笠黄
もう、今日が終わる。そう思うと携帯を握る黄瀬の手に力が入った。
「お前、何か余計な事考えてんだろ」
電話口で聞こえる呆れたような声は、本日の主役である恋人のものだ。程良い低音はいつ聞いても黄瀬の鼓動のリズムを支配してしまう。
時には安心を、時には狼狽を。
「んなことねっスよ! ただ、ちょっと後悔してるんス」
後悔だぁ?
素っ頓狂な声音の次にはやや不機嫌そうに紡がれる。
「てめぇ人の誕生日に後悔たぁなんだ。あ?」
しまった、と思ったら語調は焦りを含むものへと変わる。
「ち、違うんスよ! そうじゃなくてっ! あの……、やっぱり、直接……会いたかったな、って……」
本日、笠松の誕生日であったのだがしかし日曜日と言うこともあり残念ながら部活は休みだ。学校で会うことはない。ならばデートにでも誘おうかと思ったものの、その日は一日掛かりの仕事を入れられ泣く泣く却下する他なかった。
だから日付の変わる五分間だけでもいいからセンパイの時間をオレにくださいと電話で言えば、
「お前、既に掛けてきてんじゃねーか」
と、三〇分のフライングを笑いながら指摘されたのだ。
それからずっと二人は電話を繋げていた。
「明日学校で会うだろ」
「当日じゃないと意味ないっス!」
「んなことねーだろ」
「あるっスよ! 今日、この日にセンパイが生まれてきてくれたからオレはセンパイに出会えたんスよ!」
確率で言ったら本当に広大な砂漠で落とした指輪を見付け出すより偶然に近い数字を叩き出すだろう。そしてそれが運命へと変わる。
こうして二人が出会えたのも幾重にもなる偶然が重なって運命となったものだ。そんな一生に一度あるかないかの出来事を起こす切欠になった彼の出生を祝わずにはいられない。黄瀬にとっては非常に大事なことだった。
「じゃあ、明日学校で一日遅れた分の利子付きでプレゼント宜しくな」
「ええええ! なんスかそれっ」
そうは言ってもお互いの口元は弧を描いていた。
「じゃあ、センパイの教室行ってチューするっス」
「ヤメろ。それはマジでヤメろ」
「ヒドイッ! そこまで拒否しなくても」
「拒否したくもなるわ。お前、オレとキスする時の顔がどんだけ色気あるか知らねえだろ」
思わぬ理由につい言葉を詰まらせる。今の黄瀬は先程とは違う意味で手に力が入った。
「なっ、なななっ、な」
「おい、そろそろ今日が終わるぞ」
時計を見ればもう日付変更線を跨ぐ寸前であった。
だから黄瀬は深呼吸をして気持ちを整える。
「センパイ」
「おー」
「誕生日、おめでとうございます!」
そんな、二三時五九分。