海常×黄瀬


「たーつーみーくーん!」
「もう部活終わったけど?」
 水道で顔を洗って自主練の為に体育館へ戻ろうと渡り廊下を歩いていた時だった。背後から最近良く話すようになった声がしたので立ち止まる。振り向けば練習着に着替えた我がチームのエース様が嬉しそうに走って来た。隣に並べば矢張りデカい。
「仕事は?」
「頑張ってソッコー終わらせたんス! だってバスケしたいしっ!」
 第一印象はいけ好かない奴だった。それは明らか先輩達をも見下したような態度だったからだ。実力主義の帝光の出ならばとも思うがしかしそれにしたって先輩方に失礼だと思った。しかし黄瀬のバスケセンスや実力は尊敬に値する。
 けれども誠凛に練習試合で負けてからと言うもの、彼は変わった。バスケと真摯に向き合い、誰よりも練習している。先輩とも他の部員とも打ち解けたみたいだ。かく言う俺もその一人。あんなストイックな姿を見て嫌いになれる訳がない。
 今だってこうして、仕事――セーブしていても大人の事情とやらで入れられる時があるらしい――をやった後でも必ず体育館に来る。周りと少し違ったライフスタイルなのに彼の中心にはいつもバスケがあった。
「ちわーっス!」
 そして変わったのは黄瀬だけじゃない。
 部の空気や部員の意識も変わった。
 ほら。黄瀬が入って来ただけで、一気に空気が変わる。例えとして適切かは分からないが、言うなれば、唐揚げの乗った大皿にレモンを添えたような、そんな感じ。一気に活気付いたような気がする。
 特に正レギュラーの先輩達は顕著だと思う。
「遅ぇよばかっ」
「イタッ! スマッセン! や、でも笠松センパイっ、オレ、これでも結構急いだんスよ?」
「ついさっき部活終了したばっかだぜ? タイミング狙って来たのか?」
「ち、違うっス! ちょっと森山センパイ変な言い掛かりは止めて欲しいっス」
「あ? お前学校サボ(リ)じゃなかったのか?」
「ヒデーっス! 早川センパイそれはヒデーっスよ!」
「よしよし。黄瀬は頑張ったな」
「小堀センパぁ〜イっ」
「おい小堀、あんまり甘やかすんじゃねーよ」
「笠松センパイはもうちょっと優しくしてくださいっス!」
 先輩相手にわんわん吠えられるのは恐らく黄瀬だけだろう。
 しかしそれでも先輩達は咎めたりはしない。口で色々言う割には彼の柔軟やストレッチを手伝っている。行動と言葉が合っていないのはわざとなのかどうかは今の所判別がつかない。
 まあ黄瀬が楽しそうに笑っているからいいか。なんて。
「笠松センパイっ! ワンオンワンしましょっワンオンワン!」
「なあ黄瀬、偶にはオレとやらないか?」
「えっ! 森山センパイやってくれるんスか!?」
 思わぬ人物の立候補に黄瀬は瞳を輝かせている。森山先輩が、と言うよりは恐らく相手をしてくれるのならば誰でも良いのだろう。
 しかし度々「黄瀬は犬だ」と先輩達が言っているのを聞くからか、最近俺にも犬耳と嬉しそうにブンブン振られる尻尾が見える時がある。流石にチームメートのしかも同級生をそう言う目で見るのは失礼だと思いいつも必死に頭を振る。
「森(り)山先輩はさっき『ちょっと休憩してく(る)』とか言ってたじゃないですか」
「え、そうなんスか……?」
 明け透けにしょぼんとしている彼を余所に森山先輩は早川先輩に「余計な事を言うな!」と焦っていた。
「何ならオレとやらないか?」
 小堀先輩の微笑みは何かこう人に安心感を与える。笠松先輩とはまた違うタイプの人だ。
「おい黄瀬、オレとやるんじゃ無かったのかよ」
「オ(レ)まだ動き足(り)ないんで相手出来ますよ!」
「いやだから偶にはオレと……」
「森山は休むんだろ? だったら代わりにオレが」
「えーと?」
 何だか分からないが黄瀬を中心に囲むようにして先輩達が立っている――それでも黄瀬の存在感が薄れる事は無い。寧ろ目立つ一方だ――が、まあ、一触即発とか言った険悪な雰囲気にはならないだろう。如何せんあの笠松先輩と小堀先輩がいるんだから。それに何だかんだ言って森山先輩も空気を読める人だし。まあ早川先輩は直情型だから何とも言えないが悪い人ではない。恐らくあの四人の先輩の中じゃあ一番純粋な人かも知れない。
 だから俺は安心していた。得た安心感により黙々とシュート練習を続ける。
 そう。そんなまさかと疑いたくなる現実がすぐ側で待っていた事に気付かなかったのだ。
「たーつーみーくんっ!」
 籠から次のシュートを撃つ為に新しいボールに手を伸ばす。しかし指に触れた感触は天然皮革ではなく、もっと万人が好みそうな滑らかな質感の――。
「うわっ!」
