紫黄


 チリンチリン。と、店内に来客を知らせるベルが鳴る。鈴や風鈴よりも重くカウベルよりは軽い音を出すそれは、その音に上品さを含ませていた。しかしそうは言っても教会やお寺の鐘のように厳かな物ではない。強いて言うならば差し詰め貴族が使用人を呼びつける際に使用するベルの音に近い。
 そんな店内はまだ薄暗く、入って直ぐ眼前に広がるショーケースには商品が一つも見当たらない。
 店内には申し訳程度に暖色系の照明が必要な箇所だけポツリポツリと点いていた。
 日替わりやオススメの書かれた小さい黒板のメニューボードもイーゼルと共にまだ店内にある。
 そう。扉には『close』と書かれた札が外から見えるように掛かっていたのだ。

「紫原っちー」
「おはよー黄瀬ちん。はい」
「うわぁっ助かるっス! いっただっきまーすっ」
「オレもいただきまーす」

 店の奥は飲食スペースになっている。そこの一組の席を借りて、先程の来客者である黄瀬とこの店のオーナー兼パティシエの紫原は朝食をとっていた。
 薄暗い店内でもその僅かな照明を反射させてキラキラと輝く髪は昔から変わらない。
 そんな黄瀬はモデルをしていた頃、朝食は流飲食以外食べなかったのだが俳優業にシフトチェンジしてからは撮影前に必ずこの店で食べるようになった。
 度々スタッフへの差し入れとして買いに来ていたが、モデル時代よりも顔が知られるようになると開店時間に来ることが難しくなったのだ。しかしスタッフには好評な上自分も食べたかった黄瀬は紫原の計らいにより開店前や閉店後訪ねるようになった。

「紫原っち」
「何ー?」
「相変わらず朝食の量よりもお菓子の量が多いんスね」
「えー、そうー?」

 大皿一杯にあったサンドイッチはあっという間にペロリと平らげ、今はその皿にポテトチップスやまいう棒等のスナック菓子が盛り付けられている。黄瀬はまだ自分の皿にたまごサンド、やさいサンド、ハムサンドが残っていた。
 このサンドイッチも紫原の手作りである。

「あ、昨日ねー、新作の試作品作ったんだけど食べてー」
「いいんスか?」
「黄瀬ちんが美味しいって言ってくれたやつは絶対人気出るしー」
「へぇ、そうなんスか? じゃあちょっとはこの店にも貢献出来てるんスかね」
「いつも有り得ない量買ってくだけでも充分だけどねー」
「あははっ。まぁ、スタッフ多いっスから」

 あれ程こんもりと山を作っていたお菓子は既に半分以下になっている。
 ちょっと待ってて、と席を立ち厨房の方へと姿を消した。
 黄瀬は改めて店内を見る。
 オーナーである紫原がニメートルを越す巨体であるが故に長身の人でも入りやすい造りになっている。飲食スペースもゆったりめで椅子の座り心地も最高だ。
 店員も皆高身長の為、ショーケースも通常の店と比べれば高い位置にある。
 しかしレジカウンターだけはやや低くなっていた。これは普通の人が簡単に荷物を受け取り易いよう配慮された結果である。その代わりレジは店員が操作し易い場所に置いているため客からは見えない。値段を表示するモニターだけは低いカウンターに設置している為、支払額を聞き逃しても安心である。

「だから男性客も多いんスよねー」

 更に店員の中には、中国語や英語を話せる人がいるので外国人にも人気がある。また、イケメン揃いと口コミで広まり女性客は後を絶たない。
 一番最後に残しておいたたまごサンドを頬張ると紫原がスイーツと共に姿を見せた。

「夏季限定ー」
「うわっ美味しそうっスね!」
「だって美味しいしー」

 唇をツンと尖らせて拗ねて見せる紫原に「スンマセン」と謝りながら苦笑を漏らす。

「甘さ控え目なんスね! サッパリしてて美味しいっスわ」
「ベースはレモンなんだけど、後はピングレとかの柑橘類」
「マンゴーとか黄桃とかの甘さは入れて無いんスね。サッパリ重視っスか?」
「サッパリ重視だけど、そこまで酸っぱく無いでしょ?」
「確かに。結構レモンとか分かるのに気になる程の酸味は無いっスね……」
「うん。それね」

 不自然な所で切ると、徐に紫原の手がフォークを持つ黄瀬の手の動きを止める。不思議に思ってスイーツから顔を上げると柔らかく、甘い口付けを交わした。
 離れて行った際にもふわりと香る甘さは何の匂いだっただろうか。
 ぱちぱちと瞬きを繰り返す黄瀬に柔らかく微笑むと、黄瀬の頭をゆるりと撫でた。

「黄瀬ちんをイメージして作った」

 瞬間、ぶわわっと金色の下で真っ赤に染まった黄瀬に紫原は満足そうに笑う。
 まるでピンクグレープフルーツのようだと思いながら、もう一度、口付けた。



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