笠黄


「センパイっ! もう一回!」
「ヤダよ。今日はもう終わりだバカ」
「えーっ! ケチっいったあぁ!」
「うるせーよ。シバくぞ」

 小気味の良い音が体育館内に広がる。
 笠松の予告はあってないようなものだ。何故なら、その殆どが予告ではなく事後報告になっているからである。しかしそれも毎度の事なので「もうシバいてるっス」と涙目で言う黄瀬も最早テンプレートと化していた。

「ほら、もっと脚広げろ」
「笠松センパイ、いくら二人きりだからってこんな所でででででででっ痛い痛い痛いっス!」
「シバくぞ」
「シバくって言うかこれ拷問っスよ! 股が裂けるっス!」

 ボール籠を倉庫へと片付け、バスケットゴールも高さを上げる。これをしていないと毎回体育教師に注意されるのだ。ただの注意ならば良いがくどくどと妬み紛いの事まで言ってくるから質が悪い。
 笠松にとっては「そんな事俺に言われても」と言った言葉しか出て来ない。何せ全国区であるバスケ部が運動部の中で最も優遇されているからだ。柔道部の顧問をしている身としてはさぞかし面白く無いだろう。けれども仕方がない。
 片付けが終われば後は簡単にモップ掛けをしてストレッチに入る。そして今将にそれが行われていた。
 体は軟らかい黄瀬でさえも悲鳴を上げたのは、股関節のストレッチ中に笠松の《シバき》が入ったからだ。シバきと言うのも今回ばかりは名ばかりだった。
 黄瀬が足の裏同士をくっつけて踵を股間に付け開いている膝を出来るだけ床に近付ける体勢をとっていたら、あろう事かその両膝を背後から伸ばした腕で押したのだ。更に体重までかけてくるのだから堪ったものではない。いくら軟らかいとは言え、黄瀬はまだ床につく程では無かった。

「センパイってセンパイの顔してる時はすっげー頼りになるっスけど」

 片付け、ストレッチ、シャワーと遣ること全てを終えた二人は現在部室で着替えている最中だ。しかしどちらも暑いのか制服のズボンは履いているが上半身は裸である。
 そこまで言うと、一旦言葉を切る。なんだよと目で言えば黄瀬はチラリと横を見て笠松を視界に入れた。
 それを意に介さず笠松は制服のシャツを羽織る。

「主将の顔の時は鬼っスね」
「へぇー?」
「あ、でも主将の顔の時は頼もしいってのもあるんスけどね!」
「じゃあさ」 

 今度は笠松が言葉を区切る。しかし黄瀬のとは違いなかなか次の言葉が続かない。
 不思議に思った黄瀬が笠松の方を向いた。
 刹那――笠松は黄瀬のベルトを掴むと直ぐ後ろにある青いプラスチックで出来た横長のベンチに勢いをつけて誘導する。突然の行動に驚いた黄瀬は一瞬反応が遅れ、遠心力であっけなくそこへ座らされた。

「笠松センパイ?」

 訝しげな顔をする黄瀬をスルーして、乾かしたばかりの指通りの良い髪を耳にかける。露わになった黄瀬の色白の耳にそっと唇を寄せた。
 同時に黄瀬がぴくん、と小さく反応する。

「恋人の顔をしている時は何だよ」
「……っ!」

 一気に場の空気が変わった。
 シャワーを浴びた後だからか笠松の短い髪からシャンプーの匂いが黄瀬の鼻を掠める。備え付けの物だから校内で擦れ違う時や部活中の時とは全く違う匂いがする。
 嗅ぎ慣れないそれは、日常を非日常に変えるスパイスとしては充分であった。

「セン、パ……イ」
「なぁに物欲しそうな顔してんだよ」

 そうは言いながらも笠松の左手は黄瀬の頬に添えられ、顔は鼻面が僅かに触れている。笠松が喋る度に黄瀬の唇は熱い吐息で小さく反応していた。

「……焦らすんスか?」

 見上げる黄瀬の瞳は涙と共に欲情が溢れ出さんとしている。その様子に笠松はニヤリと口角を上げた。

「‘いくら二人きりだからってこんな所で’?」
「っ! い、い……じ、わるっ!」

 顔を真っ赤に染めて睨み付ける黄瀬に笠松は笑った。勿論、彼の心中には《かわいい》という感想が占めている。
 そして、漸く距離を詰めた。
 しかしそれはキスと言うにはあまりにもお粗末なものである。ただ、唇の先同士が軽く触れ合っていると言うだけだ。それで黄瀬が満足するはずもない。
 もっと距離を詰めようと試みたがそれは肩を押さえる笠松の手によって阻まれてしまった。

「な、ん……」
「で? 恋人の時の顔はなんなわけ」

 喋る度に唇に振動が伝わる。それだけの刺激がひどくもどかしかった。
 黄瀬の潤んだ瞳がゆらりと揺れると、依然として肩を押さえる手に自分の手を重ねる。
 そして誘うようにゆるりと上へと移動させた。

「恋人の、時……は、すっごく意地悪」
「あっそ」

 短く返事をすると一気に距離を詰める。少し乱暴で、噛みつくような触れ合いだ。時々漏れる黄瀬の声は甘美でいて些か苦しそうだった。
 唇が離れると細い糸が二人の間に出来ている。しかし長さは一センチ程度の短いものだった。
 それはつまり同時に二人の距離が依然として近いことを表している。

「でも」

 息を整えながら黄瀬が徐に呟く。
 再び唇を重ねようとしていた笠松は動きを止めた。

「ん?」
「でも、意地悪だけど……」
「けど、何」

 先を促すように、そして行為を焦らすように再び唇の先をくっつける。
 笠松の腕を這っていた黄瀬の手は妖艶な動きで笠松の首へと絡まった。
 それを待っていたかのようにタイミング良く唇を動かす。

「すっごく優しくて、毎日どんどん好きになるっン……っ!」

 言い終わる前にそれは完全に塞がれてしまい、繋がる箇所の中腹で消えていった。しかし代わりに互いの熱い吐息が生まれる。
 君と一緒に居る度、君をより好きになる。
 君を知る度、君をもっと好きになる。
 君に触れる度、君を一層好きになる。
 そんな臭い言葉をどちらも口にするつもりはないが、しかしそれでも通じ合っているのだろう。
 同じ気持ちである、と。
 シャワーを浴びたばかりの肌に、透明な液体が一筋、道を作った。



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