火黄


 何かアクションを起こす時、それなりの切欠があるはずだ。オレの場合、モデルならスカウト、バスケなら青峰っち……と言った具合に。
 では今隣で眠っている男と身体を求め合うようになった切欠は何だっただろうか。それも気を紛らわせる為とか性欲処理とか中身無いものではなくてお互いがお互いを必要としている。口にすると結構恥ずかしいがそこには確かに愛があった。そんな温かくて幸せを感じる交わりをするようになった切欠。
 オレは規則正しい寝息を立てる火神の胸に顔を埋めて目を閉じた。安心する鼓動、体温、存在全てが愛おしい。無意識なのか何なのか眠っているくせにぎゅっと抱き締めてくれるその腕がオレは大好きだ。
 火神との出会いは最悪だった。ボール投げつけられて勝負を挑まれて負かしたら、試合で負かされた。悔しい。オレの辞書に「リベンジ」と上書きさせた男だった。
 それだけの筈が、ある日を境に見方が反転したのだ。
 あれはI・Hが終わって間もない頃。その日は気持ちを切り替えたくて丸一日仕事を入れた。ファッション雑誌のコーディネート特集用の写真だ。まだ夏真っ盛りだったから仕事が終わっても西の空はまだ仄かに明るい。
 星座はオリオン座くらいしか分からないから夏の星空は良く分からない。大三角形とか言われてもオレからしてみればどの星でも三角形が作れてしまうので違いが分からなかった。
 そうやってさして興味もない空を眺めながら歩いていると「危ないよ」と腕を引かれる。よろけた体を支えたのは依然としてオレの腕を掴んだままの男だ。
「あ、お疲れ様っス」
「これから食事でもどう?」
 彼は今日一緒に仕事をしていたカメラマンだった。三十路を過ぎたばかりと言う割には若く見える。服装も若々しいからか余計にそう思った。
 腕が良く、業界内では評判の人らしい。最近はバスケ漬けだったからそこら辺の業界事情にはイマイチ疎かった。それが仇となった。
 彼に気に入って貰えて仕事に損はないと噂で聞いていた。だからオレは二つ返事で頷いてしまったのだ。
 馴染みの店なのか彼が「いつもの」と言えば奥の個室に通される。店自体は和風の造りだが、通された個室は二人掛けの黒いソファーと硝子テーブルがあった。
「黄瀬君を色んな姿で撮りたいとずっと思っていたんだ」
 ああ、何だかヤバいぞと思った時にはソファーに押し倒されていた。覆い被さり必要以上に密着してくる。乱されていく服に警鐘が脳内で鳴り響くも上手く抵えずにいた。
 しかし彼が硬度を持った猛りを押し付けだした途端、オレの体は勝手に動いていた。伊達に鍛えていない。力任せに突き飛ばし、逃げるようにその場を後にした。否、実際逃げ出したのだ。これ以上あそこに居たら危険だ。
 そうして無我夢中で走り続けていると思い切り人にぶつかってしまった。
「っスマセ……!」
「いってぇな……って、黄瀬?」
「え?」
 走って勢いがついていたからオレはぶつかった拍子に後ろによろけた。これはつまり相手がオレよりも体格が良いと言うことだ。
 デジャヴと思っていたら今度は手前に腕を引かれる。何とか倒れずに済んだが、よろけた体は矢張り男に支えられた。今、男には会いたくないのに……何て言った所でそれはほぼ不可能な事だ。
 掛けられた声はどこか聞いたことがあるものだった。名前を呼ばれ思わず顔を上げる。
「か……がみ、っち?」
 きょとんとするオレに火神の表情は怪訝なものになる。アンタ青峰っちくらい誤解されかねない顔っスよ、なんて軽口は思い浮かぶだけで実際外に出ることはない。
 まじまじと見る目に鋭さがあって居た堪れなくなる。視線を彼から外して漸く自らの格好が目に入った。
「うわっわっっ!」
 慌てて身形を整えるも腕を掴まれる。再度きょとんとするオレに火神は真剣な眼差しで言った。
「襲われたのか?」
 普通こんなガタイの良い男が襲われるなど考えるだろうか。けれどもその真摯な態度に笑い飛ばす事も出来なくて、小さく頷いた。すると益々眉間に皺が寄る。これ以上は本当に職質されそうだ。
「でも未遂って言うか、特にコレといった被害は無かったって言うか」
 しどろもどろになって答えていたが、瞬間、オレの体は火神の腕の中にあった。住宅街が近いからか人通りは少ない。けどいつ人が来るかも分からない。そんな状況が余計に鼓動を速めた。
