火黄


 黄瀬がご機嫌斜めだ。そりゃあもう、見て分かるほどに。
 本気で怒っているわけでもキレているわけでもない。ご機嫌斜めなのだ。ニュアンス的には拗ねている、が妥当だろう。

「黄瀬」
「知らないっス」

 俺の部屋に来るのは久しぶりで、黄瀬はまだ中学から続けている学業、バスケ、モデルのトライアングラーな生活を送っている。俺もバイトを始めたと言うのも相俟って、しょっちゅう互いの時間にズレが生じていた。
 そんな中での逢瀬だと言うのにこの金髪美人はソファーの上でお気に入りのクッション――しかもわざわざ寝室から持って来た――を抱き締めながら頬を膨らませているのだ。

「何拗ねてんだよ」
「知らないっス」

 ずっとこうだ。

「折角の金髪美人が台無しだぞ」
「金髪美人なら火神っちの身近な人が居るじゃないスか」
「は?」
「だから、居るじゃないスか! 生粋の金髪美人が、火神っちの身近な人で、バスケも上手くて」
「だから黄瀬だろ?」
「……ッ! そ、じゃ……なくてっ」
「金髪金髪きんぱー……あー、もしかしてアレックスか? ありゃ金髪だけど美人はちげーだろ。俺は認めねー。っつーか身近っつったらやっぱ黄瀬だろ。恋人だし。師匠よか恋人の方が断然身近だろ?」

 そう言ってやれば黄瀬の顔はみるみる赤く染まる。わなわなと唇を震わせていたが結局言葉を発することなくキレイな顔をクッションに埋めて隠してしまった。
 正直、勿体無い。

「もしかしてアレックスに嫉妬してんのか? いやでも何でいきなり」
「違うっス! あの人は美人だけど火神っちのお師匠さんだから別にっ……!」

 ガバッと勢い良く顔を上げて反論してきたは良いものの、再びバフッと顔を隠す。髪の毛の間から見える形の良い耳は依然と染まったままだ。
 いやしかしこいつは仕事上、美人を見る機会などごまんとあるはずだ。なのにどうしてアレックスを美人のカテゴリーに入れてしまうのか甚だ疑問である。けれども今はどうでもいい。
 アレックスへの嫉妬でないとすると、他は何だ。思考を過去へと巻き戻す。
 黄瀬がリビングに入って来て、「火神っちの部屋、久し振りっスー」とハシャいでソファーにダイブして直ぐの事だ。と言うことはソファーが原因なのだろうか。しかしそれならば何故今黄瀬はそのソファーにごろんと寝転がっているのだろうか。益々混乱する。
 そもそも何かを考えると言うのが性に合わない。ならば手っ取り早い方法は只一つ。直接訊くしかない。

「だから、何拗ねてんだよ」

 寝転がる黄瀬に覆い被さる。顔の横に肘毎両腕をつけば一気に距離が縮まった。
 専門店でしか売っていない独特のシャンプーの匂いが嗅覚を刺激する。厳密に言えば、嗅覚と情欲だが今後者を全面に出せば間違い無く修復不可能になる。

「……浮気者」
「はぁ?」

 聞き捨てならない科白がまさか飛び出してくるとは思わなかった俺の声はハッキリ言って裏返っていた。

「何だよソファーに何か付いてたのか? 言っとくけど、女何て入れたことねーぞ」
「においがするっス」
「ニオイ?」
「火神っちじゃない匂いがするっス、このソファー! 誰と寝たんスかっ!」

 顔にあったクッションを胸に抱き、涙の膜を琥珀色の瞳いっぱいに張って頓珍漢な発言をする。そんな黄瀬は矢張りアメリカでも見なかった金髪美人だ。

「俺はベッドでしか寝てねーよ。ソファーに座りはしたけど」
「俺の知らない匂いっス! 黒子っちでも青峰っちでも緑間っちでも無いっス!」
「後ろ二人のチョイスはどう考えてもおかしいだろ」

 何故この家にあいつらを上げなければいけないのか甚だ疑問だ。黄瀬の中では俺とアイツらが仲良しグループに設定されているのだろうか。
 可能性はある。何せこいつは知らない。俺がキセキの奴らから疎ましげに見られて居ることを。黄瀬が俺を選んだ事で、その視線が鋭くなっていることを。

