青黄


 事情聴取を受けた部屋を出て、廊下を歩き、階段を下りる。
 あまり人の行き来は無いのかそれとも偶々なのかは知らないが、人の気配は無い。
 手摺に左手を添えながら一段一段踏んでいく足取りはどこか重たそうだ。
 ハァー、と深い溜め息を吐いた時は丁度踊場に足が着いた所だった。同時に聞き慣れたと言うには聞いていないがしかし記憶の中に確かに残っている声が呼ぶ。

「不景気な顔してんじゃねーよ。イケメンモデルさんよ」
「青峰っち……」

 足軽に二段飛ばしで上がる青峰は直ぐにイケメンモデル基、黄瀬の目の前に現れた。

「此処に居るって事はアンタマジで警察の人何スね」
「お前この間も同じ事言ってたよな」

 黄瀬の目の前に立つ青峰の出で立ちは、紺のズボンに胸元に紋章の付いた青いシャツ。しかし腰にぶら下げているものや左手でくるくると器用に回しているズボンと同色の帽子は日本警察のそれである。

「青峰っちってマジそう言う爽やか色って似合わないっスね」
「余計なお世話だ」
「オレなら着こなせるのに」
「イケメン爆発しろ」
「一日署長とかのお仕事来ないっスかねー」
「お前がやったらとうとう警察も終わりだな」
「ちょ、どーいう意味っスか!」
「そのまんまだよ。っつか大体一日署長とかってアイドルとか女優とかグラドルがやるんじゃねーの?」
「男がやったっていーじゃないスか」
「マイちゃんがやった時はヤバかったなー」
「聞けコラガングロ」

 サッカーボールを蹴るように左足の内側で青峰の右脹ら脛を蹴る。
 青峰が睨んでも黄瀬はどこ吹く風である。大抵の人ならば彼の鋭い眼光に怖じ気づくのだが、黄瀬は出会いが出会いだったからか一切怯む事は無かった。
 恐らくそれを署の者達が知れば瞬く間に尊敬の眼差しで見られることだろう。

「っつかお前何でこんな所に居るんだよ」
「……別にいーじゃないスか」
「また痴漢されたのか?」
「っ!」

 どうやら図星のようだ。
 青峰が言い当てると黄瀬は言葉に詰まらせ、返事の代わりにビクンと小さく跳ねさせた。
 その表情は何かを必死に耐えようとしているように見える。きゅっと結んだ唇がそれを物語っていた。

「何だってお前、そんな狙われんの」
「んなの、オレが訊きたいっスよ!」

 好きで痴漢被害に遭っている訳ではない。しかも黄瀬は女でも無い上に、一九〇程の長身を持っている。それでも不貞な輩がその身体に触れてくるのだ。全く以て堪ったものではない。

「さっき、事情聴取したオジサンに言われたっス」
「何を」
「こう何度も被害に遭っているのに、君は何一つ対策をとっていないんだねって」

 先程終えたばかりの出来事を思い出しているのか、悔しげに唇を強く噛む。

「ラッシュ時を避けろって? 取材中だろうが撮影中だろうが電車の時間だからって勝手に抜けろって言うんスか? わざわざ渋滞の時間にタクシーに乗れって言うんスか? チャリや徒歩で移動しろって言うんスか? 車両を変えれば良かった? 人で溢れてて動けないのに? 男性専用車両なんてないし、そもそもそれの方がオレには自殺行為だろ。 ねえ、対策ってなんなんスか? それとも黙って触らせてればいいんスか? 向こうが満足するまで我慢してれば良かったんスか?」

 堰を切ったように一気にまくし立てる。
 黄瀬は言葉の途中で、その大きな蜂蜜色の瞳からぽろぽろときれいな雫を零していた。

「お前は頑張ったよ」

 青峰は自分の肩に黄瀬の顔を埋めるようにして後頭部に手を添える。右手は細腰に回し、しっかりとホールドしていた。
 ぎゅう、と腰辺りのシャツを掴む手は震えている。

「黄瀬」
「……っ! ん……ふ、ぅ」

 耳に心地良く響く低い声で名前を呼ばれて涙を浮かべたままそろりと顔を上げる。するとその一瞬にして黄瀬の唇は塞がった。
 嗚咽さえ飲み干されてしまいそうだ。
 何とか逃げようと足を後ろに下げていたが、間もなくして背中がトン、と壁に付いてしまった。これで逃げ道は無くなった。

「ンっ、ふ、ん……」

 より深く貪る口付けに黄瀬の膝はガクガクと震え、壁と青峰の支えのお陰で漸く立っていられる状態だ。
 ぴちゃ、くちゅ、と小さく水音が耳を掠めると一層黄瀬の羞恥心が煽られた。

「……っふぁ、ハァ……ハァ、ハァ」

 唇が離れると、二人を繋ぎ止める細い糸が橋渡し役を買って出る。
 漸く酸素を存分に取り込むことが出来た黄瀬の頬は紅潮し、その瞳は涙こそ止まってはいるものの依然として瞳に留まっている。その瑞々しく潤う唇からは息を整えようと熱い吐息が漏れていた。
 青峰の獣じみた瞳には淫蕩しているような色気を晒す黄瀬が映っている。

「痴漢の気持ちも分からんでもないな」
「は、……え?」
「けどやっぱムカつくわ」
「な、に……?」

 独り言のような言葉の真意が分からず、黄瀬はきょとんと目を丸くするだけだ。
 そんな黄瀬を余所に、青峰は自らの唇を赤く染まった耳へと近付けた。

「いいか。コレだけは言っとく」
「は、い?」
「お前に触れて良いのはオレだけだ」

 一層低い声で囁かれ、ビクンと腰が跳ねた。
 ゾクゾクと得体の知れない甘い痺れが腰から背中へと走り、何とか両脚に力を入れて体重を支えるのがやっとである。

「返事」
「は、い……」
「よし」

 満足げに笑うと、ご褒美と言わんばかりに軽く唇に触れる。しかし離れる際に態とらしくちゅ、とリップノイズを出したのは明らかに黄瀬の羞恥心を煽っているだけだ。

「じゃーな。帰り道は気を付けろよ」

 さらりと頬を撫で、身体を離す。
 そのまま青峰は上階へと階段を上がって行った。
 その場に取り残された黄瀬はと言えば、ずるずると壁伝いにしゃがみ込むなり火照る顔を両腕で覆う。

「っの、セクハラポリス……!」

 誰の耳に届くでもない悪態をつく。
 ドクドクと勢い良くポンプが働くのを深呼吸で必死に戻そうと奮闘する時間は、実際三分程度ではあった。しかし黄瀬からすれば一時間にも二時間にも感じていた。

「くっそ……。警察に盗まれるとか、何なんだよ」

 毎日がモテ期の黄瀬にとって、初めて恋に落ちる音を聞いた瞬間だった。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -