青黄


 誰だって一度や二度、いや寧ろそれ以上使用した事があるであろう言葉を今、黄瀬は口にしようとしていた。床に正座している彼とは違い、座り心地抜群のソファーに深く腰を掛けている青峰に対して。
 所謂、《一生のお願い》と言うやつだ。
 ここで一つ、彼らの関係を明らかにしておく必要がある。
 黄瀬も青峰も三年前に高校を卒業し、進学している。
 勉強などサッパリな青峰は当然の如くスポーツ推薦枠で進学を決めた。
 黄瀬はと言えば当時は進学するつもりは毛頭無かったらしい。今まで休んで来た分を取り返すつもりでモデル業に専念すると事務所に申し出た。けれども事務所側はと言えば、「今は大卒のタグも必要な時代」だと力説してきたのだ。まさかそんな事を言われるとは思いもせず、スポーツ推薦枠の話を蹴っていた。その為結果としてセンターも後期も受けざるを得なかったのだ。
 因みに、AO入試――自己推薦も存在しているがそう言った事に一切無知な黄瀬がその存在を知ったのは大学に入学して三週間が経った頃である。

「青峰っち」
「んだよ」

 そんな彼らは現在互いの部屋を頻繁に行き来する程に距離――物理的な物ではなく関係の意味に近い――が近い。けれどもその関係に友人である比較的冷静な黒子も何事にも無関心な紫原も他人の恋愛沙汰には鈍感な緑間も何もかもを掌握しているような赤司でさえも口を揃えて「有り得ない」と言う。
 何故ならこの二人は未だに《恋人》にはなり得ていないのだから。
 体を重ねる事も随分前から行っている。情事の最中には互いに「好き」だとも言っている。しかし関係は《友達以上恋人未満》なのだから驚きだ。

「一生のお願いがあります」
「んだよ」

 膝の上に置いた握り拳にぐっと力が入る。やや怯えた瞳でソファーに我が物顔で座る暴君を見上げた。
 仏頂面は相変わらずだが怒ってはいないらしい。

「一生のお願いです」
「分かったからさっさと言えよ」

 大分イライラが溜まってきたのか青峰の片眉がぴくりと動いた。
 普段彼の口から聞き慣れない改まった敬語にも段々嫌気が差してきたのだろう。

「好きって言って欲しいっス」
「はぁっ?」
「セックスの時じゃなくて、今、何もしていない状態で、ノーマルな時に言って欲しいんス」
「んだそりゃ。アホらしい」
「一生のお願いっ!」
「バカかお前」

 ギシ、とソファーが小さく軋んだ。
 青峰が前屈みになったことで二人の距離はうんと近くなった。

「んな事にお前の一生賭けてんなよ」
「でもっ、オレにはそれくらいの価値があるんスよ!」

 成人してから一層綺麗な顔立ちになった黄瀬と一層精悍な顔つきになった青峰の視線が至近距離で交わる。
 絶対に譲れないとでも言いたげな強い意思を宿す瞳は眼前の呆れたような瞳と共に吐き出された盛大な溜め息で早くも折れそうだ。けれどもそれを堪えるかのように涙の膜を張って必死に耐えた。

「んじゃあ俺も使うわ。一生のお願いってやつ」
「な、んっ……スか」

 この時、黄瀬の思考を埋めたのはマイナスなことばかりだ。それも当然である。如何せん彼は先程呆れを含む盛大な溜め息を耳にしたばかりなのだから。しかも黄瀬にとっては大事な事も青峰にとってはどうやら『そんな事』程度のものらしい。
 心臓がざわざわと喧しい。

「俺と結婚しろ」

 言葉の後に塞がれた唇は有り得ないくらい熱かった。彼は色が黒い。だから照れていても色白の黄瀬程見た目には顕著に現れないのだ。
 しかしどうだろう。彼から伝わる熱は明らかに熱い。情欲が混ざっていることを差し引いても熱い。
 口内を堪能されて僅かに距離が出来れば細い糸が二人を繋ぐ。その糸を包み込むような吐息は双方熱が籠もっていた。

「な、に……を」

 何を言っているのだろう。そんな言葉も何故か最後まで紡ぐことは出来なかった。

「アンタ、バカ……っスか。やっぱアホ峰だ」
「あ?」
「オレ、ら……男、ど、……しっ……スよ」
「知ってるっつーの」
「な、んで……」

 パタパタ落ちては小さな染みを作っていく。生産源である蜂蜜色の瞳は次から次へと涙を作り出しては涙点から落としていった。

「好きだ。涼太」
「……ッ!」

 優しく涙を拭う親指も、愛おしげに見つめてくる眼差しも、一生のお願いをきいてくれた唇も、全てが黄瀬の心を震わせた。

「っ、くッ……ズルっ、ず、るいぃ」
「何がだよ」
「ズル、いっス……」

 パタパタ。水分を吸った染みは大きくなっていく。
 ポロポロ。零れ落ちる大量生産されたそれはまだまだ発注されているらしい。

「別に日本で認められてなくとも海外に行きゃ何とか何だろ? それに俺だっていつまでも此処に居るつもりはねぇしな」
「あ、お……峰っち、日本、離れるん、スか?」
「たりめーだろ。本場でプレーしなくてどうするよ」
「オレ、とも、離れ……」

 ぐすぐすと嗚咽混じりに言葉を紡ぐ。そんな姿に苦笑しながら青峰はそっと唇で涙を掬った。

「だぁから結婚しろっつってんの。そーすりゃお前も安心だろーが」

 まあ、流石に今すぐって訳には行かねーけど。
 啄むようなキスを顔中に何度も繰り返す。

「お前も、本気でモデル業に専念するんなら海外進出くらいやってみせろよ」
「簡単に言ってくれちゃって……」
「お前はずっとオレを追い掛けてりゃいーんだよ」

 関係を持って七年間。告白なんて互いの間には一度も無かった。それがどうだろう。今はその段階すら飛び越えてしまった。
 暴君は暴君でいて結構優しい。

「じゃあ、結婚してあげるから、もっといっぱい好きって言って」
「バーカ。オレは好きの安売りなんてしたことねぇよ」
「なら今日だけでいいっス」
「好きだ」
「オレもっ! 大輝の事が大好きっス!」

 今度は深く味わうような熱い口付けを。
 発注分の涙はもう生産し終わったらしい。



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