暁様


 微睡みながらなんて生易しいものではなく、本能が危険を察したが如く瞼が勢い良く開いた。暗闇に浮かぶ乱れる息と身体を伝う汗が如何に酷い寝覚めであるかを訴えている。
 しかし本当に酷いのはここからだった。
――っ、水……
 暗闇、乱れる息、身体を伝う汗、動くと鳴るベッド、喉の渇き。今し方目が覚めた黄瀬にとっては最悪の条件が揃った。
 焦点が合わない。脳裏に焼き尽くのは先程見た、現実を余すところ無く再現された夢だ。
「っ、は、ァ……ッはぁっ、ハ、ァ、ハァ……ハ、はっ、ッ……」
 落ち着きたいのにドクドクと心臓は気持ちに反比例して加速する。乱れる息を整えようにも逆に荒れる一方だ。次第に呼吸の感覚は短くなりただ苦しさだけが黄瀬を支配した。
「……きせ?」
 隣で眠っていた笠松が微睡みの淵から浮上すると視界には何かに怯えるように背を丸め呼吸を乱す恋人の姿だった。
「黄瀬!」
 乱れ方が明らかにおかしいと悟った笠松は近くにあった六号のコンビニ袋を掴み取り黄瀬の鼻と口を覆う。ハッハッ、と聞いているだけでも苦しくなる呼吸は笠松の「大丈夫だ」と言う低い声に徐々に落ち着きを取り戻して行った。
 大分落ち着いた事を確認するとローテーブルに置いていた照明のリモコンを掴み、暖色の明るさを選ぶ。これならば寝起きでも眩しくはないだろう。
 袋は黄瀬に持たせ、笠松は黄瀬を支えるように抱きながら背中をさすった。
 過呼吸なんてそう頻発する事はない。しかしそれなりの部員数を誇る海常バスケ部だ。経験が全く無いわけでもない。だから何をすべきかくらいは考えなくても体は動いた。自然と主将のスイッチが入ったのもあるだろう。
「はっ、はぁっ……すま、せん……」
「もう大丈夫か? 水取ってくるからその間にちゃんと整えとけよ」
 くしゃりと頭を撫でて笠松は部屋を後にした。
「も、……さい、あくっ」
 両手に力を入れればガサッと音を出して袋が潰れる。深呼吸をするように一つ大きな溜め息を吐いた。
 携帯で時間を見て嫌に納得してしまう。そんな自分を嘲笑った。あの日から丁度一年なのかと、どうしてそんな事を覚えているのかと堪らなく悔しい。忘れたい過去ほど鮮明に覚えているのだ。どんなに蓋をした所で少しの油断が封を切る。
「黄瀬」
 名前を呼ばれて顔を上げた先には黄瀬が愛飲しているミネラルウォーターのペットボトルを手にした笠松が立っていた。笠松は黄瀬の真正面に座り、蓋を開けたままのボトルを渡す。
 照明を差し引いても彼の顔色の悪さははっきりしていた。
「すま、せ……」
「嫌な夢でも見たか?」
「何でもな」
「ない訳あるか」
 黄瀬の言葉を予測していたのか皆まで言う前に被せてきた。
「本当に何もないっス! ただちょっとだけ怖い夢見ただけっスから! ミミズの大群に襲われた夢見ただけっスよ!」
「ふーん」
 黄瀬はこの目が苦手だった。黄瀬はベッドに座り笠松は床に居る。目の高さに高低差が生じるのはいつものことだ。しかしこの笠松の真っ直ぐな目だけはどうしても苦手なままだった。それは宛ら隠した玩具を見付けられた犬の気分のようだ。
「いーよ、言わなくて。無理には聞かない。但し、お前が寝られるならな」
「うぅっ」
 まだ一年も共に過ごして居ないと言うのに足元に座る男はどうしてこうも黄瀬の逃げ道を塞げるのだろうか。疑問を口にすれば「お前が分かり易過ぎるんだ」と言われた。しかし同時に口には出さないものの、黄瀬は分かり難いとさえ笠松は思う。
「あの、じゃあ、ちょっと……ぎゅってしてて貰っても、いっスか?」
 遠慮がちに尋ねれば、虚を突かれたのか笠松が瞠然としている。センパイ? と声を掛ければパチパチと瞬きをした。後に漸く我に返ったのかくしゃっと笑って「仕方ねーな」と言葉と共にベッドに沈んだ。

 話は一年前に遡る。
 帝光は既にレギュラー陣は勝利を手にする為だけに集うようになっていた。そして全中三連覇を成し遂げた夏、青峰は本格的に姿を見せなくなりまた黒子は本格的に姿を消した。しかしそれでも残りの四人は体育館へと現れ自主練を黙々とこなしていく。そんな日々を繰り返していた。
「今日も独りきりなんスかね……」
 どんなに周りに人が居ようとも孤独を味わう。それが今の帝光バスケ部である。
 どんなに青峰を誘っても毎回断られる。どんなに黒子を探しても見付からない。緑間を誘っても軽くあしらわれ、紫原を誘っても邪険にされ、赤司を誘っても相手にもされない。周りに人は居るのに黄瀬はいつだって独りだった。入部した年が酷く昔の事のように思える。
 そしてその日も部活終了後も黙々と練習を続けていた。恐らく緑間は第一体育館、赤司は第二体育館を使用している筈だ。そんな黄瀬は第三体育館を使っていた。緑間は一人でコートを使ってしまうしストイックな赤司と共にするのは何だか気が進まない。紫原はそもそも練習嫌いであるので早々に帰路に就いていた。
――ひとりだと、こんなに広い。
「うわヤバっ」
 考え事をしながら放ったからだろう。リングに嫌われたボールは転々と跳ねながら人一人分が入るくらいに開いていた倉庫の中へと入っていった。
 籠の中のボールはさっきので最後だ。練習をするにはボールを拾わなければならない。ボールを追い掛けながら、入部したての頃を思い出すな〜、と雑用時代の思い出が脳裏を過ぎる。
 その思考を遮断するかのように、入った倉庫が突然真っ暗になった。
「え?」
 元々倉庫内の電気は点けていなかった。しかし扉が開いていたので体育館から差し込む光はあった筈だ。それなのに光が遮断された。可能性は只一つ。それはいとも簡単に肯定される。ガチャンと施錠の音を以て。
 そこから先は出来れば一生涯閉じ込めて起きたい――出来る事ならば記憶から抹消したい事実である。
「まさか男のオレが同性に強姦されるなんて思わないじゃないスか」
 そう言った黄瀬は腕の中で震えていた。
「理由は――まぁ、お察しの通りっス」
 皆まで言わずとも分かる。彼が海常に来た頃だってその様な目で見られていたのだから。
 嫉妬とも呼べる一方的な妬みは時に厄介だ。その感情が強まれば強まる程、それは非情な迄に思考をそれ一色に染め、他の負の感情をも併発させてしまう。
「その日を境に、赤司っちの居る第二を使うようになったんス。その時の恐怖に比べたら赤司っちなんて優しいっスよホント」
「んな顔して笑おうとすんな」
「センパイ?」
「泣きそうならいっそのこと泣いとけ。オレがずっと受け止めてやっから」
 いつの間にか抱き締めているだけの手が子どもをあやすように優しく頭を撫でていた。その力加減もリズムもそして彼の体温さえも心地良い。
「ねぇ、センパイ」
「ん?」
「我が儘、言ってもいっスか?」
「何だよ」
「あのね、――」
 笠松の胸に埋めていた筈の顔はいつの間にか暖色の明かりを背負った笠松を見上げている。不敵な笑みはこの場に不適な気もしたが、しかしそうであって欲しかったとさえ思う。
 今目の前にいるのは自分の好きな人であり、これから自分を愛してくれるだろう人は紛れもなく心の底から愛している人である。そんな風にしか考えられないくらい、思考を笠松で埋めて欲しいのだ。
「心配しなくとも、もうお前はオレの事しか考えらんねーよ」
 そう言って唇が重なる前に見せた笠松の笑顔は自信に満ちていた。

――あのね、笠松センパイの事でいっぱいにして? それでね、もう、忘れさせてほしいっス。センパイだけに満たされたい。

 身体を重ねる二人を暖色の柔らかい光が優しく包み込んだ、そんな深夜の出来事。




【切→甘/お泊まりで、黄瀬がモブ男に妬まれレイプされた経験ありで夢にそれが出て過呼吸になり隣で寝てる笠松さんにはバレたくなくて必死に隠すがバレて慰める感じ】
バレてと言うより暴露してますね、黄瀬君。
我慢ばかり覚えてしまって発散する事を知らずに育ってきてたらいいなと思います。そして自分でも気付かない内に溜まり過ぎて突然爆発してしまう。その結果が過呼吸だったり一時的な記憶の混乱や人間不信、無自覚な自傷行為等に繋がれば美味しいです。私が。
溜め込む事しか知らない黄瀬くんを誰かが支えているお話をください。私に。
「その後裏へ突入するかはお任せ」と仰有っていただいておりました。正直、私も、裏にする気、満々(強調)でした!しかしっ見事、例に漏れずダラダラと長ったらしい文章になってしまいまして、泣く泣くぶった切った所存です。誠に遺憾です。
もし、暁様が宜しければ、裏突入を短編の方(挿入させたいんです)で書かせてはいただけないでしょうか?

>ありがとうございます!黄瀬受にゾッコンなので黄瀬受しか置いていませんが、楽しんでいただけているようで良かったです。ニヤニヤでもニタニタでもしていただけてもう感無量です!
弱った黄瀬が大好物ですか!良いですよね!メンタル的に参っちゃっている黄瀬と、肉体的(普通の暴行でも性的でも)にボロボロな黄瀬のどちらも好きです。
そして出来るなら何方か救ってあげてください。矢張り最終的には幸せになって欲しいので…。
リクエストありがとうございました!



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