海常×黄♀


「姫ー、こっちも頼むわ」
「はーい!」
 神奈川は今日も湿気を含んだ暑さで、体育館で激しい運動をしているバスケ部員が次々と体調不良を訴えている。その対応に黄瀬は追われながら忙しなくバタバタと駆け回る。
「大丈夫っスか? 吐き気とか無いっスか?」
 足の付け根や首、脇の辺りなどを氷嚢で冷やしながら声を掛ける。呼吸が落ち着いていくのを見てホッとする暇もなく、他の人の所へと足を向けた。
 それが今日の出来事だ。
 勿論その間にもちゃんとマネージャーとしての仕事はこなす。でなければ笠松との約束を破った事になる。
 ほんの四ヶ月前の春の事だ。入部希望を申し出たのは良いものの、思った以上の人が体育館に居た。勿論殆どが女子で男子は二人乃至三人くらいだ。そこから簡単な面接を受ける訳だが、黄瀬は全中三連覇を成し遂げた帝光の一軍マネージャーをしていたし即戦力になる。そう思っていたのだが面接官である武内と笠松は簡単に首を縦には振らなかった。
 理由は只一つ。モデルだから。幾ら帝光出身とは言え中学と高校じゃカリキュラムが違い過ぎる事や練習に身が入らない奴が出て来るなど尤もな理由を並べられた。当然それで納得する黄瀬ではない。
 マネージャーの仕事に一切手を抜かず全て時間内にこなす。部員よりも早く来て部員よりも後に帰る。ジャージは脱がないし腕も裾も捲らない――但し、洗い物の時は許してもらった――。一軍の軽い調整程度であれば練習にも付き合う。これらの条件を自ら突き出し漸く縦に振らせた。
「お前な、律儀にあの条件守ろうとしなくていいんだぞ? 黄瀬の方が倒れかねん」
「笠松センパイ心配してくれるんスか?」
「当たり前だろーが。お前だって海常バスケ部の一員なんだぞ」
「へへっ、その言葉で充分頑張れるっス!」
「……ったく。無理すんなよ。こまめに日陰で休んで水分補給も欠かすな」
「はーい」
 入部して直ぐに認めてもらえた。部員も初めこそモデルの黄瀬として見ていたが、段々その色眼鏡を取ってくれたようだ。
「涼ちゃん」
「森山センパイ。どうしたんスか?」
 部内で唯一名前で呼ぶ人。他のレギュラーは名字呼びだ。
「今室温かなりヤバいらしくてさー、一時中断」
「日も高くなってるし、気温も上昇中っスねー」
「だなー」
 じりじりと地面を焼き付ける太陽の向こうには大きな入道雲が顔を覗かせていた。
「その内雨も降るっスね」
「降ったら最悪だな。オレ傘持ってねーし」
「下校中に降られなきゃいーっス」
 そう言って互いに笑ったのが数時間前だ。
 部活も終了し体育館には自主練する人のみが残っている。
 バスケ部専用体育館にはレギュラーである笠松、森山、小堀、早川。他の一軍は第一体育館や第二体育館を使っている。
 そして黄瀬はバスケ部専用体育館に息を切らしながら駆け込んだ。
「ふあああああっ!」
「涼ちゃん?」
「うわっ、お前どうしたんだよ」
「ずぶ濡(れ)ですね」
「降られたか……」
 中に居たのはこの四人だけ。だから一人一つのゴールを使っていたようだ。ボールの入った籠が四つ置かれている。
 入口近くに居た森山と笠松が真っ先に駆け寄った。遅れて早川と小堀が来る。
 皆心配そうな顔をしているが、何て事はない。ただ、洗濯物を取り込んでいたら突然雨に降られただけだ。昼間森山と話していたことが不意に脳裏を過ぎった。
 あの入道雲め。
「降られちゃいましたー」
 水気をいっぱいに含んだジャージは大変重く、色も濃く変色している。夏だと言うのにやけに肌寒い。
「ひくしゅっ」
 ぶるりと震えれば一同ハッとし、わたわたと焦り始めた。
「ちょ、バカ! さっさと部室で着替えて来いっ!」
「ジャージだから透けてドキドキっていう美味しいシチュエーションも無いとはな……。つくづく嫌な雨だ」
「森(り)山先輩、露(ろ)骨です」
「風邪を引いたら大変だ。早く行ってこい」
 森山からタオルを頭に被せられ、それを笠松が乱暴にがしがしと拭く。小堀が「黄瀬は女の子なんだからもう少し優しくしないと痛いんじゃないか?」と諭し、早川は早く部室に行くよう背中を押した。
 そんなセンパイ達にお礼を言って、黄瀬は部室へ向かって急いだ。
「うわぁ……重っ」
 ジャージを脱ぐ際、結構な水を吸っているのかずっしりとした重さが腕にのしかかる。取り敢えず脱水と乾燥だけでもと部室棟の奥にあるランドリー室に向かった。
 部室から出て行く時、流石に下着姿で彷徨くわけにもいかないので棚から大判のバスタオルを取り出しお風呂上がり宜しく身体に巻き付ける。
 一方、体育館では――。
「なぁ。ちょっと涼ちゃん遅くないか?」
「確かに」
