出来るし一石二鳥だ。
 部活動もテスト前一週間は強制的に出来なくなる。学生の本分は勉学に勤しむ事だ。それは理解しているがしかしバスケがしたい。
 それも相俟って俺の中に生まれるモヤモヤ、イライラ、ザワザワが膨らむのだろう。
 ホント、みにくい。
 奴らは只、黄瀬に勉強を教えているに過ぎないのにその時の黄瀬は何故か俺には見難くて、そんな状態の俺は非常に醜い。
 あー、イライラする。
 こんなんだから勉強に集中出来るわけもなく全く捗らない。これじゃダメだと俺は席から立ち上がった。何故か黄瀬の腕を引いて。
 俺の行動で黄瀬も立ち上がらざるを得ない状態で暫しの間、互いにフリーズする。自問自答しても答えは見付かる所か黄瀬の腕を離すまいとしている。
「あの、笠松センパイ? どうしたんスか?」
「黄瀬、荷物纏めてさっさと来い」
「へっ、えっ?」
「先に行ってる」
 相手の返事を待たずして俺はさっさと部屋を後にした。自問自答するまでもない。俺は――
「センパイっ! 笠松センパイ! 待って!」
 パタパタと足音を立てて俺に近付いてくる。知ってるか? 廊下は走っちゃダメなんだぜ。
「もー、せめて曲がり角の手前くらいで待ってて欲しいっス! 教室出た後どっちに行ったのか分かんないじゃないスかぁーっ」
 言い付け通り片手にはさっきまでひたすら睨めっこを続けていた勉強道具がある。「どうしたんスか?」
 斜陽が誰も居ない廊下を照らす。俺と黄瀬の影が細く伸びて重なっていた。
 今居る特別教室ばかりがある棟から普通の教室がある棟へと続く渡り廊下を歩く。校舎内の廊下と違って狭いそこは図体のデカい男二人が通るには前後になって歩く必要があった。西日が直接当たる。
「……」
「笠松センパイ?」
 背中から黄瀬の怪訝と心配が混ざった声がする。
 二人分の足音、振動が足の裏から伝わる。
「お前の勉強も世話も俺が全部見てやる」
「……」
 今度は黄瀬が黙る番だった。しかしそれと同時に足音も無くなった。
 気にしたのがいけなかったのか、振り返ったのがいけなかったのか分からない。しかしもう後の祭りだ。
「……っ」
 ああ、もう一つ。時間帯もいけなかったか。
 夕日を正面から浴びる黄瀬は酷く幻想的で蠱惑的で儚さがあった。ざっくりとした感想を述べるならば、キレイ。
 そして夕日に染められた色と己の内側から染まった色が混ざり合って色気が差す。
 引き結ばれた薄い唇にハの字に下がった柳眉、伏し目がちな目は宙を泳ぎ空いている手で制服の裾を強く握ったり弱く握ったりしている。
「そ、れっ……もしかして、もしかしてセンパイ……その、嫉妬……してくれてた……ん、スか……」
 後半は大分声が小さかったが聞き取れない事はない。嫉妬という言葉に俺の心臓は大袈裟な反応を見せる。図星を突かれて否定をしようと口を開いたが、声はヒュッと乾いた音を立てて飲み込んだ。 黄瀬の顔が、あまりにも妖艶に蕩けた表情をしていたから。
「どうしよ……俺、今、すっげー……嬉しいっ」
 ダメだと思った。これは無い。反則だ。ファール五つ分に相当する。
 俺は溜め息を吐くと、ガシガシと頭を掻いて少し離れた黄瀬との距離を詰めた。東雲とは正反対の光をいっぱいに受けた黄瀬の瞳が熱っぽく潤む。
「ああそうだよ。俺はあいつらに嫉妬した。お前を取られたみたいですっげー腹が立った」
 半ば自棄になって白状すれば目の前の男はえへへ、とふにゃりと笑う。
 ヤバい。キスしたい。そう思った時には既に格好に動いていて、俺の唇は黄瀬のそれを貪っていた。
「んっ、ふ……」
 学校で黄瀬をこんなにも求めた事なんて初めてだ。何せ様々な危険が潜んでいるのだから軽々と手は出せない。それが分かっていながらも離れられずにいる。
 もっと黄瀬が欲しくなる。
 だから、後もう少しだけ。この夕陽が作り出す二つの影が、後少し細く伸びるまでは。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -