河黄
彼と出会ったのは本当に偶然であり、また、黄瀬自身もその様な反応をしてしまうとは思わなかった。
練習試合前に誠凛に行った日――誠凛メンバーと初めてご対面した時は、黄瀬の目には黒子しか映って居なかった。新しい光と言うことで若干火神への興味もあったが、矢張り八割九割は黒子で占められていたのだ。
それから月日は流れて夏休みも残り僅かとなった日のこと。
「今日はウチ、午後練なんスよー」
と言って誠凛の体育館に姿を見せたのはもう一時間程前になる。
昨日は夜に仕事をしたらしくそのまま実家で一晩を過ごしたらしい。そして午後からある部活の支度を整えて誠凛に顔を出した次第だ。
「だからって何でウチに来んだよ」
「えー? だって黒子っち居るし」
「お前の行動基準は黒子かよ」
「勿論火神っちだって忘れてないっスよ!」
「へーへー」
こうして他愛ない雑談をするのも最早恒例となりつつある。しかし今日は違った。
「火神」
「何だよ河原」
「カントクが呼んでたぞ?」
「ああ、ワリ。サンキュ。黄瀬」
「ん?」
「話の途中で悪いな」
「いいっスよ。行ってらっしゃい」
黄瀬が火神の背中を見送った後、視線を戻せば目の前には赤い髪ではなく坊主頭が一つ。この人誰だっけ、と思考を巡らしていると河原の方から声を掛けた。
「あの……」
「はっ、はいっ!?」
裏返る声。オーバーリアクション並に大きく跳ねた肩。明らかにおかしい。それは体育館内に居る他のメンバーも感じたのか、探るような視線を向けていた。
「え……? オレ、何かした?」
「い、やっ何もっ! 何もないっス! スマセンッ」
ブンブンと頭を振って否定する黄瀬に河原は安堵する。けれども遠巻きに見ていた誠凛メンバーは矢張り首を傾げていた。
先程の黄瀬の態度は何かに怯えているように見える。
「あ」
そんな彼らの疑問に答えを見つけたのか、黒子が小さく声を上げた。それを近くに居た伊月が拾う。
「何だ黒子」
「黄瀬君、もしかしたら河原君の髪型に反応したのかも知れません」
「髪型ぁ? っつーと、坊主か?」
日向がまじまじと黄瀬と向かい合って立つ河原を眺める。思わず野球部か剣道部を連想してしまいがちな部内唯一の髪型だ。
「先輩方は覚えていますか? 正邦のレギュラーを」
「覚えてるも何も……」
「ボクはあの時言いましたよね。《始めたばかりとは言え黄瀬君を止めた》と」
「ああ、あの一年の茶坊主だろ? 津川だっけ」
「そうです。その、茶坊主です」
ヤケに《茶坊主》を強調する黒子に、薄々メンバーも気付き始めていた。
恐らく彼は、目の前の坊主頭を過去に対峙した坊主頭とダブらせたのだろう。嫌な思い出を引きずり出されたのだ。
「恐らく黄瀬君はあのディフェンスだけではなく、その後ボクらにヤキ入れされたことも瞬時に思い出したんだと思います」
その言葉に、当時のお前達は一体何をしでかしたんだと思ったものの誰一人として口に出すことは無かった。
彼らがそんな話をしているとも知らずに、黄瀬と河原は未だに向かい合ったままである。
「えっ……と、カワハラ……クン?」
先程火神が呼んでいた名前を思い出し、色々と探りながら口にする。まさか覚えていたとは露ほども思っておらず、無意識に河原は笑顔で肯定した。
「そ、河原浩一」
彼の見せた笑顔に身体の力が抜けて行くのが分かる。と同時にその表情からも余分な力は抜け、自然な笑みへと変わっていった。
「オレは、黄瀬涼太っス!」
「知ってるって。練習試合で泣いたのも見てたし」
「うわあああっ! 恥ずかしいっス!」
顔を手の平で覆って俯くも、その時に髪の隙間から現れた耳が赤く染まっているのを本人だけが気付いていない。
フォローを入れようとしているのか、「あ、でも泣いてる所も可愛かったし!」「流石イケメン!」と言っていたが逆効果である。
「あの……河原クンてポジションどこスか」
言葉の羞恥プレイに耐えかねた黄瀬は、話題を変えるべく熱も引かぬままそろりと顔を上げた。涙目になりながら上目遣いで見てくるのは無意識だ。
「オレはSF」
その答えに黄瀬の肌は一瞬にして元の白皙へと戻る。そして声のトーンが気持ち上がった。
「マジで!? オレと同じっスね!」
キャッキャと一人テンションを上げる黄瀬に黒子は小さく笑みを零した。と、丁度そこへ用事を済ませたのか火神が隣にならんだ。その表情は疑問に満ち満ちている。
「あいつら、何やってんだ?」
「黄瀬君が、また一つ成長したんですよ」
「はぁ?」
「初めは引き攣っていた笑顔も、今では天使です」
「へぇー」
「ここは黄瀬君の方から此方に来るのを待つのが定石です。間違ってもあの中に無理矢理割り込んではいけません。それが暗黙のルールです」
「知らねーよ。お前らのルールなんか」
キセキの世代の溺愛っぷりを知らされ、火神の表情はげんなりとしたものへと変わる。あの青峰や緑間もそうなのだろうかと思うと殆どコート上の彼らしか知らない火神は少し、幻滅したような気分にもなる。
「火神っち火神っち!」
まるで帰ってきたご主人様にお帰りなさいと言わんばかりの犬宜しく黄瀬が駆け寄って来る。
火神がチラリと隣の黒子を見れば、この時を待っていましたとその瞳が語っている。しかし黄瀬が此方に近付いて来た途端に無表情になるのは一体何なのだろうかと内心頭を傾げるも、思考する事が苦手な火神は答えに行き着く事も無かった。
「あのねあのねっ、河原クンて丁度オレと一ヶ月違いなんスよ!」
「何がだよ」
「もー、誕生日っスよ!」
「あっそ。ってかだから何なんだよ!」
嬉しそうに報告する黄瀬を眺めながら黒子は思っていた。
(これでまた一つ、黄瀬君が誠凛に来やすくなりましたね)
会話に夢中な二人は、そんな黒子の笑みに気付く事も無かった。