青黄♀


 風邪だと思っていた。もしかするとノロウイルスに感染したかも知れないと。下痢は無いが嘔吐下痢症かも知れないと。
 だから現在シーズン真っ只中の旦那には迷惑を掛けてはならないと、彼女は仕事の空き時間に知り合いが勤める病院へと向かった。けれど、そこで言い渡されたのは思いもよらない事実だけだった。
「……へ?」
 スツールに腰を掛けた金髪の女性、青峰涼は目の前の仏頂面をした眼鏡の医者を間抜けな表情で見詰める。その医者こそが知り合いの緑間である。
 緑間は、モデルの肩書きが台無しだと指摘しながらもう一度同じ言葉を口にした。
「風邪ではない。妊娠だ」
「誰がっスか?」
「お前以外居るわけが無いだろうバカめ」
 だからお前はダメなのだよ。久し振りに聞くダメ出しに懐かしさを感じる隙は残念ながら無い。
「今度からは内科ではなく産婦人科に行け。それから、次回は難しいとは思うが、シーズンが終わってからでも構わん。必ず青峰と一緒に来い」
「私、妊娠……してるんスか?」
 モデル体型を常にキープし続けている彼女の腹部は、その中に新しい命が宿っているとは思えない程ぺたんこだ。学生の頃からサイズが変わっていないと言うのだから体型維持の為の努力は並々ならぬものだろう。
「六週目だな」
「……ろくしゅうめ」
 ぼんやりとした声で緑間の言葉をオウム返しする。
「専門医の手が空いているなら連絡を入れて今から見て貰うが?」
「あ……いや、仕事の休憩中に来たんで……」
「だろうな」
 そんな遣り取りをして、現在、鞄の中には母子手帳が入っている。
 あれから緑間が何とか無理を通して、こっそり産婦人科医に診て貰ったのだ。この病院内での緑間の評価は高いので、少しなら融通も利くらしい。芸能人だから事務所と話し合っていない今、公に行動する事は出来ないと説明したら向こうも了承してくれたようだ。
 仕事場に戻って容態を尋ねるマネージャーに有りの儘を伝えると矢張り驚かれた。仕事に影響が出てしまわないかと恐れていたが、十年近い付き合いになるマネージャーからは「おめでとう」と言ってもらえた。
「お腹が出て来る時期からはモデルの仕事は止めるから、しっかり医者の話を聞いてきて」「公式発表はどうする? 青峰さんとの結婚はプラスになったから発表しても大丈夫だよ」「青峰さんにはちゃんと報告して。それで産むにしろ下ろすにしろ連絡する事。発表の事もね。それから出産予定日は教えてよ? 産休とか産後の活動についても話したいし。出産を機に引退も考えているなら社長とも相談しないと」
 次々に発せられる言葉は、全てビジネスだ。けれども言葉の端々に「出勤はヒール禁止」やら「出産、産後の必需品はこっちで粗方買い揃えておくから」やら優しさが垣間見える。
 確かに芸能人である以上、発表した方が良いだろう。青峰も今では日本のバスケ界には必要不可欠な男だ。ファンからは「兄貴」の愛称で親しまれている。彼女は結婚してからも「黄瀬」のままで活動しているので愛称は「キセリョ」のままだ。本名だったはずの名前は結婚してからは芸名へと変わった。
 双方熱狂的なファンも多く、二人がブログで結婚報告をした際は大炎上を起こした程だ。記事のコメント数が過去最高だったと言う。SNSや大手匿名掲示板でもその日はその話題で持ち切りであった。肯定派否定派に大きく分かれていたが、大多数が肯定派に鞍替えしたのは翌日の記者会見の影響が大きい。
 二人の関係は学生時代から続くと言う事実を告げると、「純愛」と評す者が出て来たのだ。それでも否定派を貫く者は「その頃からヤりまくってたのか」と下世話な事に突っかかる者が大半だった。それでも全体を見れば圧倒的に二人を祝福する者が多いのも事実である。
