キセ黄


「黄瀬、そろそろ行かなくて良いのか?」
「ああっ!! スマセンッス、キャプテン! オレお先っス!」
 バタバタと忙しなく体育館を後にした黄瀬に、先程まで一対一をしていた青峰は首を捻る。その疑問に答えたのは相棒の黒子だった。
「仕事だそうですよ」
「はぁ?」
「黄瀬君、朝練の後も仕事に行っていたみたいです。昼休み終了間際に再登校したようですが」
「へー」
 二人が見つめた先の出入口には既に黄瀬の姿は無かった。

 自主練の時間になる頃、部室に行った筈の紫原が再び姿を現した。珍しいこともあるものだと思ったのも束の間、格好はもう制服である。そのままボールを持った赤司の傍に向かう。
「ねー、赤ちん」
「何だ?」
「黄瀬ちんがどこで仕事してるか知ってるー?」
「ああ、部活が始まる前に聞いたが。それが?」
「教えてくんなーい? さっき担任に会って黄瀬ちんに渡すの忘れてたーとか言って預けて来たんだよねー。明日答え合わせするって言う英語の課題プリントなんだけど」
 ピラ、と一枚の紙が長い指に挟まれ揺れる。B5サイズの更紙には幾つかの問題が印字されている。そこに淡い黄色の付箋紙に『黄瀬』と書かれて上部に貼られていた。
 そして、それこそが始まりだった。

 現在、用事のある紫原と誘導係の赤司の他に青峰、黒子、緑間が都内にある高層ビルへと来ている。話を聞いた緑間は黄瀬に数学の教科書を貸したままと言うことで付いて来たようだが、青峰と黒子は完全に野次馬である。しかし黒子はどちらかと言えば半ば無理矢理連れてこられたようだ。
「オイ赤司。マジでココなのかよ」
「ああ。『VaGaRY』と言うコズメティックブランドの本社ビルの中にある小スタジオでやると言っていたからな」
 ビジネス街で有名な地域に一端の学生がそう来ることは無いだろう。化粧品会社なだけあってその外装は高い美意識の下、造られたように感じる。一階は全て透明のガラス張りになっており、二階以降は熱線反射ガラスが嵌め込まれて外から中の様子は窺えない。そんなビルの二三階に居ると言う。
「所で紫原。アポは取ったのか?」
「? それなら其処に居るし」
「オイコラ紫原。今何でオレを指差した」
「アホではなくアポイントメントなのだよ。面会する際の事前予約だ」
「えーじゃあ今から聞いてみるー」
 噛みつく青峰を余所に紫原はさっさと携帯を弄り始めた。耳に押し当てているので電話のようだ。
「もし黄瀬君が仕事中だっ」
「あ、もしもし黄瀬ちーん?」
「……良かったですね。繋がって」
 黒子の杞憂も紫原の一言で直ぐに過ぎてしまった。どうやら運良く向こうは休憩中らしい。手短に話を終えると紫原はポケットに携帯を戻した。
「丁度休憩終わりだったみたいでロビーまで来られないってー」
「で?」
「マネージャーに話しとくから受付で黄瀬ちんの名前出して来訪者のカード貰ってエレベーターで上がってきてーって」
「分かった。それじゃあ行こうか」
 五人は一生縁の無い筈の化粧品会社へと足を踏み入れた。
 斯くして撮影スタジオへと入った彼らが先ず初めに発した言葉は未だに無い。各々タイミングは違えど全員が息を呑んだ。
 普段彼らが耳にするシャッター音よりも重厚感のある音だけが響く空間、静止画の撮影の筈なのに誰一人として喋ろうとしない。時折聞こえる声はカメラを構えた男の指示のみ。目一杯の光を浴びる被写体は部活では見せる事の無い表情ばかりである。
「目線こっちー……じゃあ挑発する感じで笑って……ハイ。なら、とびっきりの笑顔見せて」
 カメラマンがそう指示を出した時、黄瀬と彼らの視線がバチッと絡み合った。薄暗い壁際で立つ長身の集団は明度の低い場所でもカラフルだ。そう、黄瀬は思った。
 瞬間、バシャッとシャッターを切る音が鳴る。
 ハッと我に返ったのはカメラマンの「ハーイ、オッケー」に続くスタッフの「お疲れ様でーす」と言う声が耳に届いてからだ。
「休憩入りまーす」
「それわらって、ホリゾント宜しく」
 撮影時にはずっと傍観していたスタッフが一斉に動き出した。どうやら黄瀬の仕事はまだ終わりではないらしい。
「涼太君、最近無邪気な笑顔も増えてきたとは思ってたけど、さっきのはその中でも最高だったよ」
「本当ですか? ありがとうございます」
 スタッフとの会話もそこそこに、黄瀬は急いで五人の元へと近付く。そしてその表情は最後に見せた笑顔と似ていた。
「スンマセン、取りに行けなくて……」
「別にー」
「此方こそ、大勢で押し掛けて悪いな」
「大丈夫っスよー。偶に事務所の社長とかも突然やってきたりするんで」
 そう言ってふにゃ、と笑う。先程までの大人びた顔は夢だったのかと思う程に面影を失っている。
 そうして紫原と赤司から視線をズラして緑間を視界に収めた時、黄瀬の目が見開いた。
「あ! 緑間っちに教科書返して無いっスよね!?」
「ああ。オレはその為に来たのだよ」
「うわぁ、どうしよう。カバン控え室なんスけど」
「別に邪魔でなければオレは終わるまで待つが?」
「ホントに!? ああもうスンマセン! 後は街頭用のポスター撮りするだけなんで、即行終わらせるっス」
 眉をハの字にしながら両手を顔の前に合わせてぺこぺこ頭を下げる。
「お前まるで別人だな」
「黄瀬君、本当にモデルなんですね」
「青峰っちとか絶対冷やかしで来たっしょ。黒子っちヒドいっス! 信じて無かったんスか!?」
 唇を尖らせて拗ねたかと思えばぴーぴー鳴き始める黄瀬の表情はころころ変わる。ボキャブラリーの数は少なくとも表情はレパートリーが豊富らしい。
「あ、オレ次の準備して来るんでちょっと失礼するっス!」
 そう言って姿を消して凡そ一五分。再び姿を現した黄瀬に一同だけでなく周りのスタッフも騒然としていた。
 先程まで演出として使っていた高級感漂うソファーやベッド等の道具は全て撤去され、今度のスタジオ内は至ってシンプルだ。
 背景から床まで垂らした真っ白なホリゾントのみで、観葉植物の代わりにエレクトロニックフラッシュの大型が置いてある。
 そんなシンプルな場所に現れた黄瀬は、金色ロングのウェーブが掛かったウィッグを着用し黒地に白い袖バイカラーのフレアーシフォンワンピースを着用していた。ドルマンスリーブの為、二の腕の筋肉が隠れている。丈が太腿の三分の一くらいまでしかないのは元々なのか身長故かは分からない。しかし男性の黄瀬が着用出来ているあたり、男性用として作られた物であることが窺える。
 衣装の黒と肌の白が対照的で、そのシンプルさに魅せられる。
 服と髪型に合わせたメイクは大人の女性を彷彿とさせる。けれどどこか日本人離れの美しさを兼ね備えていた。
「宜しくお願いします」
 しかしその声は確かに黄瀬のものだ。魅入っていた五人はピクリと肩を揺らした。
 其処から始まる撮影は再びシャッター音が目立つ空間へと変わる。
 シャッターが下りる度にポージングを変えていく。そして一度たりとも同じものは無い。カメラを向けられると人差し指と中指だけを伸ばしたピースサインをする人を良く見かけるが、それをする様子は一切無かった。
 ポーズだけでは無い。目線も表情も何もかもがシャッター音の直後に変わって行くのだ。
 一体何回音がしたのかは分からない。気付けばシャッター音は止んでいた――。

