青黄
それが来たのは文化祭が終わってクラスの片付けをしている時だ。
黄瀬のクラスに思わぬ訪問者が訪ねてきた。
その人は教室の窓に廊下側から上半身を乗り出している。野球部やサッカー部と同じくらいに焼けた肌をしたバスケ部エース――青峰大輝だ。
「青峰っち? どうしたんスか?」
「丁度良かった。黄瀬、ちょっと来い」
「えっ? え?」
青峰はお目当ての人物を見付けるなり用件だけを述べてさっさと何処かへ歩いて行ってしまった。
慌てて廊下に出て青峰の背中を目で追い掛けるが、学級の教室ばかりが立ち並んでいるので階段までは直線の廊下である。それに人混みの中でも頭一つ分飛び出している長身且つ幼なじみに「ガングロ」と言われる程色黒であるからそう簡単に見失いはしない。
急いで他クラスに来てまで暴君っぷりを発揮する彼を追い掛けようとしたが、片手に持った箒にハッと気付く。
そして、チラリと文化祭で装飾された教室の後片付けをしているクラスメートを見やる。
流石に自分だけサボる訳にはいかない。けれども暴君を放っておく事も出来ない。
箒を両手で握り締め、うんうん眉間に皺を寄せて唸る黄瀬に紫原が近付いてきた。
「どーしたの?」
「あ、紫っち。実は――」
片付け中の人でごった返す廊下を上手く避け(と言ってもぶつかったり人を掻き分けたりして進むのを最小限に抑えただけであるが)漸く青峰の背中に追い付いた時には既に少し息が上がっていた。
こんな時、黒子の影の薄さがコピー出来れば良いのにと思わずにはいられない。
「青峰っち! 待って欲しいっス」
「お前が遅いだけだろ」
「っていうか、クラスの片付けは良いんスか?」
「うっせーよ黄瀬」
横に並んでキャンキャン吠える黄瀬を鬱陶しそうな目で軽く睨むがあまり効いていないらしい。
寧ろ「片付け」と何度も繰り返す始末だ。
「ねぇってば、青峰っち!」
「俺がやったら余計に散らかりそうだからっつーことで、自主的に」
「何かその理由、準備期間中も言ってなかったっスか?」
「あ? そーだっけ?」
「桃っちが言ってたっス」
「あいつ……」
喋りながら青峰について行っていたので気付かなかったが、辿り着いた場所に黄瀬は足を止めた。
そんな彼を見て青峰は「さっさとこい」とその中へと入って行く。
文化祭の終わり頃に黒子の案内でやってきた夕陽を眺める絶好の場所――旧校舎である。
「え、え? 何でよりにもよってココ何スか?」
歩く度に足元が鳴る。抜けはしないだろうが、今にも抜けそうである。
それでもお構いなしに先頭を行く青峰はどんどん奥へと進んで行く。薄暗い廊下もギシギシと鳴る床板も雰囲気はあるが、流石――お化け屋敷風迷路を難無く抜け出しただけはある――青峰と黄瀬、と言った所だろうか。
この場に桃井が居れば、面白い反応が見られたかもしれない。
「人気が無ぇからに決まってんだろ」
「へっ?」
さらりと答えた青峰の言葉に間抜けな返答しか出来なかった。
そして、瞬時に悟る。ヤバい、と。
しかし時既に遅し。
予め目星を付けていたのか何の迷いもなく一つの空き教室に入って行く。
逃走を試みようとした黄瀬であったが、いつの間にか掴まれた――捕まえられた――腕によって後退りも許されなかった。
そのまま力任せに引っ張り込むと、青峰は扉を閉める。勿論、施錠も忘れずに。
「あ、青峰っち……?」
「黄瀬」
「……はい?」
「これ着ろ」
「はぃい?」
些か乱暴に投げ渡されたのは、見覚えのある大きめの豪華なドレスだ。
サイズ的には問題ない。寧ろ女性が着るには大きすぎる程である。
何とはなしに「紫っちでも入りそうっスねー」何て暢気に考えて、考えるのを止める。
そう。これは紛れもなく、文化祭で黄瀬のクラスが出店した縁日(クラスの表記は艶仁知)で紫原が着ていた衣装である。
「な、な、な……なん、で……これが、あ、青峰っちを……?」
「動揺してんのバレバレだぞ、お前」
引きつる口元にも気が回らない程に黄瀬は困惑していた。
ドレスを持つ手元も小刻みに震え、加えて力が入りすぎているのか元々白い肌がより一層白くなっている。
「着ろ」
「あ、あおみねっ……」
「着ろ」
「いや、でも、これ」
「着ろ」
「あのっ」
「着せて欲しいのかよ?」
「……っ、後ろ向いててくださいっス!」
斯くして着ざるを得なくなった黄瀬であったが、紫原が着用していただけにサイズに関しては申し分ない。若干裾が長いが短いよりはマシだと自分に言い聞かせる。
全く以て気休めにもならないが。
「やっぱ似合うな、お前」
「嬉しくないっス」
屈辱感を味わっている最中の黄瀬は見ていて気分が良い。
大きな瞳を未だに動揺しているのかゆるりと揺らし、パニエが作り出す空間が気になってしょうがない様子で裾を掴む手は羞恥か怒りか震えている。加えて整った顔であるから効果は二割も三割も増す。
「もっとこっち来い。薄暗くて見えねー」
「見なくてもいいっス!」
「一対一もうしねーぞ」
「……アホ峰のくせにこう言う時ばっか脳みそ働くんスね」
「あ?」
「何でもないっス!」
