笠黄


――サボってしまった。

 自動ドアが開いて一歩足を踏み出せば背後から「ありがとうございました」とマニュアル通りの言葉が聞こえた。外は真っ暗でつい最近買い替えたスマートフォンに目を遣れば後二〇分足らずで午後九時になろうとしている。
 ハァ、と思わず長い溜め息が出た。
 取り敢えず駅に向かいがてら頭の中で考える。サボリの理由は言い訳扱いになるだろうかとかどんな理由であれサボリはサボリだよなとかいやでもサボるつもりは全くなかったしとか今日は仕方がない……はずとかあれやこれやと普段使わない脳みそをフル回転させる。
 それでも矢張り答えは導くことは出来なかった。
 部活に顔を出せなかったからだろうか。いつの間にか黄瀬の体はストリートバスケが出来る公園へと辿り着いていた。
 おかしい。駅に向かっていた筈なのに。

「まあ、いっか」

 今日は全くバスケに触れていなかった為に体が疼いて仕方がない。
 先程出て来た店で何気なく手に取ってしまった真新しいボールを取り出し軽くドリブルをしてみる。新品なだけあって空気はしっかりと入っているようだ。
 感触を確かめたら後は体が勝手に動くだけだった。
 外灯に照らされたコートは体育館の照明に比べれば暗い。けれども今の彼にとってはどうでも良かった。
 バスケが出来るという環境がそこにあればそれだけで良かったのだ。

「っハァ、……あー。相手欲しい……」
「じゃあ1on1でもやるか?」
「へぁッ!?」

 無我夢中でボールを弾ませていたからか全く気付かなかった。外灯のすぐ側――一番明るい所に、海常バスケ部主将がフェンスの向こうに立っていたのだ。

「なっ、か……ッいつ!」
「おーおーえっらい動揺してんなぁ」

 たった一人しか居ないコートでのレイアップを思い切り外した黄瀬のボールは、そのまま転々と転がりいつの間にか入って来ていた笠松の足元へと移動した。
 それを屈んで拾い上げると少し力を込めて黄瀬にパスを出す。

「え、えっ? 笠松先輩……何で?」
「俺はお前と違って部活の帰りだバカ」
「う、う、あ、スンマッセン……」

 思いの外バチンと音を立てたそれはきれいに黄瀬の手の中に収まっている。
 返す言葉も無いとでも言うように、あからさまな悄げ方をするので笠松は面食らっていた。
 いつもはムカつくくらいにこにこしてるくせに、イッチョ前に悄げてんなよ!
 そう、いつもの調子で返そうとしていたのに出来なかったのは恐らく黄瀬のせいだ。彼が、あまりにも憂愁を湛えた目をしているからだ。

「言い訳なら聞いてやる」
「あの、新しいバッシュ見に行ってたんスよ」
「バッシュぅ?」

 こくん、と小さく頷きながら何気なくバウンドパスを出す。ボールは笠松の手に吸い込まれるかのようにすんなりと収まった。

「昨日、自主練の後にバッシュが壊れてんのに気付いて。でも時間的に店閉まってるから明日にしようって」
「どうしてそう、連絡しなかった」
「……完全に忘れてました」

 スイマセン。
 弱々しい声音の謝罪の言葉はその気持ちが彼の表情、身に纏う空気から容易に感じ取れた。まるで主人に怒られているのが分かっている犬だ。
 笠松があからさまな溜め息を吐くと、黄瀬の体がびくりと跳ねる。

「お前なぁ……まあいい。で? 目当ての物は買えたのか?」
「あ、はいっス」

 タンッ、タンッ、と一定のリズムでボールがワンバウンドしていく。
 それ以外の音がしないのは、お互い相手の手中を狙っていると言うことだ。

「買ったらすぐ戻って来りゃあ良いじゃねえ……かっ」
「あ!」

 パスが来るかと思いきやここでまさかのスリーを決められてしまった。
 ズルいっス!なんて抗議した所で敵う筈もない。

「そうなんスけど、店のオニーサンが過去の月バス見せてくれるって」
「はあっ? なんだそりゃ」
「だって……だってっ!」

 ボールは黄瀬の手にある。年季の入ったマークは伊達に二年早く生まれていない。そう易々とシュートを打たせてはくれなかった。――のだが。

「俺の知らない笠松先輩が載ってるんスよ? 見ないわけ無いじゃないスかぁ」
「なッ、おま……っ!」

 その時の笠松は言葉にこそ表れなかったが、心中穏やかではなく、激しく動揺していた。
――なんつー顔、してんだよ!
 と。
 それが彼の集中力を乱し、今度は逆に決められてしまった。
 暗い中、二人を照らすのは外灯の照明のみ。そんなどこか頼りない光の中だからだろうか。照れと困惑と愛おしさが綯い交ぜになったような、浮き世に存在し得るものなのかと思ってしまう程、その時の彼の表情は艶めかしいものであった。
 此処が誰も居ない公園で良かったと心底思う。

「で、このボールはどうした。店員からのプレゼントか?」

 ゴールのネットをすり抜けたボールを拾い上げながら笠松がぶっきらぼうに言う。
 自分で言っておいて何だが、そう考えると無性に苛々してきた。

「違うっスよ! それは、バッシュの会計してる時にレジ奥の棚にディスプレイしてあって」
「ついでか」
「何か、笠松先輩とバスケしたいなーって思ってたら買っちゃってて。でも、買って正解っスね!」
「は?」
「こうして笠松先輩とバスケできたし」

 ふわりとあまりにも自然に、そう、自然に幸せそうに笑うから、つい、拾ったボールを落としてしまった。
 そんな人の気も知らないで「先輩?」なんて心配そうに顔を覗き込むものだから、再びボールを拾ってその顔面目掛けて投げつけてやる。
 反射神経もレギュラーイチなだけはあって、それが売り物のキレイな顔に当たることは無かったのだが。

「え、え? 何スか?」
「サボりの罰として、お前明日朝練含め準備後片付けな」
「ちょっ、そんなっ、マジ!? 鬼!」
「嫌ならサボるな。無断欠勤するな。連絡くらいしろ」

――心配しただろうが。
 間を置いて呟かれた言葉は確かに黄瀬の耳に届いていた。
 思わずにやけそうになる口元を必死で力を入れて我慢する。
 けれどもどんなにバスケの為に筋トレをした所で、口角付近の筋肉は鍛えられる筈もなく。結局、「うるせえ」と罵られながら肩パンを食らう羽目になった。
 それでも、矢張り幸せを感じずにはいられないのだ。

 午後九時台の三本目の電車が出発した時間の出来事である。



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