黒黄


 彼がバスケ部に入るずっと前――入学式の頃から僕は彼の事を知っている。
 モデルをしていると言うのはその日に知った。周りの女子生徒が黄色い声を上げて騒いでいたから自ずと耳に入る情報だった。
 その時は、その理由に納得がいった。けれども暫く経ってから彼と初めて会話をした時、それ以外にも理由があることを知った。
 彼が、僕に目で追わせる理由。
 彼を、僕が目で追う理由。

「黒子っち! 得点板片付けて来たっスよ!」
「そうですか。お疲れ様です」

 彼が入部してきた時は正直驚いた。入学してから帰宅部を貫いてきたわけでは無さそうだが、しかし二年生に進級した辺りから彼が放課後教室で女子生徒と適当に話して居るのを度々見かける事が多くなっのは確かだ。
 そんな彼がバスケ部に来た。
 その取り分け目立つ黄色い頭をした彼が。更に幸か不幸か教育係に任命され彼と時間を共にする機会が誰よりも多く与えられた。
 そしていつしか僕を「黒子っち」と呼ぶようになる。些か不本意ではあるが。

「青峰っち! 勝負っス!」
「またかよ黄瀬。負け確定してんのに、お前も懲りねぇな」
「今日は勝つっスよ!」
「ハイハイ。ま、精々頑張れよ」

 部活中は鬱陶しいくらいに僕の周りを忙しなく動くのに、部活が終わればそれも終わる。同時に彼の視線は彼の憧れへと注がれた。
 頭の中では分かっている。彼はただの頑張り屋さんで努力家で自分がまだまだレギュラーのみんなには力が及ばないと感じているから強くなりたいだけ。頭の中では分かっている。
 けれど、心の中には煮え切らないもやもやとした気持ちだけが渦を巻いていた。

「黒子っち?」

 声のした方へ目を遣れば向の席に座っている黄瀬君がキョトンとした表情で此方を不思議そうに見ていた。

「何ですか?」
「いや、それはこっちのセリフっス」

 苦笑しながらぱたぱたと手を振る仕草は僕より二〇センチも高いと思わせない程に幼く感じた。本より気が緩んでいる時――試合中や雑誌の中の黄瀬君以外――は、整った顔容に童顔の要素が存分に出ているが。

「俺の顔みたまま急に動かなくなるんスもん。ストローだって口に触れる寸前で止まったままだし、どう見てもいつもの黒子っちじゃないっスよ」
「いつもの僕って、どんなですか?」
「へ?」 

 少し、意地悪が過ぎただろうか。あからさまに黄瀬君が困惑した表情をしている。
 答えられるはずも無い質問をするなど、確かに僕らしくない。しかも、自分自身についてなど益々僕らしくない。
 前言を撤回しようと口を開いたものの、目に飛び込んで来たものに思わず目を奪われて言葉を失ってしまった。
 ほんのりと顔を朱に染めてうつむき加減で伏し目気味な黄瀬君がそこに居たからだ。
 中学を卒業して離れ離れになっても尚、黄瀬君は僕の視線を捉えようとするのか。

「い、いつもの黒子っちは……、俺が一方的に話してばっかでも何をしてても何もしてなくても俺が黒子っちの側に居たら絶対に俺を見ていてくれるんス。例え本の世界に没頭してたって俺を見てくれるんス」

 より赤くなった黄瀬君の熱は耳まで到達し、首まで広がっているようだ。

「物理的なモノじゃなくて……うぅー、上手く言えないんスけど、空気って言うか、雰囲気って言うか……兎に角、実際黒子っちの目が俺を見ていなくてもそう言う目に見えないやつで俺を見てくれてるって……あぁーもう、自分でも何言ってるのか分からなくなったっス……」 

 黄瀬君はどこまでも僕に捉えて欲しいのだろうか。
 両手で真っ赤な顔を覆うとフルフルと頭を左右に否定するように振る。相当自分の言葉に混乱しているらしい。
 正直、黄瀬君が賢くなくて良かったとこれほどまでに思ったことはない。

「違います」

 違う。
 何に対して違うのか。それは――

「え、あ……い、今のは」
「そうじゃありません」

 自分の発言を無かったものにしようとしているのが明け透けに伝わる。どこまでも正直な人で、それが少し羨ましくもあり愛おしくもある。

「さっきも、黄瀬君を見ていました。時間軸は違いますが」
「え?」
「ずっと、僕は黄瀬君ばかりを見ていましたよ。入学式で初めて見た時からずっと」
「え、あの、黒子っち……?」

 恥ずかしさからなのか、うっすらと大きい瞳に水の膜が張られているように見える。
 泣き顔も可愛いからこのまま困らせても構わないのだが、しかし全国チェーンのファストフード店で泣かせたくはない。勿論、変に注目されるのも不快だが、何より不特定多数の人に黄瀬君の泣き顔を見せたくはなかった。

「黄瀬君に嵌ってしまったのは僕の方です」

 初めて見た時からずっと。
 そう、僕にしては珍しく思った気持ちを吐露すれば、僕を見つめる瞳はゆらゆらと揺れている。口が小さく何度も開閉してはいたが、一向に言葉が出て来ない辺り恐らく彼は今日一番動揺しているに違いない。

――伊達にずっと見ていませんよ。

「く、ろこっ……ち」
「はい」
「も、ホント……やめて。ホント、俺、死んじゃう……ドキドキし過ぎていつか死んじゃうっス」
「それは困ります」
「だったら何の前触れも無く男前な言動はしないで欲しいっス!」

 机に突っ伏してしまったが、髪から覗く耳は相変わらず赤い。
 矢張り可愛いからもう少しだけ困らせてみようか。勿論、泣かせない程度に。
 そして椅子から腰を浮かせて黄瀬君の耳に唇を近付ける。
 滅多に言わない愛情表現の言葉を囁くために、僕は口を開いた。



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