 だから、発表する事に不安を覚えたりはしない。けれども一番不安なのは、当事者に知られる事だった。
「要らないって言われたら、どうしよう……」
 最悪のケースを考えると震えが止まらない。目の奥が熱くなり睫毛を濡らす。
『だからってずっと隠し通すつもりですか?』
「でも……」
『ボクは青峰君が下ろせと言うとは思えません』
 受話器を握る手に力が籠もる。電話の向こうに居るのは、学生時代に散々世話になった黒子であった。彼は現在保育士として勤める傍ら、大学生時代に投稿した小説が賞に選ばれてからと言うもの、作家としても活動している。
 黒子は一度溜息を吐くと「黄瀬さん」と名を呼ぶ。
 余談であるが、彼女の周りは結婚した今でも旧姓で呼ぶ者が大半を占めている。芸名として使っているから本人も大して気にしていないようだ。しかし高校の先輩である森山や中学の同級生である桃井、高校で知り合った高尾や実渕、氷室は名字呼びから名前呼びに変えている。
『あの青峰君が今までずっと避妊具を付けていたんですよ? それを、気紛れで外すと思いますか?』
「思、わないっス」
 最後にした日は特別な日でも無かった。けれども青峰の熱の籠もった視線と腰に響く声に、初めて生挿入で中出しを許したのだ。あの日は告白を受け入れて貰えた時や初めて身体を繋げた時並みに幸福感に包まれたのを覚えている。
「でも、シーズン終わったら、いっぱい愛し合おうって言ってたんス。妊娠したら、出来ないしっ、だからっ、怖いっス……」
『黄瀬さんの中で青峰君はヤリチンが定位置なんですね』
 しゃくりあげながら言葉を紡ぐのを静かに聞いていた黒子はぽつりと呟く。丁度スピーカー越しに、ずずっ、と鼻を啜る音が聞こえたので被ったようだ。
『それはもしかして――』
「誰と電話してんだ?」
「あっ! えっ、あのっ」
『おや、旦那様が帰ってきたみたいですね。それでは頑張ってください。では』
「ちょっ、まっ……黒子っち! もしもしっ?」
「あ? テツと話してたのか?」
「あ……うん。えと、お帰りなさい」
「おー。ただいま」
 結婚して二人で棲むようになってから続く挨拶とキスを交わす。帰宅したばかりの青峰から漂う運動後の匂いは黄瀬の好きな匂いだ。だからいつも思い切り抱き付く。汗臭いからと言っても「頑張ってきた証拠じゃないスか」と言って聞かないので、抵抗は随分前に止めた。
 チームメイトと飲みに寄ったりしない限り、 青峰はシャワーで簡単に汗を流す程度に留めている。それは勿論我が家でゆっくり汗を流したいからだ。
「何話してたんだ?」
「あの、えっと……あの、あのねっ」
「ん?」
 黄瀬が青峰に抱き付く力を強めて一層密着する。そうした事で、青峰にも黄瀬の異常に速い鼓動が伝わった。
「涼?」
「あ、あかっ、あか」
「赤司に何か言われたのか?」
「あ、違っ、違、くて……っ、その、赤、ちゃ……」
「赤茶? 服の色か何かか?」
「そ、じゃ、なくてっ、あのねっ、あの、ね……」
 なかなか先に進まない話も、青峰は優しく抱き締め返しながら続きを待つ。昔の彼ならば焦れて怒鳴り散らしていただろう。
 言葉から推測してみるも悉く外れるので青峰もお手上げだ。野生の勘は働くくせにこう言った事には通用しないらしい。
「どうした?」
「あ、のねっ、赤……ちゃ、ん……」
「は?」
「っ、だから……赤ちゃん! が、出来……た、の……」
 伝えたい単語だけハッキリと口にするも後は全て萎んでしまった。沈黙が訪れる。壁に掛かる電波時計は一秒毎に針を進める秒針ではなく滑らかな動きをするものだ。その為、何秒若しくは何分双方口を閉ざして居たのか分からない。
「ま、じで……?」
 ようやっと絞り出した青峰の声は情け無いことに掠れている。それでもバカにする余裕など無いのか、暑い胸板に顔を埋めたまま静かに首肯した。
