キセ黄


 自慢ではないが黄瀬は異性からモテる。バレンタインデーには紙袋では重さに耐えかねて底が破れてしまう恐れがある為、帆布トートバッグを持参するくらいにはモテる。一週間に二乃至三回は告白されるくらいにはモテる。自慢ではないが自慢出来る事である。
 自慢ではないが黄瀬は同性からモテる。但し、それは決まって歳がうんと離れた子どもだった。因みに同年代からはどちらかと言えば嫌われている。自慢ではないがこの子どもから好かれる様が更に女性からの人気を呼び、一方で同年代の同性からは一層煙たがられていた。
 そんな黄瀬が最近良く懐かれているのが階は違えども同じマンションに住む子どもらと、通学中に出会す送迎バス待ちの子どもらである。

「お早う、涼太」
「あ、黄瀬ちんだー」

 マンションのエントランスを抜ける際、ホテルの一角を彷彿とさせるソファーに座る二人の園児に声を掛けられた。黄瀬に懐く前者の子どもの二人である。私立幼稚園に通っているのだろう。真っ白なブラウスに肩紐の付いた紺色の短パンと同色のネクタイがそれを物語っている。
 赤い髪をした男の子は黄瀬を下の名前で呼ぶ。それも呼び捨てだ。最上階のフロアを全て購入した赤司財閥の御曹司であるからと言って、黄瀬は物怖じする事は無かった。以前、「涼太お兄ちゃんっスよ」と訂正したら「生憎僕は涼太と兄弟になりたいわけじゃないから」と呼び名改正を断られている。最近の子どもは……と親の顔が見てみたい気持ちになったものの、良く考えてみれば彼の親は度々テレビや雑誌で見掛けているのだ。流石に「将来の伴侶を呼び捨てにするのはおかしなことかい?」と言われた時は素っ頓狂な声を出してしまった。
 紫の髪をした男の子は黄瀬の一つ下の階に住む紫原と言う和菓子職人の子どもである。常にお菓子を頬張っていて、幼稚園に持って行く黄色のポシェットも中身はお菓子が詰まっていた。偶然エレベーターで一緒になった時、不機嫌さを露わにした彼は盛大にお腹の音を鳴らしたのだ。それを聞いた黄瀬が抱えていた帆布トートを譲った事で懐かれてしまった。その日は二月の中頃であった。

「二人とも、バス待ちっスか?」
「そーだよー」
「涼太は学校……にしては随分ゆっくりだね。仕事?」

 本当に園児なのかと疑いたくなるくらいに聡い赤司を黄瀬はまじまじと見つめる。出で立ちは幼いながらもどこか貫禄があった。
 反対に、紫原はふわふわとしていて年相応に見える。但し、小学生と見紛う身長を抜きにして、だが。

「まあ、部活にさえ出られたらオレはそれでいいっスよ」
「だが、最低限の知識は入れておいた方がいいよ。その方が認めて貰いやすいからね」

 何が、とは流石に訊けなかった。目を細めて笑う赤司が冗談を言っているようには見えなかったからだ。
 黄瀬は「ハハッ」と乾いた笑いを一つ零すと、難しそうな本を手にしている赤司と依然としてお菓子を貪る紫原と別れた。

「園児が伴侶とか言うっスか? 金持ち恐るべしっスわ……」

 下手をすると赤司の方が自分よりもしっかりしていそうだ。
 過去、紫原に言われた「黄瀬ちんはいつになったらオレのお嫁さんになるの?」と言う質問が可愛く思える。男だから嫁にはなれないと言えば「じゃあオレがお婿さんになる? あ、でも名字は紫原にしてほしいからやっぱり黄瀬ちんがお嫁さんねー」と右手の小指同士を絡ませた。その小さい指が可愛くて、同時に脆そうで振り解く事など到底出来なかったのは記憶に新しい。

「黄瀬君、おはようございます」
「黒子っち!」

 駅に向かって歩く途中の大きな公園の前で赤司や紫原と同じ制服を着た園児達に遭遇した。これが、後者の懐いている子どもらである。
 意識していないと姿を見失ってしまう男の子は黒子と言った。表情筋は固いようだが礼儀正しい子どもである。唯一馴れ馴れしく接しない子どもでもあった。

「黄瀬。お前の今日のラッキーアイテムなのだよ」
「ど、どーも……」

 紫原のがお菓子が詰まっているのならば、目の前の緑の髪をした男の子はがらくた――基、その日のラッキーアイテムが詰まっている。
 彼の親、厳密には父親を黄瀬は知っていた。何故ならば、掛かり付けの病院での担当医であるからだ。緑間先生の息子と納得出来るのはその聡明そうな容姿である。そして今し方渡されたラッキーアイテムは下手をすれば卑猥物になりかねない形の置物――本人はキノコのコケシと言っている――だ。

「ぶっは……! なんだそれっ! チン……」
「おはようっス! 青峰っちー!」

 言わせねーよ。そんな気持ちを込めて言葉を被せる。まだ朝の八時台だ。公共放送で流れる朝の連ドラが終わったばかりの時間だ。そんな時分に口にしてほしくは無かった。そういう俗物的な言葉を面白がる年頃の子どもであっても、だ。

