黒黄


 ギャップと言えば聞こえは良いかもしれない。たが、黄瀬には最早そのギャップも詐欺レベルに感じていた。

「イッ! うぅー……」

 いちいち席を立ったり座ったりする度に腰に響く鈍痛は少なくとも後三回はある。朝からずっと我慢してもまだ五時間目が始まったばかりで今日は週の初めと言うのもあって六時間目まであるから苦痛で仕方がない。
 当然授業に集中出来るはずもなく、黄瀬は徐に携帯を取り出しメールを作成する。「送信しました」と丸ゴシックで表示されたのを見て一息吐いた。それはまるで痛みを緩和させようとしているようにも思える。
 当然相手も授業中だろうから返信は期待出来ない。それでも送りたかった。「腰が痛いっス」と。
 彼が見たら何と返してくるだろう。「そうですか」「そうでしょうね」は高確率だが、返信しない――メール自体無視と言うのも大いに有り得る。それを思うと思わず溜め息が漏れた。
 するとそれが杞憂だと嘲笑うかのように彼の携帯がブルブルと震え、受信を告げる。

――うそッ!

 ディスプレイに映るのは送信先の相手――黒子からだった。
 瞠目したままボックスを開く。 
「知ってます」

 って、え? それだけ!?
 わなわなと震えるのを何とか抑え更に返信をする。

「何スかそれ」
「昨日沢山無茶をさせましたから当然かと」
「それ言っちゃうんスか」
「事実ですから。事実序でに言えば、ボクを煽る黄瀬君にも非はありますよ」
「何でっスか! オレ別に煽って無いっスよ!」
「無自覚が一番質が悪いんですよ、黄瀬君」
「そんなぁ〜」

 つい、送信した内容と同じ言葉を口に出してしまった。机に突っ伏しながら加えて情け無い声音だったので周りには気付かれていないようだ。
 正直、煽った覚えはないが仮に煽ったのだとしたらそれは矢張り黒子が悪いのではないか、そんな考えが脳裏に浮かぶ。

「大体、煽るとか言ってるっスけど、仮に煽ったとして。でもそれはやっぱオレのせいじゃなくて黒子っちが焦らしたりするのがイケナイんじゃないスか! しかもそう言う時に限ってすっげー優しく触ってくれて。で、頭とかほっぺたとか首とか耳とか脇腹とかいっぱい撫でてくれてさ! そんであんなオレをとろとろに溶かしちゃうくらい男前な顔で《好きです》とか覆い被さった状態で言われたらキュンって来ないワケがないじゃないスか! そんなんされたら反応しちゃうじゃないスか! そしたら絶対もっと黒子っちが欲しいって思っちゃうじゃないっスか! そんなん我慢出来るワケないじゃないっスか! ねえ! そう思わない!? 火神っち!」

 送ってしまって気がついた。
 どうしてオレは火神っちに送ったんだろう。と言うか今、何を送っただろう。
 今現在彼の額に滲む汗は腰の痛みによるものではない。
 黒子からの返信が待ちきれず、更に黒子からの「煽っている黄瀬君が悪いです」なんて内容は如何なものかと火神に意見を求めようとしたのが原因だ。しかし何故。その場の勢いとは恐ろしいものだ。
 腰の痛みなんか忘れるくらい今はぐるぐると送ってしまった後悔が渦巻く。

「やばい……なんか、恥ずかしい」

 そんな事を呟けば再び震える携帯。ディスプレイには腰痛の原因。
 随分と時間の空いた返信だなぁ何て思ったがそう言えば今は授業中だと気付いた。そろそろメールを切らないときっと迷惑だろう何て思いながら開いて黄瀬は固まった。開かなければ良かったとすら思った。

「それを煽っていると言ってるんですよ、黄瀬君。学習してください。復習はしなくても構いませんが。ですがあんな事を言われてボクも黙ってはいられませんね。そもそも黄瀬君はご自分の肢体の婀娜さをもっと良く理解すべきです。まずはその可愛らしくて大きな瞳からお話しましょうか――」

 わざわざご丁寧にタイトルには《黄瀬君の肢体について》とある。本文を読み終えた頃に受信したメールは再び黒子からで《黄瀬君の瞳について》とあった。
 そこである可能性に気付く。もしや彼は各々の部位について送ってくるつもりでは無かろうか、と。
 そんな恐ろしいことがあってなるものかと頭を振るも受信したメールは《黄瀬君の耳について》とある。
 もうやめてくれ。
 心の中で項垂れた。
 黒子は文学に通じているのでメールの本文がまるで官能小説を読んでいる気分になるのだ。しかもそれは全て己についてであるから羞恥は増す。
 構ってくれなくていいから授業に集中してくださいと心の底から祈った。
 やがてブルブル震えて受信の知らせを受ける。正直言って開くのが怖い。けれども矢張り惚れた弱みとでも言うのか、滅多に来ない黒子からのメールともなれば例え内容が官能小説のようなものであっても目を通さずにはいられない。
 しかし今回は違った。

「火神っち……」

 もしかしたら意見を仰いでくれたのだろうか。思考を逸らす僅かな切欠になるかもしれない。そう思って開けば、現実、そう生易しいものではなかった。

「んなもんオレが知るか! ってか苦情も惚気も本人に言えよ!」

 最初の二文で納得する。

「あー、だからってアンタ本人に転送しなくたっていいじゃないスか」

 お陰で始まったばかりの五時間目は羞恥に耐える五〇分になりそうだと言ってやりたい。
 しかしそれが出来なかったのは、二つほど改行されて記された文字の羅列に戦慄いたからだ。

「オレら今の時間自習だから。ま、頑張れよ。オレは寝る」

 一方的にメールを切る内容よりも気になる単語に意識を奪われた。
 《オレら今の時間自習だから》

「まじかよー……」

 今度は実際に項垂れてから直ぐに、携帯が震えた。
 彼の授業はまだ、始まったばかりだ。



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