適当な椅子に不貞不貞しい態度を以て腰掛ける青峰に一歩近付く。
しかし「まだ」「もっと」と強請るものだから、こうなったらと開き直って一気に距離を詰めようとしたのがいけなかった。
長身である黄瀬にとっても長い裾は、スカートを履き慣れていない事も相俟って当然の結果をもたらす。
「わっ」
「っバカ!」
「ぶ!」
案の定裾を踏みつけ、前につんのめる。
元々距離を詰めようと盛大な一歩を踏み出したので、倒れた先は慌てて立ち上がった青峰の胸の中だった。
「っぶねー……。黄瀬、怪我は?」
「あ、だ、大丈夫っス」
「そっか」
珍しく焦ったのか、速度が自分とそう変わらない青峰の心音に耳を傾ける。
青峰が支えてくれているとは言え、正直、今の体勢は辛いのだがまだ聴いていたい気持ちが勝っている。
「黄瀬」
「なんス……っ」
黄瀬にしてみれば、呼ばれたから顔を上げただけのこと。所謂条件反射と言ってもいい。
それを逆手に取ったとも言える青峰の突然の口付けに目を見開く。
「ん、…っふ……」
先程支える為、上半身に回された腕には力が入っており身を捩る事すら難しい。挙げ句、頬に添えられた大きな手の平もしっかりと固定してあって激しく口内を犯す舌からも逃れられずにいた。
唇を奪われる際に支えてくれた腕で上体を起こされたので体勢としてはきつくはないが、息すらさせてもらえない行為に苦しさを覚える。
そのまま力任せにぐるりと回り互いの位置を交換する。
少し青峰が体重をかけてやれば、黄瀬の体は難無く椅子――先程青峰が座っていたもの――に崩れ落ちるように座った。
それにより出来た身長差を利用しない手は無い。
角度を変えて執拗に繰り返す。
そろそろ限界だと青峰の袖を引っ張るのを合図に、糸を引きながら唇を離した。
いやらしく糸を舐めとり、妖しく口角が上がる。
その時、苦しさで滲む黄瀬の瞳には、仄暗い闇に光る獣の目を見る。
「何で青峰っちが紫っちの衣装持ってんスか」
胸を上下させて気怠そうにしながらも訊かずにはいられない。
他クラスのアンタが何故、と。
「あー、借りた」
「借りた……って」
「クイズ研の時に見て、使えるなって」
「意味分かんないっス」
「で、使ったら実際思った以上に使えたな」
「ちょっと黙って」
ズキズキと痛む体に鞭を打って脱いだ制服を掴む。
そこでハタとあることに気付きシャツを掴んだまま動きを止めた。
「あの、紫っちに借りたってことは……さっき片付けの時間……」
言いながら青峰を追い掛ける直前の事を思い出す。
青峰を追い掛けたいが片付けもしなければならないと一人あわあわと悩んでいた時だ。
間延びした声で黄瀬に近付いてきた級友――紫原敦に声を掛けられ、悩み事を相談した。
その時、彼はまいう棒――ツナマヨあんドーナツ味――を頬張りながら言った。
「行ってくれば? 青ちん楽しみにしてたし。帰りに奢るの忘れないでねー」
彼の言葉が頭の中でリフレインする。
あの時は焦っていたのもあって「ありがとっス!」と箒を渡して直ぐに追い掛けて行ってしまった。
が、よくよく考えてみれば紫原の言葉には不可思議な点がある。
「青ちん楽しみにしてたし……って、まさか‘その服黄瀬に着せっから貸せ’とか言ったんじゃ」
「おーよく分かったな。見てたのか? っつかそれ俺の真似? クォリティーひっく」
「現場目撃してたら絶対着いて行かなかったっすよ! 声真似は得意じゃないからクォリティー求めないで欲しいっス! それに、まだ引っ掛かるっス!」
ぐったりしていた割には意外とタフだなぁと机に座りながら一糸纏わぬ姿で床にへたり込むそれを眺めながら思う。
それにも気付かずに黄瀬は口を尖らせながら言葉を続けた。
「‘奢るの忘れないで’って良く考えたらおかしいっス!」
「どこが」
「‘何か奢ってね’とかならまだ分かるっスけど、あれじゃあ俺が既に奢ることを約束してたみたいじゃないっスか」
「その通り何だから問題ねーだろ」
その言葉はとどのつまり、青峰が勝手に黄瀬が紫原に奢ることを約束したことを裏付けている。
暴君にも程があると込み上げる怒りに体が震えた。
「衣装貸せっつったらクラスの奴に訊かねーとーとか何とかぬかしやがるから、貸してくれたら黄瀬が好きなもん奢るって言ったら即OK出た」
「こんのアホ峰ーっ!」
「ぶっ!」
ゴージャスな衣装を青峰目掛けて思い切り投げつける。
受け止めようにも面積も広く長身の男性が着られる大きさのそれは、残念ながら重さもそれなりにあるので片手でボールを受けるようには行かない。
もだもだと衣装と格闘している暴君を余所にさっさと着替えを済ませると扉の方へと歩いて行った。
「これからも俺との一対一に付き合ってもらうっスよ!」
漸くゴテゴテの服から抜け出し顔を覗かせた暴君青峰にズビシッと音が付きそうな勢いで指を差す。
そして、罰にもなっていない条件を吐き捨てると思い切り扉を閉めた。
「優しいねぇ黄瀬クンは。それともただのアホか?」
一人残された青峰は、喉の奥でクックッと笑いながら上機嫌に唇が弧を描く。
「上等だ」
――部活の時間まで、もう少し。