赤黄


「何で、スか」

 意図した声では無いそれが口をつく。震えて、嗚咽を必死に我慢して、鼻声になりつつある、酷く弱々しい声だ。
 握る手は確かに温かいのに、生命の微弱を感じる。
 腕に繋がれた人工的な管が痛々しい。同時に忌々しい。邪魔だ、と言って引っこ抜いてあげたい衝動に駆られる。
 けれどもそれが出来ないのはこの手を離したくないからだ。この手の温もりをずっと感じていたいからだ。

「ねぇ、赤司っち……オレ、イヤっすよ……」

 左目を覆い隠す純綿糸は幾重にも巻かれ、嘗て自分の髪の毛とお揃いだと言って嬉々として語った瞳は沈黙を続けている。その左目が眠って何年になるだろう。

「イヤっス」

 ずっと、目の前に横たわる彼を焼き付けておきたいのに。けれども此方の意思とは関係無く涙腺がゆるむ。
 それでもレンズに収めたくてそのままにしておけば、重力に従う透明の粒は真下に居る赤司の頬をなぞった。

「イヤだ……赤司っち……ねぇ、赤司っち……!」

 鼻と口を覆う有色透明のプラスチックは、赤司の呼吸にあわせて白く曇る。くぐもった呼吸音と生命維持を知らせる機械音が黄瀬を苛立たせた。
 はらり、また一粒が彼を濡らす。
 柔らかく、けれども弱々しく細められた赤い目に黄瀬は瞠目した。《涼太》。確かに目下の彼はそう口にしたのだ。

「りょうた」
「あ……か、し……ち」
「涼太」

 握った手に僅かな力が注がれる。指先だけの些細な反応だけれど。

「ごめん」
「……っ」

 こんな彼は知らない。謝る赤司を黄瀬は知らない。こんなに弱々しく笑う彼を知らない。
 雫が赤司の髪や包帯に触れるのも構わずにただただ柔和な金糸を左右に振り乱した。
 謝らなくていい。だからまた一緒に居て。バスケをしていっぱい怒って。ヤキ入れもペナルティーも何でもするから。
 そんな悲願めいた願意は言葉となって届く事はなかった。

「もう、一緒に見られそうに無い」
「そ、な……ことっ、……っう、なぁ」
「来年の花見は無理そうだ」
「無理……じゃ、な、いっ」
「今年は土壌に酸性の肥料を加えたから、来年の紫陽花は青になるはずだよ」
「じゃ……来年、一緒にっ……確かめるっス……」
「真太郎の誕生日にはその近くに笹でも置こうか」
「た、んざ、くっ……また、書くっス……一緒に、書くっス」
「雪が積もったら、また涼太が真っ先に足跡を付けるんだろうね」
「ことっ……今年はっ、赤司っちに、ゆずっ譲る……っスよ! だからっ」
「でも」

 ゆっくりとした動作で手を握っていない方の手で酸素マスクを外す。黄瀬が手を伸ばして止めようとしたが、ゆるゆると首を横に振る。
 マスクを胸元に置くと、そのまま彼の手の平が黄瀬の頬を包んだ。

「一番、見たいのは……涼太だよ」

 あれはいつだっただろう。
 そう、確か赤司が突然マンションに来て、一緒に住もうと言ってくれた日の夜だった。
 いつの間にか手配されていた引っ越し業者にも驚いたが、眼前に広がる一戸建て平屋の日本家屋には声すら出なかったのを覚えている。そんな日の、夜だった。

――涼太の目が好きだ。
――目、スか?
――知ってる? 涼太が僕を見るときの目。
――そんなの、知るわけないじゃないスかー。
――うん、知らなくていいよ。
――何スかそれ。
――それを知ってるのは、僕一人でいい。涼太にも教えない。
――えーっ!

「一番聞きたいのは、涼太の声だよ」

――涼太の声は凄く心地良い。
――そっスか?
――普段の声も泣き声も喘ぎ声も全部。
――ヤメテヤメテっ!
――そう言う恥ずかしがってる声も照れてる声も喜んでる声も寂しそうな声も全部。
――もういいっスってば!
――可愛いね、涼太。
――何か今日の赤司っち甘過ぎっス。変っス。調子狂う……。

「もう、それも出来ないのが、悔しい」
「そ……なっ、ことッ、ないっス! も、何で……そんな事言うんスか! だめっス!」
「ねぇ、涼太」

 ああ、ダメだと思った。もう、無理だと思った。彼をこれ以上は引き留められないのだと、この手はもう自分の手を握り返してはくれないのだと、頭の中で警鐘が鳴り響く。
 五月蝿いのに。止めたいのに。止まらない。
 そっと親指の腹で涙を拭ってくれる。その優しい手付きが余計に心臓を抉る。

「キス、したい」
「ダメっス……。ちゃんと、退院して、オ……レの、所に、戻って、来たら……あげるっス」
「キスしたい」
「だ、ダメ……」
「キス、して」
「……ッ!」

 折角拭ってくれたのに先程よりも大粒の涙が赤司の指を濡らす。
 覚悟はしていた。だから笑顔でこの部屋に入った。好きだと言ってくれた笑顔を崩さないように、必死に楽しい事や自分の近況報告などしてきたけれど。けれども矢張り最後まで保たせる事は出来なかった。

――今日はみんなまだ来てないんスか?

 そんな何気ない一言に、赤司は答えた。黄瀬だけに見せる唯一の笑顔で。

「来てくれたよ。今は席を外して貰っている」
「どうしてっスか?」
「最期の日くらい、一番会いたくて一番一緒にいたくて一番好きな人と二人きりで居たいだろ?」

 笑って言った。
 そんな事を笑って言うなと言えなかったのは、黄瀬もまた分かっていたからだ。覚悟をしてきたからだ。

「キス……してよ。涼太」

 頬に添えられた手に自分のを重ね、そっと唇を合わせた。
 言葉通り《さいご》のキスは、涙に濡れて少ししょっぱくて、温かくてとても甘かった。
 このまま永遠に時間が止まればいいのにと陳腐な思考も今は、今だけは許して欲しい。けれども少し名残惜しげに離れたのは、赤司が自ら顎を引いたからだ。

「赤司っち……」
「ありがとう」
「あ、か……しっ」 
「涼太」
「……っ」
「好き」
「オレっも、……すきっ、大好きっス」
「うん」
「征十郎」

 さいごの言葉は届いただろうか。
 小さく笑って、彼は逝った。
 室内に響く生命の終焉を知らせる音が、涙の音を掻き消した。







ただの自己満。
ココで書いた某歌手の某歌を基盤に。歌は本当に良い歌なので是非!
このまま悲恋ENDでもいいけれど、救い√を作るなら、転生しかないかなと。
生徒赤司×教師黄瀬とか、患者赤司×主治医黄瀬とかそんなん。
あ、でももう一つの歌で雨云々で書いてもーとか思ったけど結局それも悲恋に終わりそうなので救われないENDですね。



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