「あー、もしかして辰也か? 昨日近くで飲み会があって終電逃したからって転がり込んで来たんだよ」

 今朝帰ったけど、と言えば黄瀬の頬は膨らむ。

「辰也も遅くまで飲んでたし俺もバイトで疲れてたし、直ぐに落ちたって」

 そもそも俺と辰也に何かあるとは思えない。それこそ一時期は兄弟を辞めるだのなんだのと言っていたが、アイツはアイツで俺は俺だ。

「知ってるっスよ。氷室サンだって」
「は?」
「WCで会った事あるし。その時の匂いと同じだったし」

 お前は犬か。
 本当に、ナチュラルに口から出そうになった言葉をすんでのところで飲み込む。どれだけ嗅覚が鍛えられてるんだ。

「氷室サンが泊まるのとか、ソファーで寝るのとか本当はどーだっていーんスよ」
「じゃあ今までの遣り取り無駄じゃねーか!」

 とんだ無駄な時間の使い方をしたもんだ。

「じゃあ何だよ、益々わかんねー」
「名前」
「名前?」
「そりゃ、火神っちと氷室サンがちっちゃい頃から兄弟のように育ってきたからって言うのは分かるんスよ。分かってるんスけど、最近、本当に……オレ、会えない分だけ火神っちの事がずっといっぱい好きになって……」

 目尻伝いに透明の水が零れ落ちる。
 マテマテマテ。ストップ。Please wait.
 これはファール五つ分に相当してるだろう。
 眼下に広がる扇情的且つ官能的な美観はとんだ刺激を与えてくれたらしい。

「全部、いいなって……思っちゃうんス」
「何を」
「氷室サンの匂いがしてから、そーいえば火神っちに名前で呼ばれてるなぁーとか」
「じゃあ、今度から名前で呼んでやる」
「お揃いのリングがあるなぁーとか」
「ならペアリング買いに行くか。お前とのなら指に嵌める」
「小さい頃の火神っちをいっぱい知ってるなぁーとか」
「過去はもうどうしようもねーけど、辰也と俺が一緒に過ごした年月以上をこれから一緒に過ごして行きゃいいだろ」

 黄瀬がクッションを抱き締める腕に力を込めた。涙は依然とはらはら流れている。
 漸くわざわざ寝室から持ってきた理由とずっと抱き締めているが解った気がした。

「俺の匂いもお前の匂いも消えねーよ」
「……っ」
「ソファーは誰かが使えばそいつの匂いがつくし、ベッドもシーツを交換すりゃ匂いは消えるけど、俺の匂いはお前にしかつけねーしお前の匂いしか俺はつける気ねーよ。涼太」
「……ッ! ひ、ぅっ!」

 唇を耳に付けて呼べば、真下にある体がビクンッと大きく跳ねた。涙はまだ溢れている。紅潮した頬は継続中なのか新たに塗り替えられたものなのかは判別出来ない。
 けれども薄く開いた唇から漏れる熱の籠もった吐息と恍惚とした表情、上下に動く肩に小刻みに痙攣している下肢。これらを見て何も分からない程生憎短い時間は過ごしていない。

「お前、名前呼んだだけでイったのかよ」
「んっ……るさッ」
「涼太」
「ひぁ、ぁうっ! や、だぁっ」
「嫌って……お前なぁ」

 お前が欲しがったんだろうが。
 そう言ってもキュッと目を瞑ってイヤイヤと首を小さく左右に振るばかりだ。

「も、普段は黄瀬で、いいっス」
「あ、そ」
「でも……」

 そこまで言ってきゅ、と口を閉ざす。
 瞳の潤いは増し、恥ずかしいのかぷるぷると体が震えている。
 それでも俺はただじっと黙って眼下に広がれば美観を見るだけだった。

「え……えっち、する時、は……名前、呼んで……?」

 口元にクッションをあてて喋るから多少籠もって聞き取り辛かったものの、可愛い事を言ったから許してやる。
 そして、ここまで我慢出来た自分を誉めてやりたい。その為に俺は自ら褒美を与えようと思う。
 既に目の前に用意されているのだから、有り難く頂戴する他無い。

「じゃあ、今は呼んでいいんだな? 涼太」



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