赤黄


 部活終了後、コーチ達とのミーティングを終わらせた俺はもう誰も居ないだろうと思って施錠をすべく、部室に向かっていた。しかしいざ来てみるとそこには皆が帰った後の部室で一人せこせこと何かの作業を必死にしている涼太が居た。

「涼太、そろそろ施錠したいんだけど」

 まだ終わらない? と問えば此方に背を向けていた黄瀬が勢い良く振り向いた。

「あっ、あああ赤司っち! あの、スマセッ、い、今片付け……うわぁっ!」

 慌てた涼太が急いで机上の荷物をバッグに詰め込んでいた。しかし余程焦っていたのだろう。エナメルバッグのベルトに腕を引っ掛けバラバラと余計に散らかった。
 入口に寄りかかるようにして立って居た俺は一つ溜め息を吐くと涼太に近付く。
 しゃがんでかき集める涼太の隣にしゃがめばびくりと肩を揺らした。少し、苛ついた。

「何?」
「へっ? あ、イヤっ、そのっ……オレのせいでなかなか帰れなくて、あの、怒ってるのかと……」
「さっきまでミーティングだったから別に帰りが遅くなる事は初めから承知している。が、さっきの涼太の反応には苛ついた」
「えっ? あ……ごめん、なさい……」

 涼太の蜂蜜色の瞳をじっと見詰める。逸らされはしなかったが其処に恐怖心が見え隠れしていた。正直、傷付いた。言わないけど。
 確かに涼太との付き合いはレギュラーの中で一番短い。様々な偶然が重なって涼太が一軍に上がって直ぐには面会しなかった。更に教育係をテツヤに、伝言を真太郎に任せることでより接する機会は無くなった。固より大輝には懐いていたし、敦とはクラスメートだからこの二人とは直ぐに溶け合っていたが。
 しかし実に面白くない。主将を畏怖の対象にするのは構わない。その方が従えやすいからだ。けれどもここまで露骨に怖がられては苛々するのもまた事実だ。

「涼太、お前はここで一人何をしていたんだ?」

 まず、俺を待って居たと言う可能性はゼロに等しい。
 目の前の瑞々しい程に艶めく唇から紡がれた言葉に思わず目を丸くする。

「現国の、訂正ノート作ってたっス。今日、テスト返されて、来週提出何スけど」
「どうして部室で?」
「家に帰ると気が緩んで、ご飯食べてお風呂に入ったら直ぐに寝ちゃうんスよ」

 訂正ノートと言われていまいちピンと来なかったのはこの方一度たりとも作った事が無かったからだ。何故なら作る必要がないから。

「でも、先生の解説聞いてもサッパリなんス」

 そう言って俯く涼太は、くぅん、と小さく鳴いて悄げる犬のようだ。だから、と言うわけでもないのだろうが、俺は自然と涼太に手を伸ばしていた。そしてさらりと触り心地の良い頭を撫でる。これは癖になりそうだ。
 そんな俺をきょとんとした目で見て来る。その恐怖心が消え去った代わりに困惑の色を浮かべる大きな瞳に俺が映る。それだけなのに優越感を得るのは何故だろうか。ああ、そうか。涼太はレギュラーに可愛がられているからだ。それを今、俺は視線も彼自身も彼の時間でさえも独占しているこの状況が堪らなく気持ちいいのだ。

「じゃあ教えてあげよう」
「えっ!」
「嫌かい?」

 そう言えば、頭をぷるぷると左右に振る。そして再び俺を瞳に映した時には既に困惑から喜びの色へと変わっていた。
 あれ程の勢いで振り乱したと言うのに涼太の金糸は変わらずの指通りの良さをキープしている。

「でも、赤司っちの帰りが遅くなっちゃうっス」
「だからそこは心配には及ばないと言っているだろう」 
「迷惑じゃないスか?」
「そう思うなら最初から言わない」
「甘えちゃってもいいんスか?」
「甘やかすつもりはないけどね」

 瞬間、ぱあっと花が咲いたような笑顔を向けられる。それは以前テツヤが誉めた時に見せたものに酷似していた。
 それならばと適当に散らばった物を拾い集め机上に乗せる。そして閉じられたノートに目を移した。
 挟まっている現国の問題用紙と解答用紙を引き抜けば成る程、見たこともない数字が右下の枠に赤い字で記入されている。そこに突っ込むつもりは毛頭無い。

