赤黄
通夜の席に黄瀬は居た。もう参列者は来ない時間帯だが、棺の傍らに立ち、その中で眠る人物をじっと見ている。
何度も何度も視界が滲んでは袖でその目を擦った。
「征十郎……」
その声は泣きすぎて既に枯れてしまっている。それでも枯渇した筈の涙をポロポロ零しながら何度も愛しい人の名前を呼んだ。
彼はほんの数時間前に赤司を看取ったばかりである。
赤司と都内にある高級マンションの最上階に同棲し始めて長い。社会人になった彼らは互いに忙しくすれ違う日々を送っていたが幸せだった。先に寝る時も先に出て行く時も、必ずメモを残す決まり事があったからだ。
黄瀬も赤司も本人には言わないが双方そのメモを大事に取っている。
そんな幸せな日々がこれからも続くと思っていたある日、黄瀬の元に一報が入った。
――『赤司さんが倒れました』
撮影中だったにも拘わらず、黄瀬はスタジオを飛び出した。向かった先は赤司が運ばれた病院だ。
診断結果は全身性エリテマトーデスと言う聞き慣れない病名であった。膠原病の一つとされているらしいが何にせよ黄瀬にはさっぱり分からない。けれどその病名を知ったのも、詳しい症状を聞いたのも随分と後だった。
「征十郎!」
「涼太? 仕事はどうした?」
「征十郎が倒れたって……」
「大したことは無いよ」
そう言って笑った赤司は「疲れが溜まっていたんだろう」と付け加えた。
けれども日が経つにつれ赤司の体は病魔に蝕まれていく。
膠原病は他の膠原病を合併し易いと言われているが、赤司も例外ではなかった。彼の合併疾患は全身性強皮症と呼ばれる原因不明の慢性疾患である。
皮膚のみならず内臓にも症状が出るそれは、着実に赤司を苦しめた。
「何で黙ってたんスか!」
「涼太……」
「バカッ! 征十郎のバカっ!!」
「すまない」
「謝ってなんか……欲しくないっス……」
皮膚が浮腫状に腫れ上がり、柔らかさが消える。そして硬くなり萎縮が見られ、最終的には満足に関節も曲げられ無くなると説明を受けた日、黄瀬は赤司の前で泣いた。赤司の手を握り締める手が震える。そっと握り返せば黄瀬も握る手に力を込めた。
レイノー現象が見られた時の黄瀬の取り乱しっぷりは当時入院していた患者の間で広まり有名になった程だ。そんな不名誉な名の知れ渡り方に黄瀬は赤面していた。赤司は苦笑するしかない。
「涼太は何処へ行っても人気者だな」
「……これは嬉しくないっス」
「そうだな。僕も嬉しくない。と言うより面白く無い」
「『涼太を困らせて良いのは僕だけだ』とか言ったら問答無用で殴るっス」
「近いけどね」
「ピンポイントで当たるとは思って無いっスよ」
そう言った後、二人は同時に笑った。
「職業柄、他人に好かれる事は良いこと何だろうけど。分かってても妬けるな」
「征十郎……」
甘い空気が流れる中、二人は引き寄せられるように唇を重ねた。
それから毎日病院に通ったが赤司の病状が回復の兆しを見せることは無いままだ。
対症療法で緩和させることは出来ても原因を直接治療するわけでないのでそれまでである。そもそも対症療法はあまり望ましくないとされている。
全身性強皮症に於いて最もおかされやすい内臓臓器が肺だ。この時点で最早赤司の体はボロボロになっている。
病魔におかされるだけでなく、薬の副作用も彼を苦しませる一つだ。
けれども一度も弱音を吐かずに治療を甘んじて受けていたのは黄瀬の存在が大きい、と通夜の席で黄瀬は赤司の秘書だった男に聞いた。
黄瀬も忙しいのに毎日見舞いに来たり、赤司の弱っていく姿を見て辛い筈なのに、いつだって笑って接してくれる。そんな姿を見せられて頑張ろうと思えたのだと教えてくれた。
しかし、それから数週間後に赤司は息を引き取った。黄瀬の目の前で。
その時の黄瀬はただただ手を握り締めることしか出来なかった。何度も何度も「征十郎っ!!」と苦しむ彼の名を呼び続けることしか出来ない。それでも夢中で呼び続けた。まるで先に逝くのは許さないと言っているようだ。
けれど虚しくも黄瀬の願いは打ち砕かれる結果となる。間質性肺炎だった。
「慢性ならば良かったのだが……」
その時、そんな医者の言葉など黄瀬の耳には届かない。
最悪な事に、赤司の場合は進行性で更に治療に抵抗性のあるものだったらしい。
「キレイな顔っスね」
棺の中に眠る赤司の頬をそっと撫でる。ひんやりとした肌はそれが眠っているわけではないとリアルに伝えてきた。
「好き。大好き。愛してる」
聞こえはしないと分かってはいるが伝えずにはいられない。冷たい頬を包み込むと顔を近付け呟いた。
赤司の顔に涙が落ちる。
「明日も、明後日も、来年も、ずっと……ずーっと愛してる」
そして涙で濡れた唇にそっとキスをした。
「ねぇ、征十郎」
胸の前で組まれた手に自らのそれを重ねる。彼を愛おしそうに見つめる瞳は依然濡れたままである。
「オレからの最後のメモ、読んでくれるっスか?」
メモと言うにはきっと長すぎるそれは他人からしてみればラブレターだ。白い封筒に入れているのだから黄瀬自身、メモと本気で思っているかは定かでない。
「明日渡すっス。今はお預け」
ふふ、と悪戯に笑う。
「読んでも返事はまだ書かないで欲しいっス」
組まれた手をそっと解き、自らの小指を絡めた。
伏した睫毛が濡れる。声が震える。
「いつか、オレが征十郎の所へ会いに行った時、返事ちょーだい。それまでは我慢して。オレも、聞くの我慢するっス」
――約束。
「だからその時は、オレのこと、見付けてね」
きゅ、と絡んだ小指が解けるまでに掛かった時間は黄瀬が涙を止めた時間と同じであった。
【赤司死ネタ】
医療関係には一切通じておりませんので病に関しては曖昧ですが、決してそれらを侮辱したり軽んじていると言うような事は一切ございません。あくまでお話を作る上で設定として使わせていただいた次第です。
ウ○キ先生にはお世話になりました。
年齢設定は特に考えてませんが、20代後半〜アラフォーくらいと考えてます。幅広いですね。
がっつり入院ネタのつもりが、がっつりお通夜ネタになっていました。どうしてこうなった。
以前書いた死ネタと被らないようにと思い今回は先生に頼って病名を明らかにしたのですが意識し過ぎてしまったのでしょうか?うーん。
しかし死ネタなのに特に涙腺刺激するような要素も何も無いですね、すみません。死ネタって難しい!
矢張りリアリティ皆無ですが架空の病の方が書きやすいですね。ご都合主義にぴったりです。実在ネタは難しいと学びました。医療に携わるなりなんなり詳しくないと書けない代物です。
体験や経験しないと表現する事も難しいですからね。
リクエストありがとうございました!
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