笠黄


 数回バウンドさせて構える。手から離れたボールは吸い込まれるようにゴールを貫通した。
 ゴール下で跳ねるボールには目もくれず、黄瀬は隣に置いてあるボール籠の中からまた一つそれを取り出す。先程と同じようにバウンドさせれば二回目でボールが消えた。

「あ、え? あれっ?」

 床で跳ねたボール――手元に戻って来るはずのそれは忽然と姿を消した。そんな事があるわけないと思いながらも黄瀬は自分の掌を見つめる。
 現在、黄瀬の居る体育館には誰も居ない筈だ。部活の時間はとっくに終了している。部員は皆帰ったのを黄瀬は確かに見ている。この体育館から見送ったのだから間違えるわけがないのだ。
 最早黄瀬の頭には一つの考えしか無かった。

「ぎゃああああっ! 出たあああああっ!」
「バカかお前」
「いたっ! えっ? え?」

 幽霊、若しくはお化け。そんな陳腐な考えを一蹴する声と共に後頭部に何かが直撃する。
 それは酷く聞き慣れた声であった。

「笠松……センパイ?」
「体育館での怪談話は聞いたことねーぞ」
「あ、そうなんスか。……ってか何で? あれ、帰ったんじゃ」 

 振り向けば呆れた顔をした笠松が制服姿で立っていた。右手にはボールがある。恐らく先程はそれを投げつけたのだろう。
 そして笠松の登場によりボールが奪われたのだと気付いた。いつもならそんな事させないのに。

「監督に呼ばれてたんだよ。週末の練習試合に来週の部長会議、練習メニューの見直しやら必要物資の要請やら色々な」
「お疲れ様っス……」

 主将って面倒臭い。僅かでも確かに黄瀬の中にそんな感想が浮かんだ。自主練や部活の時間まで削られるのだから損な役回りだと思う。
 けれども笠松の表情を見る限りでは彼は一切そのような事は考えていないのだろう。

「黄瀬」
「何スか?」
「ワン・オン・ワン、やるか」
「え、いいんスか!?」

 ぱあっと黄瀬の表情が華やぐ。その後の行動は非常に機敏だった。シュートしたまま放置していたボールを全て片付け籠を邪魔にならない場所へと移動させる。

「バスケ、好きなんだな」
「何か言ったっスかー?」
「別に。何もねーよ」

 ぽつりと呟いた言葉は、倉庫の中に居る黄瀬にははっきりとは聞こえなかったようだ。しかし笠松はそれでいい、と心のどこかで思っていた。

「あー、やっぱお前ムカつく」
「ヒドいっス!」

 軽くやるつもりだったがつい、熱くなってしまった。しかし互いにバスケバカが相手ならばそうなることも必然である。
 制服のシャツをズボンから引き抜いてパタパタと動かし風を送る。
 もう一回と強請る黄瀬を窘め先程まで使っていたボールを戻しに行かせていた。けれども意外と近くから反応が聞こえた。どうやら走ったか程良い距離に来た所で籠に向かってシュートしたかのどちらかだろう。

「人が時間かけて漸く会得したものをお前は一回見ただけで軽々とやってのけるもんな」
「そっスね。まあそのお陰で帝光でも海常でもレギュラーなわけっスから」

 ああ、地雷だと思った。
 言葉を紡ぐのに一瞬間がありその一瞬の間に眉を顰めていた。笑いながら言う顔が辛そうだ。
 考えてみれば分かる事なのに配慮に欠け、黄瀬の軌跡を土足で踏み荒らしたのだ。

「悪ぃ。俺としては別に他意は無くて」
「大丈夫っスよ」

――笠松先輩はわざと他人を傷付ける様なことは絶対にしないっスもん

 そう言って笑う黄瀬を見るのが辛い。後輩に気遣わせているのが分かる。
 フォローしたつもりが寧ろ言い訳がましく聞こえる。最低だ。

「それに、例えそうでも平気っスよ。言われなれてるし」
「んなわけねぇじゃん」

 間髪入れずに出た声は自分でも少しびっくりするくらい荒いでいた。当然、黄瀬も驚いている。

「俺にだって、お前が嘘吐いてる事くらい分かるぞ」

 今度は比較的落ち着いた声音で言う。言葉の末尾と共にトン、と拳で黄瀬の胸を叩いた。驚きに見開かれていた目は次第に変化を見せる。
 決して目が乾いたから出来る水の膜ではないそれはものの数秒で粒になり落下した。

「もっ、何なん……っスか」

 両膝に顔を埋めるようにしてしゃがみ込む黄瀬の前に同じようにしゃがむ。嗚咽も言葉も全部我慢しているのかくぐもった声だけが聞こえた。時折肩が上下に震える。
 いつも肩パンばかり食らわせる手でくしゃりと頭を撫でた。

「土足でお前の領域に踏み込んだ事は謝るよ。でも、俺も俺たちも黄瀬が必要だ。お前の力は強みだって思ってる」
「……」
「五人しか居ないコートの中に七人、八人居るのと同じ事だろ。しかも本人と同等若しくはそれ以上の強さだ。戦略パターンの種類も豊富になる。プラスになってもマイナスにはなり得ない」

 だから、誰もお前を疎んだりしない。
 ムカつくけど、羨んだり妬みもあるかもしれないけど、それでも何だかんだ言って海常の奴らはお前のことが大好きだから。 そんな事は恥ずかしくて言えないけれど、その代わりその思いも全部ひっくるめたキスを黄色い頭に落とした。

「それでも不安な時は、俺の隣に来い」

 まさかこの後に、はらりはらりと涙を落としながら爆弾投下してくるとは笠松は思いもしなかった。

――不安な時しかダメっスか?



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