「論文と物語はとれてる方だな。大問三以降か」
「敬語表現と、漢字と、語彙とかっスね」

 問題用紙で確認すれば、四字熟語を答える問題などサービス問題と言っても過言ではない。何故ならば自分が知っている物を五つ書けば良いのだから。それなのに一問しか当てられ無いのは何故か、と思えばどうやら涼太は四字熟語は漢字四文字さえ書けばそれが全て四字熟語だと思っているらしかった。

「涼太。《百戦百勝》は部のスローガンであって四字熟語ではないよ」
「ええっ!? でも漢字四文字っスよ?」

 ああ、矢張りか。

「《百戦百勝》は熟語ではある。しかしこれは言わば造語だ」
「んー?」
「《英語教師》《信号無視》《焼肉定食》これらは漢字四文字で出来た熟語ではあるが四字熟語とは言えない。そもそも四字熟語とは、故事や古典に由来するものが一般的だ」
「へぇ?」
「主に故事など特定の事情が存在し、教訓などの複雑で微妙な含意を発生するものと考えられている」
「むー……」
「簡単に言えば、その漢字四文字の中に物語があるのが四字熟語だ」
「物語っスか?」

 初めて涼太の学力を目の当たりにしたが、どうやら大輝程酷い訳ではないようで心底安心した。きちんとやるべきことはやるようだから、聞く姿勢も嫌いじゃない。

「そうだな……涼太、《一蓮托生》と言うのは知っているか?」
「聞いたことあるっス! イチにハスに、タクは分かんないっスけど最後はイキルって書くんスよね!」

 キラキラと、それはもう蛍光灯に負けないくらいの眼差しで見て来るものだから、つい、頭を撫でていた。よくできました、と。
 何をやっているんだと我に返るが、目の前の犬が心底嬉しそうにふにゃっと笑うものだから三秒だけ延長した。

「これは死んだ後、極楽浄土で同じ蓮の花の上に生まれることから、最後まで行動、運命を共にすることの意味を持つ」
「おお! すげーっス! 物語っス!」
「そう言うことだ。後、問題に《全て漢字で書け》と書いてあるんだから漢字で書け。平仮名を使うな」
「はいっス!」

 よしよし。
 気付けば俺の手は涼太の頭を撫でていた。素直で従順な犬は好きだよ、とでも言うつもりか。
 しかし初めに思った通り、彼の触り心地の良い髪は癖になる。

「取り敢えず、もう切り上げよう」
「えっ……」

 携帯で時間を確認すれば、間もなく一日が終わる三時間前になろうとしていた。ミーティングが終わったのは何時だっただろうか。
 今日はもう帰れと告げれば不安に色付いた瞳が此方を見上げている。暫く眺めていればそこから涙が零れ落ちてくるんじゃないかとさえ思う程に潤っていた。
 今日の俺はどうかしている。自分でも分かる。目の前の男に、狂わされている。
 同じ男とは思えぬ滑らかな頬を片手で包み込むように触れる。俺よりデカいくせに顔は小さい。だから手の平に程良くフィットする。 
 少し上を向かせて顔を近付けた。唇が後数センチで触れそうになり、己の唇に相手の吐息を感じるとそれ以上近付けなかった。

――俺は、今、何を……?

 バクバクと心臓が煩い。鎮まれ。五月蝿い。言うことをきかない。

「っあ……、あかし……っち?」

 未だ嘗て無い程の至近距離。どうしてこうなってしまったのかも最早分からない。
 おかしい。こんなの。絶対に、おかしい。
 だから無意識下の行動に逆らうように俺は顔をずらして耳が隠れているであろう箇所の髪に唇を寄せた。

「続きは、また明日」
「……っ! は、い……っス」

 ビクンっ、とまた跳ねた。
 だけど今のは不快じゃない。

「帰るぞ」
「はいっス!」

 そのまま離れて出入口へと向かう。背後でわたわたとバッグに詰める様子は見なくても安易に想像出来た。
 もうひっくり返すことは無いだろう。
 扉を潜る頃には背中に追い付くように、出来るだけゆっくり、あくまで自然な速さで俺は歩いた。
 明日は部活を早めに切り上げてしまおうか。なんて考えてしまう辺り、たったの数時間で随分と絆されてしまったようだ。

――悪いけど、暫くは独占させてもらうよ。

 だから部活の間だけは、君たちに貸してあげる。



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