火黄


 生活が苦しくなって子を売る親は何処にでも居る。産んで直ぐに道端や草村に棄て行く人も居る。まともな親は丁稚奉公させていたが奉公先の扱いがなどんな物か知る人は少ないし、其処から逃げ出した事で責任を取らされる親も居るのだ。逃げ出したら丁稚の消息は様々だが大半が責任を取らされた親同様命を落としているのが現実である。
 そんな荒んだ生活の裏――しかし社会的には此方が裏側とされている――では、貴族や華族、旧家等の所謂富裕層に居る富豪達が娯楽や賭博を嗜好していた。
 その中の一つが、毎月晦日に行われる〈奴隷市〉である。当然闇市であるが国の政を担うお偉い方もそれに参加するのが常であると言うのだから世も末だ。闇市は商品以外は全て仮面舞踏会で見掛けるような目元を隠す仮面を着用しているので個人を特定することはほぼ不可能である。
 真っ暗な大きいホールが奴隷市の舞台だ。ど真ん中に設置された円形のステージだけにスポットライトが当たっている。階段状になっている観客席はそのステージをぐるりと囲むようにある。丸で円形闘技場の屋内版のようだ。
 一番下――最前列は全てVIP専用である。そんな特別待遇の席に、仮面を付けた一人の男が欠伸をかみ殺しながら座っていた。

「あー……居心地悪いったらねーぜ」

 彼の言葉はざわざわと騒がしい声に埋もれて誰一人として聞いていない。こんな人間の底辺な娯楽を楽しむ趣味は生憎持ち合わせておらず、しかし帰りたくても帰れない状況である。
 火神家の古より受け継がれてきた迷惑極まりない伝統故だ。成人を迎えて直ぐの闇市で自分専用の奴隷を買う事で漸く認められると言う悪ふざけも甚だしいそれに憤りを感じる。その伝統を聞かされた数時間前は「正気かよ」と思ったが、実際会場に赴いてみて、この場に正気な奴など誰一人として居ないのだと知る。

(絶対ぇオレの代でそんな糞みたいな仕来たりぶっ潰してやる)

 買ったら直ぐに帰路に就けると言う事はなく、その他諸々の手続きやら何やらがある上に火神を連れてきた叔父は最後まで見るつもりで居るらしい。
 今の奴隷は飽きた。隣でそう吐き捨てるように言った彼を殴らなかった自分を褒めたいくらいだ。

(最近の金のある奴は落ちぶれてばっかだな)

 自分の感情に真っ直ぐな火神は今の世を楽しむ術を持たなかった。

『お集まりのみ皆様!! 大変長らくお待たせ致しました!』

 マイク越しに場内へ響く司会者の声に周りは沸き立った。挨拶もそこそこに早速「一番」と呼ばれた人間が奈落から姿を現した。

「っ! まだ子どもじゃねぇか……」

 首輪を嵌め、後ろに縛られた手と鎖で繋がっている。しかしそれも短いのだろう。胸を突き出す格好に周りが興奮気味に声を上げていた。足首には重石の付いた足枷が嵌められている。
 本来の名を呼ばれる事無く丸でそれがお前の名前だとでも言うように番号で呼ぶ。司会者がプロフィールのようなセールスポイントを挙げていく。そして落札がスタートするのだ。
 四方八方から飛び交う値段は、火神の耳には罵声のようにしか聞こえなかった。買われた子どもは恐らく〈飼われた〉生活を送るのだろう。
 お決まりなのか、「本日の目玉商品」と言う司会者の言葉に会場は開始直後以上に盛り上がった。そしてその言葉はこの闇市の終わりを意味する。
 どうせ叔父が最後まで居座るつもりならば一番最後に出て来た奴にしようと始めから決めていた。叔父は叔父で四番目に出て来た少年をスタート価格の三倍の値で競り落としている。
 番号が呼ばれた。奈落から出て来る。そして現れた‘彼’に火神は目を奪われた。
 それは他の客も同じらしい。次々と飛び交う値段は先の商品の比ではない。にも拘わらず、火神も遂に固く閉ざしていた口を開いた――。

「火神っち。……火神っち」
「んー」
「火神っち」
「んー」
「時間っスよ、火神っち」

 うっすらと目を開ければ朝日を受けてキラキラ輝く宝石のような‘彼’を視界に収めた。

「き……せ?」
「おはようっス、火神っち」
「……はよ」

 真上から火神の顔を覗き込むようにしている彼――黄瀬の白い頬をするりと撫でる。すると擽ったそうに、けれどもどこか嬉しそうにふわっと笑った。
 黄瀬が火神邸に来てから三ヶ月が過ぎた。漸く黄瀬も火神の傍での生活に慣れたらしい。
 と言うのも、黄瀬が奴隷として教え込まれた数々は火神の前では殆どが役に立たなかったからだ。彼の扱いは奴隷としてではなく、きちんと一人の人間として向き合ってくれていた。

