火黄


「つまんねーな」

 抑揚もなく適当とも取れる態度で言われたその言葉は重くのしかかったのに何故だか心はスッキリした。
 それは一体何についてだったか。黄瀬は思考を巡らせる。
 暇、バスケ、試合、部活、会話。どれも違う。どれも当てはまらない。
 そこで少し前に記憶を戻せば、そもそもそう言われる状況を作り出したのは自分であったと気付いた。

――へぇ、そうなんスか?

 何気ない一言が、言ってはいけない言葉だった。

 あれは偶然会った火神とストリートコートで一対一の勝負をしていた時だ。日も沈みかけた頃、そろそろ切り上げようと言った火神に昔の誰かにするみたく黄瀬は食い下がった。
 けれども火神は彼とは違う。フラッとどこかへ姿を消したかと思えば再び現れ、スポーツ飲料水を黄瀬へと投げ寄越したのだ。矢張り火神は彼とは――青峰とは違う。
 それを喉奥に流し込む横で火神が飲み物を買いに行く途中で見かけた光景を話したのが切欠である。

「ひっくい鉄棒でガキが逆上がりの練習してた」
「へぇ、鉄棒とか懐かしいっスね」
「お前もああやって練習したのか?」
「しないっスよ。クラスで出来る子がやってるの見たら簡単に出来たんで」
「あー、そん時から既にかよ」

 火神が何かを濁すようにボトルに口を付ける。

「火神っちは? アメリカでもやったんスか? 鉄棒の授業」
「あー……バスケの事しか殆ど覚えてねーわ、悪い」
「ふっ、くくく……っ、火神っちらしいっスね」

 お腹を抱え肩を震えさせながら笑う黄瀬に「ほっとけ」と軽く小突いた。
 それならと火神は他の話題を持ち出す。

「あーでも、やっぱ初めてバスケやってボールがネット潜ったの見た時はスッゲー嬉しかったな」
「へぇ、そうなんスか」

 何気ない、ただ純粋にそう思っているその言葉に火神は瞠目したままフリーズした。火神っち? と黄瀬が問い掛けても反応がない。
 半ば自棄に「たーいーが!」と呼べば、ハッとしたように我に返ってきた。

「あ、え……悪ぃ」
「っもー」
「お前、青峰に憧れて始めたんだよな?」
「そっスよ?」
「それまでは初心者なんだよな?」
「そっスよ? つっても今だって周りと比べたらビギナーっしょ。俺まだ始めて二年っスもん」

 楽しそうに笑うこの綺麗な顔をどこか遠くに感じていた。物理的な距離ではない。もっと抽象的で曖昧な存在の距離だ。

「始めた時、初めてドリブルで人抜いたとかシュートが決まったとか、何とも思わなかったのか?」
「そっスねー。まあ、ドリブルもシュートも、それだけならその日に出来ちゃったんで」
「ふーん。じゃあ、お前、つまんねーな」

 今度は黄瀬がフリーズする番だった。

「つま、らない……っスか?」

 何故か紡がれた言葉は震えていた。別段、涙声であるとか泣きそうであるとかではない。ただ、震えていたのだ。

「お前の模倣ってさそれだけ聞くと、飲み込みが早ェとか便利とか思うけど、でもその過程は糞つまんねーよな」
「ちょっと、意味が分かんねっス」
「お前の話聞いてっと、出来なかった事が出来るようになったっつー感動みてーなモンを味わった事がねぇって事だろ?」
「感……動……」
「出来ると思ったからやった。結果、やっぱり出来た。何かそれってつまんねーわ」

 火神の言葉が突き刺さる。胸を抉る。なのに黄瀬は肩を震わせながら笑い声を漏らしていた。
 けれども琥珀の瞳からはスポーツ飲料よりも透き通った小さな川が作られている。

「ふっ、はははッ……あっはははは! 火神っち、面白い事言うんスね!」
「はあ?」
「そっかそっか。まあ確かに過程はつまんないかも知れないっス。他人から見たら」

 それは思わずドキリとするような笑みだった。無駄に整った顔だからだろうか。理由は定かでは無いが、確かに火神の心臓は彼に反応していた。
 空っぽのペットボトルを指で弄りながら形の良い唇が動く。

「でもね、俺は別にそれでもいーんスよ。だって俺からしたら出来ない方が有り得ないんスもん」
「へぇ」
「俺はね、出来ないっ、悔しいっ! よりも、出来るのにアイツにはまだ勝てない、悔しいっ! の方がいーんスよ」
「は?」
「一人より二人ってこと」

 頭上に疑問符を飛ばす火神にクスッと笑い返すと、黄瀬はゆっくりと立ち上がった。
 適当にボールを放る。入らないなー何て呑気に考えていたら案の定リングに当たって外側へと跳ねた。しかし次の瞬間、ガンッ、と鈍い音が聞こえた。
 軋むゴール下から転々と転がるボール。「よっ」と小さく呟きながらリングから手を離し着地する火神の足に黄瀬は瞬きさえ忘れたかのように直立不動だった。そして、ぶはっと吹き出す。

「青峰のヤローじゃねぇんだから、それで入るかよ」
「アリウープっスよ」
「思いっ切りゴールに嫌われてただろーが」
「ははっ! きっとゴールは男の子っスよ。俺、女の子に嫌われた事ねーもん」
「死ね」

 投げつけたボールは難無く黄瀬の腕の中へと吸い込まれていった。
 もうちょっと優しくー、なんて軽口を叩きながらも黄瀬の表情は緩んでいる。

「ね、一人より二人」

 公園の中の灯りがまだ明るい西の空と夜の帳を引き連れた東の空の狭間で点滅しながら点灯した。



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