「マジ? いつ?」
「最近、吐き気が酷くて仕事の合間に今日緑間っちの所に行ったんス。そしたら『風邪ではない。妊娠だ』って」
「マジかぁ……」
 そこでわざわざ緑間の声真似をする必要性は無いのだが、そこに触れる余裕を青峰も持ち合わせていないらしい。大きな息と共に吐き出された言葉に黄瀬の身体が小さく跳ねた。
 彼の声音は、感嘆とも悲嘆とも取れるのだ。
「私はね、う、生み、たい」
「たりめーだバカ。誰が下ろさせるかよ」
「……へ?」
「は?」
「いいの?」
「は?」
「私、赤ちゃん生んでも良いの?」
「じゃなきゃ中出ししねーよ」
 心底安心したのか、一気に体から力が抜ける。膝から崩れ落ちるも、青峰が持ち前の反射神経で伸ばした腕に助けられた。
「あっぶねーな。妊娠してんだろうが! 気を付けろっ」
「……当分、えっち……出来ないっスよ?」
「は?」
「シーズン終わったら、いっぱいえっちするって……」
 幸か不幸か、半分放心状態であるからか、口をついて出るのは胸中で渦巻いていた不安だった。
「あー、それはあれだ。まさかこの間ので出来るとは思って無かったからよォ。回数重ねて孕ませようと……」
「子ども、欲しかったんスか?」
「そりゃお前ともうちょっと二人で、とも思うけど。やっぱ欲しいだろ。新しい家族」
 抱き抱えてソファーの上に優しく降ろす。まだ膨らんでもいない腹部に青峰はそっと手を当てた。
「つか、もしかしてテツにその事で電話してたんじゃねーだろうな」
 青峰が声のトーンを落として尋ねれば、ぴくりと肩が小さく跳ねる。
「緑間は仕方無しにしても、だ。夫より先にテツに報告か? あ?」
「あ、の……それは、だって……」
「だってじゃねぇよ」
「ふ、はぁ……、ん」
 肩を抱き寄せて唇を奪う。何度も角度を変えて貪った。全てに共通しているのは絡み合う舌だ。態とらしい水音に青峰を映す瞳がとろりと蕩けた。
「二人目三人目は絶対真っ先にオレに連絡しろ。良いな?」
「ふえっ?」
「返事」
「は、い……」
「ん。良い子だ」
 前髪を指で押し上げて現れた額に優しく唇で触れる。擽ったそうに笑う彼女の表情はもう不安も緊張も色を無くしていた。
 大きな愛と優しさに包まれた子どもが姿を見せる日は、もう少し先のお話である。



【甘、にょた黄瀬のおめでた話】
♪~どツボにハマってさぁ大変~♪
な状態でした。リクエストがきた時。
「妊娠したから今日からセックス禁止っス!」とピシャッと言う黄瀬ちゃんも良いですが、青峰を信じてるけど不安で堪らない黄瀬ちゃんも好きです。今回は後者ですね。
実際は黒子に電話する前に、赤司や紫原、笠松先輩や火神(直ぐ隣に青峰が居たり)と色んな人に電話を掛けまくっていたとか考えていたのですが流石に長くなるし青峰大輝が青峰空気になりそうだったので黒子のみにしました。
赤裸々に下世話な事も黄瀬ちゃんは黒子に話してますが、黒子は右から左へ受け流してます。大人!

>こんにちは。大変長らくお待たせ致しました。遅くなってしまい申し訳ありません。
迷惑だなんてそんな!参加していただけて大変感謝致しております。皆様のご協力あっての企画ですから。
確かに女体化や妊娠ネタは好き嫌い別れそうですね。因みに私は 大 好 き です!(*`v´*)ムフーッ 御馳走様でした。前回、犬黄瀬をリクエストしてくださった一良様と同じ方でしょうか?(違っていたら申し訳ありません)もしそうでしたら、一良様は私のどツボを突く事に大変長けていらっしゃるようですね。
リクエスト及びお祝いのお言葉ありがとうございました。


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