「で、名前は?」
「……え?」
「何て呼べばいい?」
「それは、旦那様がお好きなようにお呼びになっ」
「あるだろ?」
「……」
「まさか本当に無いのか?」
「…………ぉ、た」
「あ?」
「りょ、た……。黄瀬、涼太」
「オレは火神大我。堅苦しい呼び方は好きじゃねぇから、呼びやすいように呼べよ」
「え、でも……」
「黄瀬」
「……っ」

 それ以来黄瀬は「火神っち」と呼ぶようになった。これは黄瀬が人身売買に遭う前、友人達を親しみを込めてそう呼んでいたのだがそれを火神が知る由もない。言えるはずも無いのだ。自分を買った相手は仮にも「主人」であるのに親しみを込めて呼ぶなど本来ならば恐れ多い事だ。だからこそ、理由は話せないでいる。

「あ……」
「え? わっ、うぁっ!?」

 火神が目を覚ましたのを確認すると黄瀬が離れていく。その際、ふわりと鼻腔を擽る甘い匂いがしたのだ。
 それを確かめたくて伸ばされた火神の腕は真っ白なブラウスに包まれた腕を掴むなり自分の方へと引き寄せた。案の定黄瀬の身体は難無く火神の上へと倒れ込んだ。
 首と肩の間らへんに顔を寄せ、すん、と匂いを嗅ぐ。

「か、火神っち……!?」
「何か、良い匂いがする」

 すんすんと鼻を近付ける彼に黄瀬は眉根を寄せて困惑した表情を浮かべる。匂いに夢中で真っ赤な顔になっている黄瀬に気付いていないのだろう。擽ったさに身を捩るも余計にホールドされてしまった。

「ひぁんッ」

 ビクッと体を震わせ同時に出た音はいつもの声変わりしたピッチではなく、裏返されたような喉をキュッと締めて出たような。恥じらう乙女を彷彿とさせる、そんな声だった。
 火神も黄瀬もピタリと動きを止め、室内には静寂が訪れる。何処となく恥ずかしくてほんのり頬を染めた火神と比べても明らかに黄瀬の方が甚だしい。耳まで真っ赤に染まり恥ずかしさからかふるふる小刻みに震えている。

「え……と、黄瀬?」
「ちょっ、朝食! 冷めちゃうんでは、早く来て欲しいっス!」
「あ、え……」

 二の句を許して貰えず、黄瀬は一度も火神を見ることなく急いで部屋を後にした。中途半端に伸びた腕がボス、とベッドに沈む。

「……っんだよ」

 ドクドクとポンプが激しくなるのを感じる。血流が良くなり過ぎたからか徐々に顔が熱くなるのを嫌でも気付かされた。
 何となく、もう一つ気付いてしまった事がじわりじわりと胸を始点に広がっている感じがする。

「いつからだ……?」

 口に出してみて直ぐに気付く。そんなもの、初めからだ。あの日、あの時、あの場所で彼を見た瞬間からだ。でなければ開始値の二〇倍の額を提示する訳がない。認められる為の儀式とは言え翌月に持ち越す事だって出来たのだから。
 答えは至ってシンプルで、考える事が好きではない火神にも直ぐに導き出す事が出来た。
 一方部屋を出たばかりの黄瀬はと言えば、閉じたばかりの扉に背を預けていた。真っ赤な顔を隠すように左手で覆い、右手はギュッと心臓のある場所を服の上から掴んでいる。そして、長い長い熱い息をゆっくりと吐き出した。

「……どうしよう…………」

 火神との距離がうんと縮まったあの時、既に黄瀬の心臓は破裂寸前であった。挙げ句直ぐ近くに彼の顔がある。加えて匂いを嗅がれると言う予想の範疇を超えているハプニングまで起こっている。
 顔を覆った手をゆっくりと火神が顔を埋めていた首へと下ろして行く。件の箇所に触れた時、一気に体内温度が沸騰する程までに上昇した。
 すん、と鼻をひくつかせた後、火神の熱い吐息を感じたのだ。

「ひぅっ!?」

 それを思い出しただけでもぞくぞくとした感覚が体中を駆け巡る。
 あの日、あの時、あの場所で燃えるように真っ直ぐな瞳を見つけてから、黄瀬の中に小さな種が蒔かれた。この人になら……。そう思った。
 そうして気持ちを落ち着かせている時、背に凭れていた扉がガチャ、と動いた。

「……あ」
「あ?」

 内開きのそれは黄瀬の体をそのまま引き連れて行く。扉が背中から離れた時、彼の体は支えを失い重力に従ってぐらりと傾いた。
 けれどもそれはほんの一瞬の出来事で、直ぐに先程触れ合っていた逞しい胸板に支えられる事になるのだ。
 これはまだ、小さな芽が花を綻ばせる前のお話である。



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