 体育館の壁に掛かっている時計を見ながら森山が笠松に話し掛ける。それには笠松も同意なのか時計をチラリと見るなりシュートフォームを解いた。
 黄瀬が体育館から出て二〇分が経とうとしている。
「黄瀬の奴、大丈夫かな?」
「ちょっと見に行きますか?」
 小堀と早川も話に加わり、後五分だけ待とうと言う結論に至った。
 そして今、彼らは声にならない思いを各々抱えていた。
「……っのバカ!」
 開口一番に笠松の罵声が漏れたそこは、ランドリー室である。
 あれから結局五分待っても黄瀬が現れる様子も無かったので四人は部室を訪れた。しかしノックをしても返事が無いのを不審に思った早川が開けた所、そこは蛻の殻だった。
 首を捻っている所に微かな機械音が聞こえてきた。その音を何となく辿ってみればランドリー室に行き着き現在に至ると言うわけだ。
 しかし開けて吃驚とは将にこの事だろう。
 ランドリー室の扉を開ければ、脱水中の洗濯機に寄り添ったままバスタオルに包まれて規則正しい寝息を立てるお姫様が居たのだから。
「そもそもなんつー格好してんだよ!」
「笠松に涼ちゃんの生足は刺激が強過ぎたかー?」
「黙れバカ!」
 赤面したままがなっても大した効力は持たない。
「しっかし気持ち良さそうに寝てますね」
「まぁ、今日は特に頑張ったからな。黄瀬は」
 よくよく見てみるとその寝顔は確かに美しく整ってはいるものの、疲れの色が見える。
「だからって無防備にも程があんだろーがッ! 危機管理がなってねーよッ! モデルのくせにっ」
「まぁまぁ。それ程黄瀬も疲れてたって事なんじゃないのか?」
「でもそ(ろ)そ(ろ)起こさないと風邪引きますよね?」
「ったく、海常のお姫様はしょうがないな。おーい、涼ちゃん。そんな所でそんな格好して寝てると既成事実作っちゃうぞ」
「はあああああ……っ!? 何言ってんだこのバカッ!」
「痛っ!」
「ん……」
 起こすことを目的としてはいたものの、いざ黄瀬が身動ぎ始めると周りは水を打ったように静まる。起こさなければならない気持ちと同じくらい今は寝かせてあげたいと言う気持ちもあったのが四人の本音だ。
 うっすらと瞼が持ち上がり寝ぼけ眼が覗く。とろんと微睡む甘い瞳と共に首を擡げると黄瀬のぼんやりとした視界に彼らが映った。
 途端にふにゃりと破顔する。
「センパイだぁ」
 ふふっ、と笑った顔は雑誌や広告で見るような澄まし顔でもクラスメートに見せるどこか一線を引いたような作り顔でも笠松達に見せる懐っこい顔でもない。
 ただただ無防備な笑顔だった。
 それはまるで自分達を信頼しているからこそ見せるのだとも言っているようで……。
「涼ちゃんマジ天使」
「ここまで黄瀬が曝け出してくれるとはな」
「でもまたコイツ寝ちゃいましたよ?」
「っだあああああ! 起きろこのバカ犬っ!」
「きゃんっ!」
「笠松、幾ら何でも寝ている女の子を殴るのは……」
「キャプテン容赦ないですね! 格好良いですっ!」
「おーよしよし。涼ちゃん痛かったなー?」
「うぅ……。お早うございます……」
「お早うじゃねーよこのバカ! なんつー格好して寝てんだよ! バカ犬!」
「はっ! やだセンパイのえっち」
「……っお前、マジで、シバくぞ……」
「すすすすすスマセンッ!」
「はいはいそこまで。取り敢えず涼ちゃんはオレのジャージ羽織っときな」
 二度目のシバきが入る前に森山が間に入り、自らのジャージを黄瀬の肩に掛ける。
 ちゃっかり彼ジャージ擬きであるがそれを目敏く指摘する者はこの中に誰一人として居ない。その担当である森山が行動を起こしたのだからそうなるのも必然である。
 袖を通し前を閉めれば身体を覆っていたバスタオルもすっぽりと隠れている。それでもミニスカート丈ではあるが。
 丁度脱水が終わったらしく、黄瀬が寄りかかっていた洗濯機からはピーッと終了の合図が出された。
「こ(れ)、乾燥機に入(れ)(る)だけだ(ろ)?」
「あ……はい」
「後は俺達がやるから、黄瀬は部室に戻って少しの間仮眠するといい」
「不貞な輩に襲われないよう、俺らが涼ちゃんと一緒にいるから安心して?」
「森山が一緒じゃ心配だがな。ホラ、ぼさっとしてねーで行くぞっ」
「え? あ、はい……あのっ、待ってください……!」
 あの雨は夕立だったのだろう。
 すっかり晴れている空に目を細めながら、先を歩く二人のセンパイの背中を追い掛けて行った。
 三人が出て行った後、ランドリー室に落ちていた一枚の大判バスタオルを見つけた早川と小堀が何とも言えぬ表情になった事など彼女達が知る由も無い。

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