黒黄


 ヤバい。寝起き一発そう思った。
 瞬間頭の中は混乱と冷静さが同棲を始める。焦りながらも何を先ずやるべきか優先順位を瞬時に組み立てる。洗顔、歯磨き、ヘアセット、ついでに眠気覚ましと混乱に退去命令をするべく俺はバスルームへと向かった。
「あっゴミ!」
 朝シャンを済ませた俺はドライヤーで乾かしている最中に思い出す。
 毎週火曜と金曜は燃えるゴミの収集日だ。見事に先週二回共出すのを忘れていた俺の部屋には二週間分のゴミが詰め込まれたゴミ袋がある。因みに一番大きい袋が二つだ。今日は何としてでも出さなければならない。
 時間もないのでいつものように丁寧にセットはしなかった。兎に角乾いたら直ぐに着替える為に寝室へ向かう。寝癖が付かないのが幸いだ。適当な服に着替えて携帯や財布などの必需品を鞄に詰め込みゴミ袋を掴む。
 エレベーターを待つ時間がもどかしいがしかし一六階と言う決して低くはない高さ故に非常階段で下りるのも考え物だ。結局速さを取るならばエレベーターである。人目を盗むならば非常階段を使うべきだが。
 ゴミを指定の場所へ捨てれば後は駅までダッシュだ。学生時代部活でやっていた一〇本ダッシュよりは良いので辛くは無いが連日深夜近くまで行われる撮影に体力を削られている俺には少しきつかった。挙げ句今日は朝食抜きだ。これはヤバいかも知れない。
 結局、仕事は遅刻でマネージャーにこっぴどく怒られた。クライアントや撮影スタッフにも深々と頭を下げて許しを得る。
 実際、俺の遅刻で気分を害した人など居なかったのだが、しかし遅刻は遅刻だ。これは完全に相手からの信頼も信用も裏切る行為である。けれども幸いにも今回の仕事場は良い人に巡り会えたらしい。
 だけど当然スタジオは撮影出来る時間が決まっている。俺も今日は朝一の撮影の他にも後二つの撮影と取材も一件入れていたのでのんびりは出来ない。
 予想していた通り怒涛の一日で、気付けば昼食も抜いていた。
「ああ、ヤバい。マジでヤバい。これはヤバい」
 改札を抜けて誰も居ないエスカレーターに乗る。次が終電だからきっとホームもこのエスカレーター同様人も疎らだろう。
 昨日の自分が恨めしい。
 ホームに着くと誰も座っていないベンチに崩れるように座る。矢張り人は疎らだった。
 目を閉じて記憶を凡そ二四時間前へと遡る。
――涼太、明日は八時からBスタだから。
――了解っス!
――涼太の家から近いっちゃ近いけど……どうする?
――へ? 何がっスか?
――時間的にラッシュだろうし。まあ道路も変わらないかも知れないけど万が一の事態も避けられるよ。
――万が一……あーまあでも朝はみんな忙しいっスから俺に気付いても構ってる暇なんてないっしょ
――んーそうかも知れないけど……もう一つの方がどちらかと言えば心配
――え、何スか?
「――寝坊……しちゃったし……結局」
 はぁーっ、と自然と大きい溜め息が出る。
「お腹空いたし。っていうか俺よく今日仕事こなせたなー……まだ若い? なぁーん、て……え?」
 疲労も空腹もピークに来ていた。だから少しだけでも――電車が来る一、二分の間だけでも――横になろうと体を右に傾けたら何故かコツンと温もりに触れた。しかも体は四五度すら傾いていない。
 これは一体どう言うことかと顔を動かして見上げれば――
「体調管理も仕事の内、でしょう? 黄瀬君」
「え、えっ? 黒子っち……?」
 そこには呆れた顔の黒子っちがいた。嘗てのチームメートであり敵であり現在進行形で恋人である彼が居た。何故。
 俺は今朝と同じく混乱状態に陥った。今朝と違うのは冷静とは別居中であることだろう。それは非常に困る。
「いつから……?」
「隣に座って来たのは黄瀬君ですよ」
 気付かなかったんですか?
 と言われれば、気付きませんでした。と答えるしかない。しかし俺はそれは言えずにただ一言、
「ごめんなさい」
 と謝ったのだった。
「それは何に対しての謝罪ですか? 僕に気付かなかったことですか? それとも、こんな状態になるまで頑張り続けたらことですか」
「前者って言ったら……?」
「別れます」
「ヤダヤダっごめんなさい! 後者! 後者っス!」
「嘘です」
 すみません。そう言って慌てて黒子っちの肩から離した頭をぐっと掴まれて、唇を奪われた。
「そんな状態で気付くなんて思ってません」
「く、ろこ……っち」
「黄瀬君」
 疎らとは言え、人は居るし何よりも外だ。こんな所で黒子っちがキスをして来るなんて六年間付き合ってきて一度も無かった。まあ、内二年目から四年目までは離れていたからそもそも物理的に難しいのだけれど。
 そんな黒子っちがキスをしたからか少し熱を孕んだ瞳を向けてくる。ダメだ。足りなくなる。
「僕はもうあの頃とは違いますよ」
「え?」
「黄瀬君には及びませんが身長も随分伸びました。タッパもそれなりにつきましたし筋力もあります」
「そ……っスね」
 それは知ってる。体を重ねる度に感じていたから。日に日に大人へと成長していく黒子っちに俺は昔以上に感じるようになったから。
 肯定の返事をすれば、俺の体はぐらりと前方に傾いた。これは俺のエネルギー切れで倒れたんじゃない。黒子っちに倒されたんだ。
 それに気付くのに時間は掛からなかった。
 全中連覇やインターハイやウィンターカップを目指していた頃とは全く違う、成長した逞しい胸板から黒子っちのリズムが伝わる。酷く安心出来るそれは暖かくて心地良い。
 スタイリストさんにセットされた髪を白い指先が優しく梳く。そして頭上からは優しいトーンで言葉が降ってきた。
「だから、もう少し頼ってください。凭れ掛かってください。僕はもう、君をしっかり支えてあげられますから」
 優しくて、でもどこか懇願するような切なさを含んだ声。
――間もなく、二番線に電車が参ります。
 あーあ。空気読んで欲しいな。もう少し、このままでもいいかな。このままでいたいな。何て思って黒子っちの腰にきゅっと腕を回したら、直ぐに引き剥がされた。何で?
「どうしてと言いたそうな顔ですが、これが最終であることを忘れていませんか?」
「あっ!」
 そうだった。
 クスッと静かに笑う黒子っちは矢張り大人になっていた。
「行きましょう」
 そう言って握られた右手。繋がれた手。あの頃よりも大きくなった黒子っちの左手。
 その言葉は、その行動は、《今夜はずっと一緒》だと言う、彼なりの代名詞。



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