ブルー様


――最近、涼太の様子がおかしい。
 内容はそれだけだ。しかしそのメールを受信した者全員が同意の返信をする。
 中でも唯一同じクラスである紫原が現状報告を添えていた。
――黄瀬ちん今日も休み
 それを受信した返信先の赤司は問い質す必要性感じた。
 斯くして現在、メール受信者の青峰・黒子・紫原・緑間そして送信者である赤司は黄瀬の住むマンションへと来ている。部活をレギュラー揃って休むのだから部員は相当驚いたに違いない。
「あ? 黄瀬んち一軒家だろ?」
「現在請け負っている仕事が実家よりも此方からの方が便利なのだよ」
「事務所が借りてるしー、お金かかんないってー」
「ふーん」
 数字の並ぶボタンを押せば自動ドアが開いた。
「良くご存知ですね、共通の暗証番号」
「愚問だよテツヤ」
 そうして十階へと急ぐ。部活に参加しないわけだから全員非常階段ダッシュと命令された時は表情が凍り付いた。荷物は一緒に運んでやると言う赤司からは本気しか感じられない。
 結局、荷物と共にエレベーターで登ったのは赤司のみで他は階段ダッシュを余儀無くされた。途中、黒子が死にかけたのは言うまでもない。
 インターホンを鳴らすも反応はない。仕方がないとばかりに赤司が制服のポケットから取り出したのは一本の鍵だ。
「赤司君、それ」
「愚問だよテツヤ」
 それ以降、誰一人として鍵の存在に触れなかった。
 玄関は真っ暗で、しかし奥の部屋――リビング――さえも暗い。遮光カーテンがそうしているのだ。本当に留守なのかも知れないと思ったが学校用・ロードワーク用・外出用の靴は揃っている。それはつまり居留守を使用した可能性が高いことを示していた。
 リビングを覗いても黄瀬の姿は無い。電気を点ければ目を疑いたくなる光景が広がっていた。
「なんなのだよ……これは」
「ここ、本当に黄瀬の部屋なのか?」
 線ごと抜かれ機能していないファックス付きの電話。一目で壊れていると分かる姿の携帯電話。ゴミ箱に入りきらず溢れ出ている紙屑。割れたままの食器。テーブルや床には既に固まった血痕が点々とある。
 異様で異常な光景に彼らは戦慄いた。
「清潔さには誰よりも気を遣っているはずですが」
「ねぇ、黄瀬ちんは?」
 紫原の声に一同ハッとする。肝心の黄瀬の姿が見当たらない。そこでふと目に留まったのは堅く閉じられた扉――リビングに隣接する寝室だった。
「涼太、開けるよ」
 ゆっくり静かにそこを開けると、室内は矢張りカーテンを閉め切った状態で暗かった。しかしリビングから差し込む光がうっすらとその内部を浮かび上がらせる。
「黄瀬君!」
 ベッドの隅で体を小さくし膝に顔を埋めて両手で耳を塞ぐ黄瀬がいた。金糸のような髪が暗闇に光る。
 駆け寄った黒子と赤司と紫原はその黄瀬の容態に顔を顰めた。
「黄瀬君、大丈夫ですか!? 黄瀬君!」
「涼太、僕が分かるか」
「黄瀬ちん……」
 紫原がそっと手に触れると過剰なまでにビクリと震えた。ガタガタと体を震わせながら黄瀬がゆっくり顔を上げる。その瞳には恐怖と不安だけが映し出され、目は泣き腫らした跡が良く分かる。頬には幾つもの涙の轍が出来ていた。
「あ……っ」
「涼太、僕らが分かるか」
「……か、し……っち」
 揺れる瞳は漸く焦点を定めじわじわと光が差し込む。発せられた声は彼の物とは思えない程か細かった。
「っ……!」
 瞳に恐怖と不安に混じって安堵の色が差す。瞬間、ポロッと大粒の雫が零れ、それを合図に止め処なく零れ落ちていく。 
 紫原の腕の中で涙を流す黄瀬を両サイドから赤司と黒子が落ち着かせるように頭や背中を撫でていた。そんな中、リビングに居た緑間と青峰が難しい顔をしたまま部屋の入口に凭れ掛かっている。
 どちらともなく厳しさを含んだ声で黄瀬を呼ぶ。ビクッと反応したのが三人には分かった。
「何故、俺達に黙っていたのだよ」
「言い辛ェってのも分かるけどな。だからって黙っててもしょーがねーだろ」
 バサッと音を立ててベッド付近の床に投げられたのは、先程ゴミ箱に入っていた物やその付近にあった紙屑だ。しかしよく見ると封筒のものもある。
「これは……?」
 黒子が手を伸ばし束を掴むとそれに一早く黄瀬が反応した。
「だ、ダメっス!」
 しかし紫原の腕の中にいた黄瀬は中途半端にしか腕が伸びず、奪い取る事は叶わなかった。しかし黒子の手から離すことには成功している。けれどもそれは只それらが宙を舞ったと言うだけだ。
 バラバラと降ってくる紙を紫原が掴む。
「涼太、今日は五時から隣町の運動公園まで走っていたね。頑張る涼太が好きだよ。五時四五分からシャワーを浴びたね。汗を掻く涼太も綺麗だけどシャワーを浴びる涼太は色っぽいね。今度一緒に入ろう。六時か」
「ヤダッ!」
 腕を伸ばして紫原が読み上げる紙をくしゃりと握る。そしてもう一度、震える声で繰り返す。
「封筒の方は涼太の写真だね。こっちのはご丁寧に精液付きだ」
 赤司は写真を見ながら鼻で笑う。笑い事ではないと窘めるように黒子が言うも尚も赤司は笑っている。
「涼太、お前に拒否権は無い。他に被害があれば吐け」
「そ、れは」
「そうしたら僕らが涼太を助けてやれる」
「黄瀬、そろそろバスケがしたいのではないか?」
「お、れ……っ――」
