笠黄
黄瀬は口の中で溶け始めているチョコに内心息を吐いた。
唾液と共に口の端から溢れぬよう定期的に嚥下していく。しかしいい加減チョコもなくなりスナック部分が現れそうだ。このままではそのスナック部分もふやけてしまいかねない。
だからポキン、ポキンと噛み砕いて美味しさが残る内に食道へと導いた。そして新たに袋から一本の細長いお菓子を取り出す。
「あのー、まだっスか?」
「ほら、黄瀬君が待ってるじゃないですか」
「だぁからオレがやるっつってんだろ!?」
「異論しか無いのだよ」
「峰ちん下心丸見えだしー」
「お前らだってそうだろうが!」
「それは心外だな」
部室のベンチに黄瀬は一人座りながら傍らに置いてある本日の主役と言っても良いお菓子の箱――細い長い棒状のスナック菓子の五分の四がチョコレートでコーティングされている数十年も前からあるロングセラー商品だ――を指先で弄る。
先程から目の前で揉めているのは黄瀬を除くスターティングメンバーの五人である。そうなってしまった原因は恐らく、今手元にあるそのお菓子を製造した会社が商品の売上アップを狙う為に一方的に作り出した記念日のせいだろう。
部活中の休憩時間に一軍の先輩が黄瀬を揶揄していた言葉が切欠となった。
――黄瀬、お前もう色んな女子とあのゲームやったんだろ?
その〈あのゲーム〉こそが今揉めている内容だった。
先輩の言葉にピクリと反応を示したのが彼らだったのである。黄瀬も黄瀬で曖昧な笑みを浮かべて笑うだけの反応しかしなかったのも要因としてあるだろう。しかしその件に関して言えば事実無根なわけだが。曖昧な態度を見せたのは、相手の言葉に隠れた悪意や冷やかしが見えたからだ。そもそも名も知らぬ部員の一人で、信用も信頼もしていない人に愛想を振り撒く程安売りはしていない。
「あ」
短い黄瀬の言葉に、誰が一番にゲームの相手をするかで揉めていた五人が一斉に振り返る。
黄瀬は立ち上がりへらりと笑うとお菓子の箱を潰しながら言った。
「スンマセン。みんなを待ってる間に食べ切っちゃったっス」
ゴミ箱に見事シュートを決めると、鞄を肩に提げて扉を開けた。
「じゃあ、お先っス! お疲れ様っしたー」
パタン。
閉まったドアの向こう側の様子は、背を向けた黄瀬には分からない。
「――ってな事があったんスよ」
二年前の今日。
そう言いながらあの日と同じお菓子をポキン、ポキンと口の中に含んでいる。場所も、位置は違えど部室と言う点では同じである。
「お前らキセキの世代ってのはバカばっかか」
「えー、それにオレ入ってます?」
「あったり前だろうがバカ」
「ヒドッ」
泣き真似をしても直ぐにケタケタ笑い出す。
笠松の着替えをベンチに座って待ちながらまた一本、新しいのを取り出した。
「良かったら、センパイもやらないっスか? ゲーム」
少し声に甘さを含ませ誘うように言ってみたが、笠松は黄瀬の方を振り向くなり「やんねーよ」と一蹴した。
この理性の塊のような恋人はなかなか誘惑に乗ってくれないのが現状である。何となく予想はしていたものの、バッサリ斬られるとそれはそれで寂しい。
お菓子を口元に持って行けば、先端が唇に触れる寸前で手首を掴まれた。もう少しと言うところでお菓子は遠ざかる。え? と思って顔を上げれば、瞬間、唇に手にしていたお菓子よりも甘く感じられる口付けが待っていた。
ゆっくりと唇が離れる。その間も黄瀬は一瞬、何が起こったのか分からなくてパチパチと長い睫毛を揺らし数回瞬きをしながら眼前にある顔を見つめた。
「んな、まどろっこしいやり方しなくたっていいだろ?」
ぶわっと一気に熱が全身を駆け巡った。発信源は唇で特に顔中が熱い。
此方の誘惑には微塵も靡かないくせに、時折こうして黄瀬の心を揺らすのだ。心臓に悪い。それなのに恋する乙女のように毎度鼓動は煩く高鳴るのだった。
「ホント、何なんスかアンタ……」
「は? 恋人だろ?」
「ああもうっ!」
異性の前ではてんでダメな恋人は、理性の塊みたいな人であるがリーダーシップで引っ張ってくれると共に、天然男前を発揮して振り回してくれるのだ。
「オレの負けっスわ」
それはきっと、惚れた時から、ずっと。