氷黄


 日本海に面している秋田は北に位置しているだけあって関東と比べるとかなり寒い。今はまだ雪が止んでいる分マシではある。が、積もった雪道は歩きにくく、何度か足を取られそうになった。

「さみーっス。……でも、後ちょい」

 黄瀬は転ばぬよう細心の注意を払いながら一歩一歩雪道を歩く。
 何故彼が秋田に居るのかと言えば、一言で言うと撮影の為である。何故この寒い時期なのかは疑問ではあるが企画担当者が「二月がいい」と意見を曲げなかったのでこうなった次第だ。
 凡そ一週間をあてられその内に移動と撮影と言う強行を成し遂げたのが昨日である。
 後谷地国有林や牛沼、内町武家屋敷通りなどを寒い中和服での撮影に挑んでいた。勿論、履き物は下駄や草履である。
 唯一の救いは海岸までは赴かなかったことだろう。そこまで行けば体調不良を訴えてもおかしくはない。
 今回のコンセプトが「雪と和服とイイ男」であったので多少寒さを我慢する事を強いられもした。
 黄瀬がこの仕事を引き受けたのはWCも終わり三年が引退したからである。少し気持ちの整理も必要かと思っていたので丁度良い機会であった。しかしもう一つはロケ地が秋田だったからだ。

「うぅ〜……寒いっス」

 一日自由に動けるのは今日の金曜日のみ。明後日の日曜日は昼から東京に戻らなければならず、明日は男鹿市のなまはげを見に行く事が初めからスケジュールに組まれていた。そして無事今朝クランクアップしばかりなので必然的に自由行動が出来るのは今日しかないのだ。

「っつーかマジここ滑、うわっ!」

 流石に無謀過ぎたと思う。
 撮影場所から目的地までが遠く、あまりにも時間が惜しくて衣装を借りたままバスにのりこんだのだ。パシュミナの大判ストールのお陰で幾分かはマシだが、それは無いより良いと言うだけの話だ。
 白い足袋は既に濡れてしまって足先が悴む。
 慣れない草履に慣れない雪道、更に慣れない和服と言う最悪の条件が揃ってしまったが運の尽きだ。
 雪に足を取られ身体が大きく傾いてしまった。

(うわぁ、衣装買い取らなきゃ……)

「っと……。大丈夫ですか?」
「あ、え?」

 恐らく汚してしまうだろうと思い倒れながらも頭の中は意外と冷静でいられたようだ。ホテルに戻ったら衣装担当とマネージャーに謝罪した後、買取の段取りをと考えられる程には。
 けれども一向に鬼畜な冷たさは訪れず、代わりにふわりと優しい温もりと良い匂いに身体が包まれていた。

「怪我はありませんか?」
「あ……は、い。って……氷室、サン?」
「え?」

 首を捻って見上げればそこには今将に会いに行かんとしていた人物が居た。
 温もりと匂いの正体に先程までとは全く種類の違うドキドキが黄瀬を襲う。

「その声は……黄瀬君かい?」
「はいっス!」
「どうしてここに?」
「さっきまで撮影で。終わったから会いに来たんス!」

 氷室に支えてもらいながら何とか体勢を整える。
 黄瀬の答えに氷室は困ったように笑った。

「生憎アツシは今ちょっと外してて……」
「いいんスよ。連絡せずに来ちゃったし。まあ紫原っちにも会いたいんスけど……」
「ごめんね」
「謝らないで欲しいっス。それに一番会いたい人には会えたんで」

 にこっと照れ臭そうに笑えば氷室の右目が驚いたように見開かれる。その後直ぐにふわっと柔らかく細められた。

「そっか。ありがとう」
「……何か、やっぱ照れるっス」

 頬を染めて伏し目がちに視線をずらす。和服を着ている事もあってか、随分と色気が増しているように思えた。

「そう言えば、撮影って……大学生の卒業式用のパンフレットでも?」
「え? 普通の雑誌の企画っスよ?」
「最近の日本は男性もそう言う物を……?」

 そこまで言われて漸く気付く。
 今、黄瀬が着ている着物は女性用なのだ。企画自体は昨日で無事終了したのだが、今日の朝からはおまけと言う名の番外編――又の名を担当者のお遊び――の為の撮影をしていた。
 どうしても朝日と共に撮りたかったらしく随分と早起きをしたものだ。朝のキレイな空気の中撮影すると仕上がりもまた違うと言う。正直、寒さは堪えたがそれでもキレイに写るのであれば耐えられる。
 事情を説明すれば「モデルも大変だな」と労いの言葉と共に笑われた。

「しかし、本当に声を聞くまでは分からなかったよ」
「えー?」
「凄くキレイだ」
「ど、ども……」

 火神とはまた違う直球で今まで無視していたドキドキを意識せざるを得なくなってしまった。
 氷室は氷室でそんな黄瀬を知ってか知らずか、見慣れない格好に興味を持ちまじまじと見つめている。

「そのお団子は地毛かい?」
「あ、これはウィッグっスよ。サイドと襟足を巻き込んでるんで自然っしょ? 前髪は軽くワックスで形を決めてスプレーでキープしてるんスよ」

 ちょんちょんと前髪を弄る指に氷室がそっと手を重ねる。寒さで冷え切った手が温度を取り戻していくような気がした。

「こんなに冷たくなって……」
「スマセン……」
「アツシにも会うだろう?」
「出来れば……ってか今授業中じゃないんスか? 学校は?」

 氷室在るところに紫原在り。と言っても過言ではないくらいに行動を共にしているイメージがあるからか、辺りを見回してもその巨体を見つけられずに首を傾げる。

「アツシはちょっと奉仕活動に、ね?」
「奉仕活動? 氷室サンはいいんスか?」
「自分の役割はもう終えたから」

 それに活動に支障を来さない為にも長居しない方が良いのだと、にこりと笑うその笑顔の奥に何か見てはいけないような物を見た気がしたが、そこは見て見ぬ振りをするのが得策である。
 今頃保育園でなまはげを披露しているメンバーを思い浮かべ、その笑みは益々濃くなった。

「この姿を誰にも見せたくは無いな」
「へ?」
「いや、何でもないよ。部室においで。ストーブもあるから暖まるといい。部活の時間でないと誰も来ないから安心して」

 黄瀬が転ばぬようにと支えながらゆっくり歩く。そんな氷室のエスコートは合格ラインを余裕で越えている。
 そんな彼の一挙手一投足にどんどん心が奪われていく感覚はもどかしく、むず痒かった。だけど不快感は無い。

「氷室サンてどんだけオレに惚れさせたら気が済むんスかね」
「まだ足りないくらいだけど?」

 サラッと涼しい顔で言ってのける氷室に、また頬を染めたことは言うまでもない。
 どうやら部室に辿り着くまでの間に心はぽかぽかに温まりそうだ。



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