 まさか黄瀬の手の甲だとは思わなかった。あまりにも肌触りが良過ぎて暫く触ってしまっていた気がする。それなのに黄瀬は嫌な顔をするわけでもなくニコニコと笑っていた。
「ちょっ、ヒドいっスよー。人の顔見て驚くなんてー」
 これでも顔には自信あるんスよー? なんて言ってしまう辺り矢張り黄瀬は黄瀬だ。
「すまん。いやでもいきなり黄瀬のどアップはちょっと心臓に悪い……」
「ちょっ! ヒドいっ!」
 触れたのが人の手だと分かって思わず顔を上げたら目の前にビスクドール宜しく整った顔が現れるんだ。誰だって驚く。
 勿論悪い意味で言ったわけではないのだが、言い方的にはそう聞こえたかもしれない。もっと言えば、そんな風にマイナスとして考えてしまうのは周りから弄られてばかりいる黄瀬だからだろう。
「で、何?」
「スリーオンスリーしないっスか?」
「誰と?」
「オレとー、笠松センパイとー、森山センパイとー、小堀センパイとー、早川センパイっ」
「……えと、何で?」
「人数が足りないからっスよ」
「いやでもお前先輩達とワンオンワンやるんじゃ……」
「何かみんなワンオンワンやりたいらしくて。それならいっそのことスリーオンスリーしちゃえば良くないスか?」
「……」
 絶句。そうとしか言いようがない。
 それなのに黄瀬は「名案でしょ?」とでも言いたげな目で此方を見て来る。挙げ句彼から伝わるのは「褒めて褒めて」と言うオーラだ。
 どう反応すれば良いのか良く分からない――だってこういうのは大抵笠松先輩や森山先輩が相手にしてるからっ!――俺は仕方なしに頭を数回撫でてやった。
(あ、黄瀬の頭気持ち良い……)
 サラサラとした指通りは良く、キューティクルも申し分ない誰が見ても良質と思わせる髪質は良く指に馴染んで気持ちが良かった。癖になりそうだなと思うほどには。
 黄瀬は黄瀬で撫でられるのが好きなのか――こうして居ると本当に犬っぽいなと思ったのは内緒である――、目を閉じて気持ち良さそうに身を委ねていた。何だかなー。
 そんな時だ。少し離れた――先程まで黄瀬の取り合いをしていた場所から不穏な空気を感じ取ったのは。
 チラリと視線を向ければ先輩達が物凄い形相で此方を見ていた。体がビクッと大きく跳ねたのは仕方がないと思う。
「ね! やろっ」
「あーいや、俺は」
「ツーオンツーだと一人あぶれちゃうし……」
「だったら他の」
「大抵帰っちゃったっス。準レギュの先輩達は何か他の体育館使ってるみたいだし、流石に一年はまだ先輩達に手も足も出ないだろうしっていうかそれ以前に後込みしちゃってて」
「いや俺も一年だし」
「でもその中じゃ一番上手いじゃないスか。絶対後込みするようなタイプじゃないっしょ?」
「いやそーでもな」
「ねぇ、だめ?」
 少し前屈みになって目の高さが俺より下になる。そこで小首を傾げながら見上げてくるこのあざとさはモデルだからなのかイケメンだからなのか俺には分からない。
 柳眉をハの字に下げて瞳を潤ませる。この小技が計算されていないと知った時の気持ちはそれはもう色々と壊れそうだった。
「……先輩方が良いのなら」
「やったー! センパーイっ! スリーオンスリーにしましょーっ!」
 事後報告かよっ!
 何てツッコミは心の叫びとしてしか現れず、残念ながら黄瀬に届く事は無い。
「最近オレら以外とも打ち解けてんな」
「それだけ黄瀬も他の部員も馴染み始めたって事じゃん?」
「いい傾向じゃないか」
「でもホント黄瀬って一度懐くととことん無防備ですよね」
「そこがまた心配何だけどな」
「笠松お前ホントこの数ヶ月で黄瀬の保護者だな」
「お前だけ明日走らせるぞ」
「理不尽!」
「ははっ、まあその辺にしとけよ?」
「あっ! 黄瀬が戻って来ましたよ!」
 黄瀬に腕を引かれて走って行けば其処には四人の頼れる先輩の姿。そして、一歩先を進む信頼出来るエースが居た。
「宜しくお願いしますっ!」
「お手柔らかにお願いするっス!」
 二人揃って頭を下げれば後輩を見守る八つの優しい眼差しがあった。そこで俺は此処に来て良かったとしみじみ思うのだ。
「よーっしじゃあチーム分けやろうぜ」
 森山先輩のこの言葉を皮切りに、また少し黄瀬争奪戦が勃発したのは言うまでも無い。
 とことん大事にされて、こんなに愛されて、それを分かっているのかいないのか(恐らく後者だろうが)黄瀬は笑ってその行く末を見ている。
 何となく。本当に何となくだが、先輩方が引退してしまった時に残された俺達のやるべき必須事項に《黄瀬の笑顔を守る》事が入っているのだろうなと感じたのだった。

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