青黄


 好きになった人は好きになっちゃいけない人でした。
 好きになっちゃいけない俺は好きになっちゃいました。


 キュッと小気味良く床が鳴る。複数のそれが混ざり合っているのに耳に届くのはたった一つの、一人分の音だけだった。

(あー、今日も格好いいなぁ)

 時間を短縮したミニゲームではあるものの、コートの中の人達は皆真剣そのものだ。それを壁に背中を預けながら座って傍観する。
 自分が持つ輝きとは全く異なる物を持つ男に、俺は恋をした。
 それも良くある――自分でもベタな展開だと思ってしまうくらいに――在り来たりで有り勝ちなものだ。所謂、憧憬が恋愛感情にシフトチェンジしただけのこと。
 けれども明らかに異種の感情をイコールで結ぶことは不可能で、同居は出来ても上書きは出来ない。
 どちらかと言えば好意を抱かれる機会が多い俺にとって、この感情はイレギュラーだった。正直、対処法が分からない。気持ちに気付いて二ヶ月は経つが未だに関係は平行線だった。

「うおっ!」
「大丈夫か?」

 ぼんやりと彼のプレーに見とれていたらライン際でスティールされたボールが目の前に飛んできた。
 体が勝手に動いてそれをキャッチした為に顔面キャッチは免れたものの、心底自分の反射神経の良さに感謝した。
 眼前で取ったものだから近付いて来た人物が誰なのか何て分からなかったが心配して掛けてくれた声を俺が聞き違えるはずもなかった。

「あ、大丈夫っス。……はい」
「なら良いや、サンキュ」

 目の前に留まったのは十秒にも満たないけれど、確かに彼を――青峰の存在を感じた。
 少しだけ乱れた息、滴る汗とそのにおい、誰よりも黒い肌、激しい運動により発せられる熱、集中力を切らさない目。
 全てに俺の五官が働く。それだけなのにプレーに戻るアイツは格好良くて、その後ろ姿ですら全部を持って行かれそうだ。
 そんな矢先、俺は重大なミスをした。それは俺に関わる殆どの人達に迷惑を掛けてしまう程のものだ。

「最悪っス……」

 リビングのソファーに項垂れながら深く腰を掛ける。
 テレビから流れる情報番組には俺と女優のスキャンダルの話題が持ち上がっていた。芸能リポーターが好き好きにコメントしている。
 こんな番組が放送される時間帯に家に居るのは、事務所からのお達しだ。多分、学校にも張られているのだろう。

「ほんと、マスコミってこういうの好きっスね……」

 それなりに知名度を上げている俺に比べて、相手は若手の新星と謳われて連日引っ張りだこの高校生女優だ。
 そもそも俺はバスケを始めてから我が儘を言って仕事を随分と減らして貰っていたので全国的に名が売れているわけではない。だってバスケの方が大事だし。
 第一にモデルは公共の電波に乗ってお茶の間に配信される媒体への露出はメインじゃない。元々紙面が本拠地なのだからその差は一目瞭然である。
 つまり、何が言いたいのかと言えば、

「売名行為と言う見方も取れますねぇ」

 何て偉そうに話す若者向けの雑誌等読まなさそうなおっさんの発言を真に受ける輩がごまんと出て来るわけだ。

「バスケしたいー。バスケー……」

 もしかしたら学校のみんなもそんな風に考えるのかな、と思ったら何だか急に胸の奥が痛くなる。違う、学校のみんなじゃない。そこは最早勘違いしてくれたって気にしない。それより何より――

「黒子っちも? キャプテンも? 緑間っちも? 紫っちも? 桃っちも?」

 誰より――

「青、峰っち……も?」

 ボロッ。
 そんな音が聞こえてきそうなくらい、大粒の涙が零れ落ちた。一度溢れたものに続くように次から次へと雫が後を追う。
 ズキン、ズキンと内部を侵食する痛みがスキャンダルになった事よりも、学校に行けない今よりも、バスケが出来なくなることよりも辛い。もしかしたら杞憂でしか無いのかも知れない。それでも考えずにはいられなかった。
 共働きで良かったと心底思う。家に一人で本当に良かった。こんな弱った自分を見せるわけにはいかない。平気なフリをして両親を見送ったあの時の俺はちゃんと笑えていたはずなのに。
 なのに、今は笑顔の一つも作れずにいる。こんなにも自分の中で大きい存在になっていたのだ。

「黄瀬! さっさと開けろバーカ」
「へ?」

 乱暴に玄関の扉を叩く音と野太い声が聞こえる。
 自己中心的で横柄で偉そうで俺様でだけど格好良くてバスケが上手くて俺の好きな、俺が好きでいるその人の声が俺の名を呼ぶ。何度も何度も。

「……青峰っち」
「おっせーよバカ」
「何……で」
「あ? ただ学校サボっただけだ」
「いや、それもっスけど……」
「んだよ」

――何で、インターホンと言う文明の利器を使わないんスか?

 俺としては結構真面目な質問だったのだが、不機嫌そうな顔の彼に思い切り頭を叩かれた。
 立ち話も何だしと家に上げればテレビで「若気の至りってやつですかね〜」などと司会者が揶揄している。それを見て、しまったと思う半面、実はそんなに時間が経っていないのだと気付いた。
 取り敢えず先程俺が座っていたソファーへと促す。俺はキッチンで飲み物を準備していたが、冷蔵庫を開けるのと同時にテレビからの音声は途絶え一気に静寂に包まれた。
 何か話さなければ。そう思うのに何も思い付かない。いつもならばバスケに関しての質問が湧き水の如く出て来るのに。

「黄瀬」

 至近距離から呼ばれ明け透けに肩が跳ねた。ソファーに居たはずではなかったか。いつの間に詰められたんだろう。そんな事、何も考えられない頭で分かるはずもない。

「青……」
「一人で勝手に泣いてんじゃねーよ」
「……、みッ」
「アイツらはお前の言葉しか端っから信じてねーかんな」
「……っ!」 

 突然の来訪者に止まっていた涙は彼の優しさに触れて脆弱さを見せ付けた。背中越しに伝わる少し熱い体温と、耳に寄せられた唇から漏れる荒い息で彼が急いで来てくれた事が分かる。
 あの、青峰が。
 それだけで嬉しいのに、欲張りな俺は彼が言わないでいる言葉を聞かずにはいられない。
 こんなに彼の温もりに触れて、その言葉を聞き出す為ならばもう手段とか今後とかどうでも良い。だから、言わずにいられなかった。

「オ、レね……いち、ッばん、青峰っちに……売、名……とかっ、疑われんのがッ、嫌っ……」

 返事の代わりに抱き締める腕に力が入る。それだけで救われた気がする。けどそれじゃあまだ足りない。
 ねぇ、だから言って。

「俺が」

 ここへ駆け付けてくれた理由も、こうして抱き締めてくれる理由も、まとめて説明できる理由を。《アイツら》じゃない、青峰大輝の気持ちを。言って。

「好きな奴を疑うわけねーだろ」

 また一つ、ボロッと零れた。



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