「今日は桃っちは一緒じゃないんスか?」

 いつもは黒子にべったりな青峰の幼なじみである愛らしい桃色の髪をした女の子の姿を探す。けれども黄瀬の視界は彼女を捉えることは無かった。

「あいつカゼ引いたんだと」
「えぇっ!」
「バカはカゼ引かねーのにな!」

 にかっと白い小さな歯を見せながら笑う青峰は太陽のように眩しい。けれどもその笑顔は黒子の一言により雷雲のように鋭くなった。

「だから青峰君は毎年皆勤賞なんですね」
「あ? 何だよテツ! 日本語喋れよっ」
「立派な日本語なのだよ」
「だから皆勤賞なんですよ。青峰君は」
「うるっせーな! 何かよくわかんねーけどバカにされてることくれぇはわかっぞ!」

 確か彼らは今年卒園する筈だ。毎年、と言うのはつまり年少、年中と休むことなく通っていると言うことだ。

「それって青峰っちがすげーからっスよ」

 そう。黄瀬からしてみれば凄いのだ。
 モデルを始めてから仕事を理由に簡単に学校を休んだ事は数知れず。中学の頃などサボタージュする事も珍しくは無かった。
 けれども黄瀬はバスケに――カラフルな頭をした小さな子どもらに出会ってからは、仕事の都合で遅刻や早退はしても欠席だけはしなくなったのだ。早退しても必ずまた夕方には戻って来る。そんな生活を続けるようになったのも彼らのお蔭であった。
 小さいのに、自分よりも一回りも小さいのに、夢中になれるものを見付けてきらきらと輝いていた彼らが羨ましかった。
 そんな彼らに憧れた。

「今日はお母さん達は一緒じゃないんスか?」

 いつもならば送迎する母親も傍に居るはずである。しかしどういう訳か、三人とも保護者を連れてはいなかった。

「お母さんは締切が迫っているので」

 淡々と話す黒子の母親を脳裏のスクリーンに映し出す。大抵は普通の、何処にでも居るありふれた格好の平均身長の女性だ。けれども時折、ボサボサの髪に太めのヘアバンドで前髪を上げたノーメイク姿で現れる。その時は決まって疲労が表情に表れていた。
 そんな彼女は大手出版社のライターであることを思い出す。

「オレの母は昨日足を捻挫してしまったのだよ」

 だから安静にしているのだと言う。
 緑間の家はハウスキーパーを雇うくらい大きいらしい。豪邸とまではいかないので、住宅街に構えていても不自然さは無かった。だから雇っているのは一人だけである。
 ならばそのハウスキーパーが代わりに付き添えばとも思ったが、彼にはまだ幼い妹がいた。怪我をした母親と幼い妹を置いて家を空けることは大層憚れることだろう。

「オレんとこは、父ちゃんの忘れ物を届けに行ってるぜ」

 ケタケタ面白おかしく笑う青峰は心底楽しそうだ。
 彼の父親は警視庁で働いている。そして黄瀬は実際にお世話になっていた。それが切欠で今、目の前で笑う青峰と出会ったのである。
 黒子と緑間に関しても、彼らの親を通じて出会った。偶然が偶然を呼び、縁を結び付けたのだろう。

「けど小さい子らだけってちょっと心配っスね……」
「こども扱いしないでください」
「心外なのだよ」
「別にへーきだっての!」

 三者三様見事にばらばらな言葉を同時に紡ぐ。聖徳太子ではないながらも各々の言葉を聞き取れた事に、黄瀬は内心自画自賛していた。
 マンションで出会った赤司と紫原もそうであるが、彼らもまた一様に子ども扱いされるのを嫌う。その理由は個性同様ばらばらかと思いきや、何故か一致していた。

「じゃあバスが来るまで涼太お兄ちゃんが一緒に居てあげるっスよ」

 何かあった時に、ちゃんと守れるように。
 そんな思いを込めた言葉は、瞬時に彼らに伝わった。けれども不機嫌そうに唇を尖らせる。

「保護者面しないでください。ボクは黄瀬君に保護者になってほしいんじゃありません」

 だってそうでしょう? 君はボクの奥さんになるんですから。

「お前を兄だと一度たりとも思った事はないのだよ」

 お前は、将来オレの妻になるのだから。

「お前ェが守るんじゃねーよ。オレがお前を守んだ。一生な」

 だから勘違いすんな。

「――っ!」

 子ども故に濁りの無い純粋な瞳と直球の言葉に、一足早く社会の荒波に当たった黄瀬はぐらりぐらりと胸を揺すられた。眩しい。真っ直ぐな感情がむず痒くて、眩い。
 毎日がモテ期である黄瀬だが、ここまでの熱烈なアプローチは初めてである。

「じゃあ、オレにキス出来るようになったら迎えに来てね」

 黄瀬にはこんな解答しか出来なかった。
 幼い彼らの言葉が嘘偽りの類だとは微塵にも思っていない。けれどもその言葉は月日の流れと共に色褪せて、薄れていくものである。それを知っているからこそ冗談混じりの声音でふざけた言葉を紡ぐしかない。
 しかし黄瀬は言葉の取捨選択を誤った。
 幼心に火を灯してしまった。この時はそんな事知る由もない。
 色褪せ、薄れて行ったのはどちらであるのかを思い知るのは、季節の巡りが二桁に突入した頃であった。



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