 赤司達が部屋を出て行った後、凡そ一週間振りに黄瀬はマンションを出た。コンビニへ向かう為だ。流石に何も口にしていない日が続くと育ち盛りの彼は空腹を覚える。しかし冷蔵庫の中は空っぽ。出来合いで済ませようと思い至るのも無理はない。
 日は沈み暗い夜道を一人歩く。すると久々に嫌な音が耳に届いた。歩調を合わせてくる音だ。此方が止まれば向こうも止まる。歩き出せば向こうも歩き出す。心臓が速くなる。怖い。それだけの感情が渦巻いていた。
 電灯の側を過ぎた時、黄瀬は突然走り出した。当然後ろから付いて来る足音も走った――が、それは黄瀬が走り始めた所までしか出来なかった。
「オニーサン、ちょっといいか」
「お話しーましょー」
 突然出て来た青峰と紫原に両腕を拘束され身動きが取れない。挙げ句紫原の大きな手によって頭部を、青峰の力強い腕で首根っこを掴まれているものだからどうすることも出来ない。
 そうして黄瀬が走り去った方向から赤司と緑間が男の目の前で立ち止まった。
 いずれにせよ自分よりも長身の男が四人も揃った中で彼の恐怖心は充分に煽られただろう。
「ストーカー行為等の規制等に関する法律を知っているか?」
「通称、ストーカー規制法と言う」
「規制の対象となるのはつきまとい等」
「但し目的が特定の者に対する恋愛感情などの好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足することなのだよ。そしてその特定の者又はその家族等に対して行う八つの行為を規定としている」
「一つはつきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所――つまり住居等の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。君は再三に渡ってやったそうだね」
 赤司の瞳が鋭く光る。
「そして、その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。まさにこの文章なんかそうなのだよ」
 紫原が読み上げた物を含む数枚の紙が緑間の手に握られていた。
「それから面会、交際その他の義務のないことを行うことを要求すること。聞いたよ、君が留守電に入れたメッセージ」
「著しく粗野又は乱暴な言動をすること。については当てはまる行為はしていないようだな」
「そしてこれは涼太が一番参ってたみたいだ。電話をかけて何も告げず、又は拒まれたにもかかわらず、連続して、電話をかけ若しくはファクシミリ装置を用いて送信すること。僕や事務所からの連絡があるかも知れないのに彼はそれらを絶った。どう言う事かわかるかい? それ程涼太は精神的に追い詰められていたんだよ」
 一歩、また一歩と近付く。男は後退りしようにも青峰と紫原に阻まれている。
「後、猥褻な写真を送りつけたよね。電話や手紙でも卑猥な言葉を告げたそうじゃないか。これも《つきまとい等》に当てはまるの、知ってるかい? その性的羞恥心を害する事項を告げ若しくはその知り得る状態に置き、又はその性的羞恥心を害する文書、図画その他の物を送付し若しくはその知り得る状態に置くこと」
 赤司が男のネクタイを襟合わせから取り出す。そして徐々に徐々に、非常にゆっくりとしたペースでそれを絞めていく。
「やッ、ヤメロッ!」
「その胸ポケットに入ってる社員証、大手企業じゃね? 俺でも知ってら」
「へー、オニーサンってエリート〜? ふーん」
 高い位置にある頭だからこそ見えたのだろう。男の顔が一気に青ざめる。
 緑間は眼鏡のブリッジを押し上げ、告げた。
「この法律は同一の者に対し《つきまとい等》を反復してすることを《ストーカー行為》と規定し、ストーカー行為を行った者に対する罰則を設けているのだよ。ご存知か? 一年以下の懲役又は百万円以下の罰金なのだよ。此方は警察に検挙を求めることだって可能なのだよ」
「さて、どうする? 穏便に済ませたくはないかい? ねぇ、――」
 一方その頃、少し離れた公園のベンチで黄瀬は黒子にしがみついていた。バクバクと鳴り止まない心臓、震える体は走ったからではない事は黒子には筒抜けである。
「み、みんなは大丈夫なんスか?」
「大丈夫です。暴力沙汰にはなりません。青峰君と赤司君が冷静で居てくれればの話ですが」
「それはそれで心配っスけどそうじゃなくて!」
「大丈夫です」
 優しい眼差しを向けると、黄瀬から不安の色が霞んでいく。
「だから、信じましょう」
 震える黄瀬の体をぎゅっと抱き締めた。この時ばかりは非力で良かったと思ったのは誰も知らない。
「黄瀬君、随分痩せましたね」
「頑張って戻すっス」
「ゆで卵なら作れますよ」
「あははっ、じゃあサラダ作る時は黒子っち呼ぶっス」
 久方振りの黄瀬の笑顔だ。まだ幾分かぎこちないものの、それでも黒子は安堵する。
 そんな彼らの元に穏便な解決を済ませた一行が向かっていた。
「お前らの言葉サッパリだわ」
「只、法律を述べただけなのだよ」
「まあ、色々と端折ったけどね。ストーカーは親告罪だから」
「あーまぁ確かに深刻だな」
「峰ち〜ん、多分変換違ーう」
 まだ彼らは知らない。黄瀬がこれから自分達の為に流す涙も、自分達が与えた笑顔も、一晩だけの宿泊の誘いも待っていることを。


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