「はい、緑間っち。助かったっス」
 すっかり制服に身を包んだ黄瀬が数学の教科書を緑間に渡す。そして入れ替わりに紫原が英語のプリントを渡した。
 此処は黄瀬が使用している控え室である。
「黄瀬ちん美人だったし」
「黄瀬君は女装モデルなんですか?」
「あははー、ありがと紫っち。後黒子っちさっきからヒドいっス!」
 にこにこ笑った後にまたぴーぴーと鳴き始める。
「しかしこの会社は女性用化粧品会社だろ? 何故黄瀬がやっているんだ?」
 赤司が尋ねれば黄瀬の表情がまた変わる。
「会社名を和訳したら『突飛な考え』じゃないスか。だから敢えて男性モデルを起用したらしいんスわ。最後の女装もそれっスよ」
 カーディガンに袖を通しながら答える。
「にしてもお前がやんのかよ」
「青峰っち失礼っス! これでもオーディション勝ち抜いて選ばれたんスよ!?」
「んなもんいつやったんだよ」
「これは三ヶ月前からっスよ。書類選考、ウォーキングテスト、ポージング、カメラテスト、面接は当然っスけど今回は女装も必須だったんでその為の勉強だってちゃんとしたんスからねっ」
 指折り数えながら一つ一つ思い出すも最後はプンプン、と擬音を飛ばしながら両手を腰に当てて椅子に座る青峰を見た。
 肌のコンディションを整える為の努力も惜しまなかった結果が最後の撮影で見せた素足なのだろう。ボディ用化粧水も取り扱っている為か、出来る限り露出部分は多め且つ嫌らしさを一切感じさせない事が前提にあった。
「事務所にはバスケ優先させてもらってるんで、普段は朝練と放課後に被るような仕事は受けて無いんスけど……」
 しゅん、と肩を落とす黄瀬は苦笑していた。
「今日は途中抜けしちゃってスンマセン」
「それは別に構わないよ」
 仕事が後ろに控えていたって黄瀬は必ず練習に参加している。時間の許す限り。モデルを理由に遅刻・早退はあっても欠席したことは一度たりとも無かった。
「ただ、無理はするな」
「大丈夫っス! バスケもモデルも中途半端な仕事はしたくないんで」
 釦を全て閉めていつものバッグを肩に掛ければ見慣れた黄瀬涼太が其処に居た。
「帰りましょっ」
 ニコッと笑うその顔は世間に公開するのは矢張り惜しいと、赤司も紫原も緑間も青峰も黒子も感じていた。向けられるのは不特定多数ではなく、まだ、自分たちだけで良い、と。



【部活を頑張りながらもモデルをしてる黄瀬君の話。部活よりモデルの黄瀬君に視点を置いた話が読みたいです。
生半可な気持ちでモデルをやってるわけじゃない黄瀬君の葛藤とかがむしゃらな姿とキセキ達…という感じのシチュエーションでお願いします。】
モデル業界で「わらう」を使うのかは分かりません。テレビや舞台では使われるので…。因みに「片付ける」と言う意味です。
照明道具で良く「ストロボ」とも使いますがあれって海外の会社が商品登録している名前らしいですね。知りませんでした。
モデル業界やらコスメ業界には一切通じておりません。全てフィクションですので悪しからずご了承ください。

>こんにちは。この度は企画へのご参加、誠にありがとうございます。
此方こそ、拙作にお目通しくださり大変嬉しく思います。その様に仰有っていただけて嬉しい反面照れますね。ありがとうございます。
これからも拙宅を宜しくお願い致します。
お祝いのお言葉、及びリクエストありがとうございました。


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