緑黄


 学校帰り、駅に向かう途中違和感を感じた。何だと眉間に影を刻めば妙に人が多いと感じる。まだ帰宅ラッシュには早い時間だ。
 しかしそれを解決する糸口は直ぐに見付かった。
 浴衣姿の女性が揃って同じ方向へと足を向けていたのだ。改札へ向かわなければならない緑間は不本意ながらもその流れに乗るしかない。
 一体この人の多さは何なんだと不快感を露わにする緑間の視界にその原因が映った。

「ゲストの皆さんの準備が整ったようですね! それではお待ちかねの、短冊に願い事を書いちゃってくださーい! 危険ですのできちんと並んでくださいねー。押さないでー。彼らは逃げませんよ! いっぱい短冊も用意していますから心配しないでくださいね! ゆっくり進んでくださいねー」

 特設されたステージに司会者と思しき浴衣姿の女性がマイクで進行している。その言葉を合図に黄色い声が一際大きくなった。人集りの中には男性もちらほら見受けられるが圧倒的に女性が多い。
 こんな日に限ってと苛立ちを隠しきれずに溜め息を吐く。
 何とかして人の合間を抜けなければと思いながら改札を目指していたら不意に後ろから声を掛けられた。 

「そこのオニーサンっ」

 語尾に音符でも付きそうな程にその声音は上機嫌に思える。緑間とは正反対だ。
 肩に手を置かれたのだから無視をするわけにもいかない。嫌々な雰囲気を隠さず寧ろ全面に出しながら振り返れば、思わず瞠目してしまい言葉を失った。

「黄……」
「短冊、書いて行かないっスか?」

 にこりと笑う黄瀬の周りから目覚まし時計以上の騒がしさで甲高い黄色い声があがる。この胡散臭い笑顔のどこが良いのか、緑間には理解し難いものだった。
 しかし深緑の浴衣を着こなす黄瀬は何とも妖艶で、目を奪われる事には納得する。

「断」
「ささっ、こっちこっち」
「聞け!」

 がっちりと利き腕をホールドされてしまい人集りの中へと連行される。
 不思議な事に、黄瀬が「ちょっと通してね」と言えば鉄壁の壁を彷彿とさせる人垣がみるみる道を作るのだ。どうせならばそれを利用して改札まで難なく連れて行って欲しかったとさえ思う。

「はいっ、オニーサンには緑の短冊をプレゼント〜」
「だから俺は」
「んー、俺は何書こうかなぁ」
「聞けと言って……ん?」 

 先程から聞き入れて貰えない自分の意見について異議申し立てをしようと口を開いた。しかし左脚に隣に立つ黄瀬の手の平がこそっと触れている。悔しい事にそんなお忍びの所作に鼓動が速くなるのを感じた。
 何だと緑間もそっと手を重ねれば、その手はスルリと離れて行く。何なのだと思わず詰問しそうになる衝動をぐっと抑えられたのは、代わりに腿と手の平の間に複数の薄い紙の質感を確認したからだ。
 チラリと黄瀬を見れば目を細めて笑うだけで、再びあの胡散臭い笑顔に戻る。
 自分用の短冊は先程渡された。だからこれは黄瀬の分か若しくは来場者に配る分だ。
 呆れにも似た溜め息を吐いてこっそりとその短冊を見る。

――まさか緑間っちに会えるなんて思わなくてつい嬉しくて声掛けちゃった。
――巻き込んじゃってごめんなさい。
――だからこれ以上俺のせいで迷惑掛けたくないし他人のフリしてる!

 記憶に残る黄瀬の筆跡とは思えぬ程の雑な文字に一瞬顔を顰める。しかしよくよく考えればこれだけの私信を周りに気付かれずに書いたのだから走り書きになるのは当然である。
 何気ない動作でそれをズボンのポケットにしまうと、再び黄瀬の手が触れた。

――これ、七時に終わる予定何でその後緑間っちに会いに行っても良いっスか?

 横目で黄瀬を見れば今度は短冊に目を向けていた。しかしどこか緊張と不安に瞳が揺れている。
 緑間が小さく笑みを零すもそれも一瞬で黄瀬が気付くはずもない。

「俺に願い事など不要なのだよ。コレは返す」
「えっ……」

 そう言って浴衣の袷目に緑の短冊を一枚差し込んで緑間はその場を後にした。
 去り際にこっそりと腰を抱いて耳元で「これ以上は俺の理性が保たん」と囁いて。

「緑間っち」

 人混みでも分かる飛び抜けた頭がどんどん小さくなって行くのをただ寂しさを湛えた瞳で追うことしか出来なかった。今すぐにでもその背中に抱き付きたい衝動を誤魔化すように胸元の短冊を抜く。
 その際に文字が書かれていることに気付いた。良く知る達筆な文字で――

《俺の願いは駅前で既に叶っていたが、午後七時以降にもう一度叶うと確定した。その時に言ってくれるのだろう?》

「緑間っち」

 背中はもう無理だけれど、代わりに緑のそれをぎゅうと抱き締めるように両手で触れた。その顔は恐らく今日一番の笑顔だろう。

「涼太君、何か良いことあった?」

 新しく短冊を貰いに来たのだろう。浴衣を現代風にアレンジされた物を身に着けた茶髪のモデル仲間が話し掛ける。左手の籠に短冊が一杯入っていた。

「俺、今さっき願い事叶っちゃった」
「えーっ! マジ? それヤバくなぁい? 凄いじゃーん!」

 イベント開催前に書いた自分の短冊を思い出す。

「緑間っちも同じ事思っててくれたんスね」

 プレゼントを鞄に忍ばせておいて良かったと心から思う。おは朝の占いも今日はチェックしていて良かった。ならばいっその事ラッキーアイテムを買い取ろう。
 これからの予定を頭の中で組み立てながら、短冊と共に本日最高の笑顔を配る。
 そんな彼が最も早く与えられたノルマを配り終えたのは言うまでもない。



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