青黄
突然電話で呼び出された。この、土砂降り――と言うより最早豪雨――の中、だ。
今日の傘は何の役にも立たない。それは俺だけではないようで周りの人たちも俺と似たような状況下にあった。
そう、頭の先から爪の先までずぶ濡れなのだ。
しかしそんな人間ばかりが収容された帰宅ラッシュの車内は不快指数が普通の満員電車よりも大幅に上がる。湿気や生乾きのニオイが鼻につく。
学校を出たのが八時過ぎ。雨のせいで急いでいたにも拘わらず、いつもより凡そ一〇分遅くに駅に着いた。しかも電車が出る時間ギリギリだ。駆け込み乗車は良くないけれど、急いでいるとつい、やってしまう。しかも急行ともなれば尚更。それもこれもこんな日に呼び出した青峰っちのせいである。
制服が体に張り付いて気持ち悪い。折角シャワーを浴びたのにこれではまるで意味がない。
髪を乾かしているときに携帯の震えに気付いた。電話に出てみれば、酷く苛ついた声音で、
「今すぐ来い」
という一言だけ。こちらが返事をする間も与えずに通話時間はものの三秒で一方的に終わった。
虫の居所が悪いからわざわざ呼び出されたのかと思うと憂鬱になる。しかし久し振りに会えると思うと少しはモチベーションも上がるというものだ。
PWRと書かれたボタンを押して待ち受けに戻せば、不在着信を知らせるマークが画面の下の方に表示されていた。
何となく嫌な予感はした。
嫌な予感程良く当たると言うが、本当にその通りだと思う。
開けば「青峰っち」の文字がずらりと並んでいる。今朝事務所から電話があったのが新しい着信のはずだが、それすら下の方に隠れてしまっていた。
「あれじゃあ、ただの嫌がらせっスよ……」
不快な満員電車に揺られながら、つい数一〇分前に起こった出来事を思い出すと自然と口元が緩む。
こんな天気で呼び出された挙げ句不在着信の嫌がらせに三秒通話だ。
「それなのに、会いに行っちゃう俺もどうなんスかね」
それでも、それが好きな人からならばどうという事はないのだろう。
取り敢えず、彼の虫の居所が悪いのは自分のせいだと言うことは分かった。どう謝ろうかとか最初の言葉はどうしようかとか文句も言ってやろうかとか色々考えたけれど、そもそも考えるのは得意じゃない。
そうこうしている内に、駅に着いてしまった。
扉の前に立っていた俺は、開いた瞬間直ぐに飛び出した。階段も数段飛ばす。定期を改札に通せば、目の前には不機嫌な顔の恋人。
只でさえ黒くてデカくて目立ってるのに、そんな顔じゃあ余計みんなチラ見するに決まってんじゃん。
こんな人混みでも彼の放つ不機嫌オーラで半径三メートル以内は誰も近付こうとしない。相当ビビらせているようだ。
電車の中で考えていたこと。
言葉は何も浮かばなかったけれど、やりたいことは直ぐに思い付いた。だから、先ずはそれをやってから後の事は考えようと決めていた。
「青峰っち!」
「おっせーよ、黄……っ!?」
「ただいまっ!」
それは、思いっ切り抱き付いて青峰っちの体温で温めてもらうことだ。謝罪はその次、と思っていたけれど、吐いて出た言葉は俺自身も予想外だった。
でも、これで良いんだと思う。
だって――
「おかえり」
こうしてちゃんと受け止めてくれるのが、青峰っちだから。