笠黄
暑い暑いとついだらけてしまいそうになる猛暑の中、何とか己を鼓舞して終了まで気持ちを引き締めたまま持って行けたのは他でもない黄瀬のお陰だ。
男の汗と熱気が充満する男臭い一室と化してしまった体育館はどんなに窓を開け放しても変わらないように思える。閉め切るよりは幾分もマシである事は重々承知だ。
そんな中、脱水症状を起こさないように毎日家を出る前に確認する気象予報の最高気温でその日どれくらいの間隔で休憩を挟むか決めている。当然、学校に着いたら監督とも話し合うし時にはその場の判断に委ねる事もある。
だから今日も部員にこまめに水分補給をするよう言い聞かせた。
オレですら我慢出来なくなって決められた休憩時間外での水分補給はやった。二回程。けれども黄瀬は汗を拭く為以外でコートから出ることは無かった。
とんだ集中力だと思う。
「へ? いやいや暑いっスよ」
間抜けな顔でオレを見るや否やへらりと笑って否定する。同時に少し離れた所からパスッ、とボールがネットを潜る音がした。
午前からあったと言うのに部活終了後もコイツはこうして自主練に励む。随分と勤勉になった事だ。
あまりにも集中して練習をするものだから、暑さなんて感じてないんじゃないかと思った。もしかしたら元々暑くもないから集中するのかと。だからつい、ポロッと口から出てしまったのだ。「お前、暑くねーの?」と。
「にしちゃあ随分と涼しげな顔してるけどな」
「そっスか? でも、笠松センパイがみんなのこと配慮して短い休憩をこまめに挟んでくれてるお陰っスね!」
何がそんなに嬉しいのか。ボールを両腕に収めて笑う黄瀬はアイドル顔負けだろう。
「オレはお前が居てくれてるから今頑張れてんだけどな」
「へぁッ!? えっ!」
思った事を言っただけだが、何故か目の前のエース様は素っ頓狂な声を上げ腕の中からボールを落とし明白に動揺している。色白であるから顔が赤くなると直ぐに分かる。
「お前が暑さ何て関係無くストイックに練習に励むからさ。オレも暑いからってだらけてらんねーなって気になんだよ」
だから、お前のお陰。
「や、オ、オレは……ただ、強くなりたくて……冬では、みんなの足引っ張りたくないし、みんなに認めてもらえるようなちゃんとしたエースになりたくて……今度こそ、エースの仕事をしたくて、もう、負けたくなくて……それで、それでっ……」
転々と転がって行くボールを拾いながらもしゃがんだまま立ち上がろうとしない。襟足の隙間から覗く肌はほんのりと色付いているようにも思える。
「黄瀬。来い」
「ちょ、い、今は無理……っス」
「じゃあ俺から行く」
「ぇえっ!? ちょ、待っ……!」
「待たない」
大股で近付けばあっと言う間に距離を詰められた。その丸くなった背中に向かって腕を伸ばす。
両肩を掴んでぐっと力を入れる。すると直ぐにころん、と仰向けになった。
真上から覗き込むように黄瀬の顔を見れば、真下のそれは真っ赤に染まり罰が悪そうに視線がフラフラとしている
「俺を見ろ」
「は、い……」
ソロソロと視線が漸く絡む。ゆらり、揺れる瞳は羞恥を必死に隠していた。
「改めて分かった」
「な、にを……」
「オレには黄瀬が必要だ」
「っ!」
「チームとしても、個人的にも」
「な、な……ん、スか、それぇ」
黄瀬はオレの言葉に弱い。
自分自身はどストレートにいつも尻尾振りながら発言してくるくせに、いざ、自分が言われる立場になるとどうにもダメらしい。しかしそこがオレは気に入っていたりもする。
「今日、家来るか」
答えはこの表情を見れば一目瞭然だ。けれどもオレは待つ。はっきりと口に出すまで。
「……い、くっ」
普段じゃ考えられないか細い声だ。それだけでもオレは満足感を得る。オレだけに見せる黄瀬の一面はこんなもんじゃない。
こうして好きな相手――黄瀬に対する嗜虐心が芽生える事に気付いたのも黄瀬のお陰だろう。
愛おしさと感謝と誘惑とお預けの意味を込めて触れるだけのキスをした。