笠松×黄瀬


 世間は夏休みとは言え、それは学生の間の話である。社会人にとっては精々お盆休みが夏休みといった所だろう。
 そんな中、黄瀬と笠松は制服姿で帰宅ラッシュで混み合う電車に乗っていた。
「これクーラー入ってる意味無いっスね」
「帰宅ラッシュの時間帯だけは避けたかったんだが……しょうがないよな」
「いつも大抵ラッシュ前後っスもんねー」
 東京でとある大学生チームの試合を観戦した帰りにスポーツショップに入った。少し立ち寄るだけのつもりだったが、そこで随分と長居してしまったらしい。結果的にラッシュに巻き込まれる次第となった。
 朝練で早く学校に着き、自主練で遅くに学校を出る彼らには通勤通学ラッシュも帰宅ラッシュも殆ど円が無い。あっても定期考査期間中くらいだろう。
「……っ」
「どうした?」
 突然ビクリと肩を揺らして身じろぐ黄瀬に問い掛ける。彼はふにゃ、と眉尻を下げて笑った。
「いや、丁度後ろの人の息が首に掛かっちゃって……」
 擽ったいんス、と困ったように笑う。
 笠松もそれは仕方がないと考えているのか、「そうか」としか言えなかった。
 しかし黄瀬自身はそれ以上に身じろぎたいのを必死に我慢していた。
 微妙なタッチでスラックス越しに人の手が双丘に触れてくるのだ。電車の揺れに合わせるようにさり気なく、とても自然な動きである。この満員ならば仕方がない、と強引に思い込まなければ意識を其方に持っていかれそうだった。
「ッ……んっ」
「黄瀬?」
「あ、や、スマセン。何でもな、ァッ」
「大丈夫か?」
「へ、いきっ……ス」
 そう言う黄瀬の表情は困ったように笑うもどこか耐え忍んでいるようにも思う。時折ぴくん、と身体を震わす様は何度か見て来た顔に酷似していた。
 二人きりになった時、笠松がちょっとした悪戯心からくる戯れで黄瀬の身体に触れた時のそれに。
「黄瀬」
 それに気付くと笠松は一層声のトーンを落として黄瀬を呼んだ。怒気は含んではいないがしかし内心苛々していたことに変わりはない。
 黄瀬の言う『丁度後ろの人の息が首に掛かっちゃって……』という言葉を思い出し、何とはなしに視線を彼の背後にやる。瞬間、笠松の眉間には深く皺が刻まれた。寧ろ溝が出来たと言っても良い。
 それを隠そうともせずに今度は怒気をふんだんに孕んで黄瀬を呼んだ。
 本来ならば次の停車駅で降ろしてやりたいが生憎乗った電車は急行で、目的の駅までノンストップである。それまでまだまだ時間はあるので放って置くことは出来ない。ましてや恋人が自分以外の他人の手によって公共の交通機関で色気を振り撒くなど笠松からしてみれば言語道断なのだ。
「ちょっとこっちにくっつけ」
「へ?」
「いいから」
「は、い」
 言われた通り、少し重心を移動させる。幸か不幸か偶然にもカーブに差し掛かったらしく思った以上に笠松と密着する。その際、弄られていた指が双丘の割れ目に思い切り入ったのだがしかしそれ以上に笠松との距離の方が黄瀬にら刺激的だったようだ。
 しっかりと腰に腕を回されさり気なく支えてくれる腕に安心と緊張を覚えた。恥ずかしくて彼の肩口に顔を埋める。
 そんな時だ。普段公の場では大人しい笠松が、ややドスの利いた声を出したのは。
「おいオッサン」
 その瞬間、違和感と不快感は消え去り、代わりに悲痛な声を出す男声が背後から聞こえた。
「イテテテテテッ」
「何どさくさに紛れて痴漢行為働いてんだよ」
「はっ、離せッ!」
 バスケをしているだけあってなかなかの握力に相手の涙声に変わっている。
 何だ何だと近くの会社員達も此方に注目しているようだ。
「アンタ、自分の行動が犯罪だって分かってんだろうな? いい大人が情けねーと思わ無いのか?」
 只でさえ平均よりも高い身長なのだ。その上バスケで鍛え上げた筋力と恋人を汚された怒りで鋭い睨みを利かせる笠松に、相手も反論出来ずにいた。捻り挙げた腕は第三者の腕にバトンタッチされる。
「この人は此方で抑えておくから、君はその被害に遭った子を安心させてあげるといい」
「ありがとうございます」
 見知らぬ心優しいサラリーマンの助けに甘え、笠松は全てを黄瀬へと集中させる。
「大丈夫か、黄瀬?」
「センパイ……」
「ん?」
 腰に回した腕はそのままに、掴む対象を失った手は肩口に埋まっている金色を撫でた。遠慮がちに制服の裾を握る黄瀬はまだ少し震えている。
「惚れたっス」
「は?」
「センパイ格好良すぎて、もう、オレ、どーにかなっちゃう……」
「んだそりゃ」
「帰ったら、ちゃんと消毒してください」
「……仰せのままに」
 子どもをあやすように、宥めるように、慈しむように身体に触れる。そこに確かな愛情と安心を感じ取った黄瀬は、ぎゅっと縋るように腕を回した。
 カタン、カタタン、と電車の揺れる振動よりも二人の触れ合った鼓動の方が今はより近くに感じる。
 駅に着くのが早いか、発情が早いかなどこの時の二人はまだ知らない。

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