笠黄
ドォン、と言う重量感のある大きな音と共に黄瀬の瞼がパッと開いた。
ベッドベッドに置いてある携帯で時間を確認するも、暗がりに突然差した眩い光に思わず眉を顰める。つい、画面を下に向けてしまった。
ゆっくり、慎重に画面を此方に向けて出来るだけ目を早く慣れさせる。
「…………さんじはん……」
ベッドに横になったのは一時半だった。つまり睡眠時間は二時間にも満たない。
充分な睡眠時間とも言えぬ時間に目を覚まし、げんなりする。力無く携帯を持ったまま腕をマットレスの上に投げ出せば、タイミングを図ったかのように窓の外がチラチラと一瞬間だけ光に溢れた。
そこで漸く外から聞こえる激しい雨音に気付く。
「うーわー。朝には止むんスかねぇ……」
せめて登校中の時くらいは降らないでくれと思う。
今、外で聞こえる音と同じ量が朝にも降れば学校に着く頃にはずぶ濡れ必至である。
風が無いだけまだマシかと思うけれど、濡れてしまえばそれだけ朝練の準備時間が長くなる為極力避けたい。
「ひゃっ」
再び空が明るくなったかと思えば直後に地響き付の雷鳴が轟く。
「びっくりしたぁ」
随分近かった。小学か中学の理科の時間に光って直ぐ雷鳴を聞けばそれは雷が近いのだと習ったが果たして彼が覚えているかは定かでない。
高校生にもなって雷でビビるなどと思う。けれどもこればかりは仕方がない。
静寂の中に突然耳を劈くような大きな音を出されては誰しも驚くだろう。
「うぅ……」
それ以前に、黄瀬はただ雷雨が苦手なだけでもあるが。
遠雷ならばまだ良かった。
しかしこうも激しく自己主張をされては嫌でも見聞きしてしまう。せめて雷光くらいは遮断しようと瞼を閉じるも光の強さが勝り、閉じた瞼をすり抜けてくる。
生憎アイマスクは旅行等の移動中にしか使わないのでトラベルバッグの中だ。
こんな時、一人暮らしは辛い。心細い。そう思った時だった。
「わっ!」
握ったままの携帯が突然震え始めたのだ。
マナーモードのそれはバイブレーションを以て着信を知らせる。
「え、えっ!? 笠松センパイっ!?」
バックライトで煌々と光るディスプレイに浮かんだ文字に目を見開いた。
常識人である彼が、誰よりも体調管理には気を付けている彼が、こんな時間に電話を掛けて来るのだから驚かずにはいられない。
留守電に繋がる前にとすぐさま通話に切り替える。
此方が「もしもし」と言うより先に、相手と繋がった途端第一声を奪われた。
『大丈夫か?』
「あ、え?」
その声からも心配していると移動気持ちがひしひしと伝わってくる。
『今、雷すげーからさ』
お前、苦手だろ?
なんて優しい声音で言われてしまえば黄瀬の誤魔化そうと言う気持ちも毒気を抜かれてしまう。
代わりに込み上げてくる感情は喜々とした物だった。
雷雨が苦手なのだと笠松に告げたのは神奈川がまだ梅雨入りもしていない頃だ。あれは天気予報のお姉さんが、沖縄で梅雨入り宣言されたと言っていた事が話題に上った日だった。
『オレでも雷の音で目が覚めたくらいだからさ。黄瀬なら絶対覚めてると思った』
「お見通しっスね」
『お前が単純なだけだ』
「えー」
スピーカー越しに聞こえる声に始終耳を傾けて居たからだろうか。いつの間にか雨足は弱まり、雷公も遠雷へと変わっていた。ややもすれば近い家に雨も止むかもしれない。
笠松も同じ事を考えていたのだろう。彼の声が心なしかいつもの調子に戻る。
『もう大丈夫だろ』
「え? なんスか?」
『何でもねーよ。もう寝ろ。朝練遅刻したら容赦なくシバくぞ』
「つかセンパイが容赦してくれたことありました?」
『今日の朝練は覚悟しとけよ』
「きゃーっ! スマセンッスマセンッ」
本当は知っている。
黄瀬が心配して電話を掛けてくれたこと。
黄瀬が怖くないようにずっと繋がっていてくれたこと。
黄瀬がまた安心して眠れるように話してくれたこと。
黄瀬が明日も笑っていられるようにしてくれたこと。
中途半端な時間の電話も睡眠時間を犠牲にする行為も何もかも全てが黄瀬の為だ。それを黄瀬は知っている。
これらを至極当然のようにやってのける笠松が、特にこれといった意図も無くやっていることも知っている。
(この天然タラシ……)
日付変更線を跨ぐ前に文面で就寝の挨拶を交わしたけれど、矢張り音を持った言葉が良い。
その方が、もっと安心して寝られるから。
「センパイ。おやすみなさい」
『おやすみ、涼太』
「……っ!?」
ぷつりと途切れた短い音は通話終了を知らせる合図だ。その先はもう相手の声を伝える事なく温度の無い冷たい機械音だけが一定の間隔で鳴り続けている。
その音以上の速さで脈を打つ心臓はどうやら不意打ちに滅法弱い。
(……寝られるかなぁ)
朝練のある日は必ず五時起きの黄瀬である。目が覚めた時間から今まで電話していた事もありセットしたアラームが鳴るまで一時間有るか無いかだ。
起きていた方が賢明な判断かもしれない。しかし寝なかった事で疲れを残したまま練習に参加するのも忍びない。
ぐるぐると目を閉じながら考えていたら窓の向こうは目覚めた時とは打って変わって、優しい光が空から街を包み込もうとしていた。
夜中の雷雨が凄まじかったので。雷とか本当に大きかったです。凄かったぁー…。