「笑ってんじゃねーよ」
「えー? でも、笑い話じゃないスか。男が襲われるとか」
「こんなに震えてるくせして強がんな」
「強がってなん、か……」
 声が震える。視界が滲む。体が震えている。
 それに気付いたら一気に恐怖が支配した。縋りついて、泣いて、涙を流した。混乱していて本心に気付かなかったのだ。安心出来たからこそ今更恐怖が襲ったのだろう。
 火神はオレが落ち着くまでずっと抱き締めていてくれた。
「ごめん、火神っち。もう平気だから。ありがとう」
「飯食ったか?」
 オレの末尾に被せる様に火神が問う。丸で今までの醜態は無かったかのような態度にオレは少なからず動揺した。
 しかし考える間もなく首は素直に縦に動く。実際、お品書きを見る前に襲われたのであの店が何を置いているのかさえ知らない。けれど二度と行くことはないだろう。
「じゃあ家来いよ。偶には手抜きしてーし、焼肉とか」
「ホットプレートで?」
「おう」
「二人なのに?」
「オレらなら十分じゃねぇの?」
「……まぁ」
 こうして初めてお呼ばれして火神が一人暮らしと知った。まあオレも似たようなものだから一人で住むには贅沢な部屋の広さについてだけ突っ込んでおいた。
 火神お手製のタレが堪らなく好みでその日の夕飯は胃も胸も一杯だった。そしてその日が初訪問にして初宿泊になったのは予想外だ。
 この日を境にオレは何かと火神に会った。あの日抱き締めてくれた腕や温もりが忘れられなかったのだ。泊まりに行けば暑苦しいと顰める火神に引っ付いて眠る。苦情は言いながらも無理矢理剥がそうとはしない所が益々気に入った。
「オレ、火神っちのこと好きっス」
「は?」
 だからつい口から零れた。その時は夢と現の狭間をさ迷っていたのだが、自分の発言に一気に覚醒する。
「ごめっ違っ何でもないっ忘れて!」
「どういう意味だ? 友人としてか? それとも……」
「だから、忘れてってば!」
「黄瀬」
「っ、火神っち……」
「なぁ、黄瀬」
「…………っ、好きっス」
 火神の通常よりも低い声にオレの鼓膜が震える。ピリピリと甘く麻痺した体は観念したように力が抜けた。
「火神っちと居ると安心するんス。ドキドキするけど、それが心地良くて。でも時々もどかしくて苦しくなる。オレ、誰かを恋愛対象として好きになるってことあんましたことないからちょっと気持ちにまだ整理つかないんスけど……」
 そう言ったら唇を塞がれた。けれどとても短い。唇が触れたと言った方が近いかも知れない。
「オレは黄瀬が好きだ。さっきのも、本当はもっと深くまでやりてぇ。けど、お前が今ので嫌悪感があったんならオレは」
「嫌じゃ無い」
「……黄瀬?」
「正直、いきなりでびっくりしたっス。けど、あれだけ? って思っちゃっ……んっ」
 今度は本当に塞がれた。言葉の途中なのにとか、唐突過ぎるとか、色々言いたい事は浮かぶものの結局全てシャボン玉の様に弾けて消える。
 初めて触れた火神は凄く暖かかった。
 次にオレが目を開けた時、相変わらず安心する腕の中だった。けれど顔を上げれば酷く穏やかな表情で「おはよう」と言ってくる火神が居た。
「何の夢見てたんだ?」
「へ?」
「すっげー幸せそうな顔してた」
 朝一番に重ねた唇に、先程夢の中で交わしたそれとが重なる。何だか思い出すだけで恥ずかしい。
「確かにあの時も幸せだったんスけど、今の方がもーっと幸せっス!」
「何の話だよ」
 訳が分からないと言いたげに寄せられた眉も、一段と強くなる腕の力も何もかもがそう言う気持ちにさせる。それはあの頃から一歩も十歩も前進したと言うことだ。
 これから先も君の隣にいさせてください。
 夢で出会ったあの頃の火神と今オレを抱き締めてくれている火神に、オレはあの日と同じ願いを込めたキスをした。



【馴れ初め話】
連名にさせていただいたのは、リクエストしていただいた際に送られてきた情報端末が同一だった為です。その為、受信時間の早かった方を書かせていただきました。「初夜話」といただいたリクエストは無効扱いになりますのでご了承ください。
リクエストありがとうございました。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -