ミホ様


「黄瀬君、今日暇ぁ?」
「あーごめんね。部活あるから」
「え〜、いーじゃん今日くらい。サボろーよー」
 女の猫なで声がした方へ青峰が目を向けると、廊下に目立つ男女が居た。
 一人は明らかに背伸びをし過ぎているのが分かる女生徒だ。染髪されたハニーブラウンの髪は緩いパーマが掛けられ毛先がウェーブしている。胸は出ているが恐らく幾らかパッドで盛っているだろう。顔は化粧っ気があり人工睫毛が乗っている。
 一方は、遠目でも分かる長身と手入れの行き届いたきれいな金髪。腰が同じ日本人としておかしい位置にある。化粧などしなくともハリ艶が一目で分かる美肌は男にしておくのは勿体無いとすら思えた。
「いやー、流石にサボるのはちょっと……。ウチのキャプテン怖いから」
「えー、もぅ。じゃあ、今度オフの日は絶対私を誘ってよね! 満足させてくれるまで止めないんだからねっ」
「お手柔らかにー」
 計算された上目遣いと取って付けたようなツンデレ言葉に青峰は顔を顰めた。それに作り物の笑顔を貼り付けて律儀に返事をする黄瀬にもだ。
 にこにこと愛想良く手を振って女が去るのを見送る。いつまでそうしているつもりだ、と半ば苛つきながら青峰は廊下に面した窓から身を乗り出しながら此方に背を向けている黄瀬に声を掛けた。
「何アレ彼女?」
「うひゃあッ!」
「んだよその声」
 なっさけねー。と笑ってやれば照れているのか何なのか、黄瀬の顔は赤く染まる。黄瀬としては青峰が直ぐ傍に居た事への反応だがどうやらその真意は伝わっていないらしい。
「いきなり青峰っちが声掛けるから吃驚したんスよ!」
「人の教室の前にずっと突っ立ってるからだろーが。お前デカいんだから邪魔なんだよ」
「ヒドいっ!」
 わんわんきゃんきゃん。今日も彼らはいつも通りだ。
「で?」
「え?」
「さっきの女、誰?」
「さあ?」
「さぁって……彼女じゃねーの?」
「違うっスよ。つーかオレ今フリーだし」
 にこっと青峰に向けられた笑顔は先程女生徒に向けられたものとは些か違うものだった。それはまるで青峰は特別と言っているようなものであり、どこか寂しげでもある。
 特に意に介する事も無く、青峰は時間が来るまで適当な雑談をしていた。廊下と教室。潜ることなど容易い境界線が、今の二人には酷く重たく感じた。

 それからと言うものどこか二人の空気はぎこちなかった。しかしそれも半年もすればまた別の空気へと変わる。
 原因は青峰の突然の開花だった。それを切欠に黄瀬との距離は広がる。流石に後ろを追い掛ける事すら諦めてしまっても無理はない所まで差がついている。
 それでも黄瀬は諦めなかった。しかしそれを部活に殆ど顔を出さなくなった青峰が知る筈もない。
 こうしてそのままお互い心の奥に蟠りを残したまま時だけは確実に過ぎて行った。

「今日で最後かよ」
 違う。今日が最後なんだ。
 心の中で訂正すれば屋上の扉が錆びた音を立てながら開いた。
 貯水タンクに背中を預けて座っていた青峰はいちいち立ち上がって確認しに行くのも面倒でそのままダラリと四肢を投げ出している。
「みーつけたっ」
「あ?」
 心なしか語尾が弾んでいるようにも感じる軽い声のした方を向けば、ひょこっと黄色い頭を携えたやけに小さい顔があった。本から壁にくっついている鉄製の短い梯子に乗ったまま此方に上がってくる気配は無い。ただ顔だけ覗かせて青峰を見ていた。
「今日で一応最後だし、ワン・オン・ワン、しねーっスか?」
「しねーよ。おめェ弱ぇもん」
「ひっでー。オレ、青峰っちが構ってくれない間もずっと練習中してたんスよ? 引退した後だって……」
「あ? 女遊びは止めたのかよ」
 青峰の一言に黄瀬の表情がひくりと引き攣る。
「オレ、バスケ部入ってから一度も遊んでないっスよ」
 その事、青峰っちが良く知ってるじゃないスか。
 震える声で言葉を紡ぐ黄瀬は俯き、青峰からはサラサラと風に揺れる金色しか見えない。ただ、それだけの事なのに胸の真ん中でドクンドクンと大きく波を打つ音はやけに耳に響いた。
「これからクラス会に行かなきゃなんで! じゃねっ、青峰っち」
 そのまま一つ、また一つと梯子に足を掛けていく。カン、カンと軽い音がそれを物語る。金色がフレームアウトすると、弱々しく、小さかったけれども確かに耳に届いた。
「サヨナラ、青峰っち」
 ハッとした時には既にギィ、と錆びた音を鳴らして黄瀬は扉の向こうへと姿を消していた。
「待てよ黄瀬!」
 動いてしまえば後は簡単だった。固より考える前に本能で動く奴だ。今時分、漸く理解した。今何をすべきかなど本当はとうの昔に決まっていたと言うのに、青峰は気付かない振りをして同時に慣れないことをしていたのだ。遠慮など必要無い。そんな間柄では無い筈だ。
 黄瀬を追い掛けて走る。例えどんなに部活をサボろうとも本が違うのだ。追い掛ける側に回った所で追い掛ける対象に追い付き、追い越すのは容易い。
 卒業式と言う大きな行事も数一〇分前に終わったばかりだと言うのに、校舎の中は閑散としていた。それは彼らの居る場所が特別教室が集まっている所だったからかもしれない。
 二階の踊場で青峰は黄瀬の手を取ると勢いに任せて壁に押し付けた。痛みに眉を顰める黄瀬は背中を打ち付けたのか小さく呻く。逃がしはしないと手首を掴んだ腕が主張する。恐らく手を離したらその白玉のような肌にくっきりと赤い痕が残るだろう。
「なん、スかっ」
「最後だ」
 一杯に水の膜を張った蜂蜜色の双眸は今にも溢れてしまいそうだ。霞む視界でも黄瀬には分かる。目の前に居る彼が、バスケの切欠をくれた人でありその日からずっと目で追っていた人であると。どんなに色が黒くても黄瀬には何よりも眩しく輝いて見えていた。
「今日が最後だ」
 低い声に体の中はビクリビクリと跳ねる。けれども実際体現出来たわけではなく、ヒュッと息が喉の奥に詰まっただけだった。
 ギリギリと掴まれた手首が悲鳴を上げる。それでも離して欲しいなんて思えなかったのは矢張り気持ちに嘘は吐けないからだ。
「だから、言うわ」
 真っ直ぐ射抜くような視線に何もかも奪われた気分だった。
 青峰から目が離せないのも身体から力が抜けていくのもリミッターが外れたように雫が目尻を伝うのも何もかも自分の意思ではない。
「黄瀬が好きだ」
 彼はきっと時間すら奪ってしまったのだろう。
「お前は女が好きだってもの知ってる。俺だって別に男が好きな訳じゃない。お前が……黄瀬が好きなんだ。偶々好きになった奴が男だった、それだけの話だ」
「……うっ」
「黄瀬」
「……そ、だぁ」
「はぁっ!?」
 ボロボロ、ぽろぽろ。止め処なく溢れる涙と共に黄瀬の口はそれに比例するかのように胸中を語る。嗚咽混じりではあったが不思議と聞き取り辛いと感じることは無かった。
「嘘、だぁっ……だって、だって、青峰っち、全然っ、そんな……っ」
「そりゃお前がいっつも女を横に置いてっからだろ」
「オレっ、一度も、自分から、横に行ったこと、な、いしっ」
「あー?」
 そう。いつだって向こうから寄ってきた。しかし黄瀬が自ら寄っていくのは決まって青峰だった。
 一、二年前の記憶を手繰り寄せる。思い当たる節があったのか青峰は僅かに目を見張った。
「青峰っちだって、巨乳、スキ、だしっ、……オレ、でもっ、……それでもっ、青峰っちが好き! でも、気持ち悪がられたく無い……から、オレっ、青峰っちにだけは……嫌われ、たくっ、な……ッ」
 最後まで言葉を紡ぐ事は叶わなかった。それは涙が邪魔したわけでも嗚咽でそれ以上紡げなかったわけでもない。
 物理的に――重なった唇によって不可能となったのだ。
「ん、……ふっ、ぁ」
「やっぱ始めっからこうしてりゃ良かったんだよな」
「ぁ、お……、っち?」
「遠慮とか我慢とか慣れねー事すっから無駄に遠回りしちまったわ」
「ふ、ン……っ」
 再度繋がる唇は先程よりも深くなった。擦れ違った時間を埋めるように、二人の間にある空気すら吸い取って限りなく距離を近付ける為に。二人は互いを求め合った。
「これまでの関係は今日が最後だ」
「青峰っち?」
「これからの関係は今日が最初だ」
 返事をする代わりに黄瀬は青峰の首に腕を回し、今度は自分から唇を寄せた。
 終わりは始まり、別れは出会い。
 そんな季節に彼らは今、さよならを告げ、始まりの一歩を共に踏み出した――。 





【切ない→両思い→甘/青峰が好きだけど気持ち悪いと思われたくなく女遊びもしてた黄瀬と黄瀬に好きって伝えたいけどあいつは女がいるしっていう青峰】
思い切り季節が違いますね。季節感丸無視な仕上がりになりました。びっくりです。世間は夏休み真っ只中でもう直ぐ二学期や後期が始まろうと言う時期に卒業て。
すみません。書きたい物を書いてしまうので季節も何も関係なくなってしまうんです。
シチュを詳細に書いてくださったので妄想しやすかった反面、きちんと御期待に添えた作品に仕上がっているのかと不安にもなります。

>応援していただきありがとうございます。これからも何卒宜しくお願い致します。
リクエストありがとうございました。




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